与太郎文庫
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2003年01月15日(水)  幻の《弦楽技法》 〜 未投函書簡より 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20030115
 
 出谷 啓 殿
 
 前略。このほど貴君のホームページを発見したが、メール・アドレス
の記載がないので、あてずっぽうの住所で郵便ポストに投函する。
 メールなどなくても一向にかまわない、と君はいうかもしれないが、
いつどんな情報が寄せられるかもしれないので、ぜひ開設したまえ。
 同封の手紙は、ほとんど無駄話にすぎないが(三年前に電話したあと)
《弦楽技法》という書物について書きはじめたところ、脱線して未完の
ままパソコンの中に眠っていたものだ。いまだに本は見つからない。
 さいきん私的なホームページを連載するうち、高校時代のエピソード
など思いだしたので、この手紙ごと公開することにした。
 とくに返事は要らないが、貴君の生年月日を教えてくれないか。私の
人名辞典では、一九四〇年六月、大阪生れというところまで判っている
が、著名なる音楽評論家にして、この日付だけが欠落しているのだ。
(占いや占星術にあらず。プライバシーとも関係がなく、公称でよい)
 草々。              (Let'19990630-20030115)
 
── http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000
 *(与太郎あての返信は、上記のWeb上で公開されることがあります)
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── 出谷 啓《演奏会評》http://homepage3.nifty.com/detani/index.htm
── 出谷 啓《クラシック この演奏家を聴け! 19960410 音楽之友社》
 
 幻の《弦楽技法》 〜 出谷 啓氏あての未投函書簡より 〜
 
 国語の授業中に眠りこけていた与太郎を、誰かがゆり起した。
 座席配置は左に佐々木敏男、右に遠藤瓔子、前方には中国人の林英子。
やや変則的だが、出席番号は男女別のアルファベット順による。
 岡谷清子先生は、中国語に堪能で、ときには林君に原語で発音させる
こともあったが、この日は楽器にくわしい与太郎が指名された。
 寺田寅彦の随筆に「ヴァイオリンの演奏は、右手の弓がもっとも重要
である」とあるのは本当か、と質問されたのである。
 後方の誰かに起こされた与太郎は、なにしろ教科書を持っていない。
左隣の佐々木君は教科書に頭をのせて眠っているので、右隣の遠藤君の
教科書を奪いとって(目を通すフリをしながら)出まかせに答える。
「まさしく、そのとおりであります!」
 大声で答えると、先生は満足し、与太郎はふたたび眠りについた。
 夢のなかで考えるに、漱石一門の高弟にして、高名なる物理学者の説
であるから正しいはずだ、と予見をもって、たしかめたにちがいない。
だが“寒月先生”のヴァイオリン演奏など、猫の“吾輩”も耳をふさぐ
ほどのもので、とても参考にすべき水準ではない。
 右手の運弓がモノをいうのは、左手の運指が完成されて以後である。
 → 落第生は二度眠る 〜 寒月の右手 〜 20021018-1020 改稿
 
 弦を張って音を出すには、撥く・打つ・擦る三法がある。それぞれ、
ギター、ピアノ、ヴァイオリンに代表されるが、ヴァイオリン属だけが
馬のしっぽを張った、もうひとつの弦を用いる。
 つまり、ふたつの弓をこすり合わせることになる。したがって、右手
の弓に松脂を塗るとき、キュッキュッと音がする。たぶん、この原理が
ヴァイオリン属に特有の使命を与えたにちがいない。
 チェリストでいうと、カザルスの運指には思わずウーンとうなるよう
なものがある。どうしたら、こんなにも深々とした音程をとらえられる
のだろうか、と考えこんでしまう。のちのち、ロストロポーヴィッチの
を聴いたときには、フーッと吐息がでるような運弓だった。
(カザルスいわく「右手のしなやかさは、年をとってからも上達する」)
 
 そもそも右手か左手か、などという問題は、彼らの演奏水準において
論じるべきもので、なみの演奏家には無用の議論なのである。まして、
アマチュアには、縁なき領域である。
 そうはいっても、練習をつづけていれば、左右どちらかが瞬間的に、
うまく弾けたりすることがあり、ドキリとしながらもう一度やってみる
と、単なる偶然だったことがわかる。ヘボ将棋とおなじで、そんなこと
のくりかえしがアマチュアの特権らしい。
 一年前だったか、NHKの秘蔵録画でオイストラフを聴いたときには、
かつてのLPレコード全盛期を思い出し、あらためて感動した。とくに
チャイコフスキーの協奏曲は、彼だけが屹立して格調たかい。実演でも
おなじように演奏していたことが驚異であった。
 こうした名演奏は、録画したりCDを買ってはいけない。毎日きいて
もあきないから、ほかのことが考えられなくなる。
 
 それにしても、レコード評論家という商売は、ボクのみるところ謎に
みちている。食味評論家とおなじで、まいにち朝昼晩うまいものばかり
食って、なにが面白いのだろう。空腹と粗食こそが、鋭敏な味覚を育て
るように、あるいは恋する人に逢わないことが崇高な感情にいたるので
はないか。
 一軒目の酒場で、さんざん嫌われ、「河岸を替えよう」と叫びながら
二軒目の酒場にたどりつくや、さきの店のママやホステスの悪口をいい
ふらすような助平どもと、ちっとも変らんではないか(酒とバラの日々
の記憶は、ボクにも無いわけではないが)。
 
 高校時代のボクは、通学途上の名曲喫茶にあるレコードは、針が落ち
ると同時に、演奏者を当てることができた。はじめて聴いたものでも、
数分のうちに曲名と演奏家を推定できた。さらに、十字屋の本棚にある
楽譜や書籍は、ほとんど目を通していた。
 読み物として面白かったのは、近衛秀麿《フィルハーモニー雑記》で、
たとえば、若き日の著者がベルリン・フィルの練習のあいまに日本から
きた手紙を読んでいると、楽員があつまってきて指さして笑っている。
何が可笑しいかというと、文字がタテにならんでいるからだという。
 のちに、もうすこしで著者に会うところだったが、その時には尋ねて
みようと思ったのは、当時アラビア人の楽員がいたら、みんな笑ったか
どうか(アラビア語は右から左に書かれているらしい)。
 
 まじめな音楽書には、まるで面白いものがなかった。
 《指揮法》《管弦楽法》《作曲法》には関心があったが、いまひとつ
大仰で大上段にふりかぶったものばかりだった。十数年後、芥川也寸志
《音楽の基礎/岩波新書》はよくできていて、あのころに読んでいたら、
ずいぶん参考になったのではないか。
 結局、自分で勉強法を工夫することにして、ドヴォルザーク《新世界
交響曲・第二楽章》序奏部を、ピアノ・スコアに直すことを思いついた。
 
 これをどうするというわけではないが、木管・金管の移調楽器が錯綜
しているので、なるほどかくしてあのような和声がわきあがってくるの
か、というイメージが理解できた。
 おなじ趣向のものに、ベートーヴェン《コリオラン序曲》があって、
チェロの分散和音が意味ありげにみえる。しかるに、レコードで聴くと
ガサゴソ鳴ってるだけで、譜面の印象にはほど遠いのが不思議である。
全体にまとまりがなくて、駄作らしい。
 これを三十数年後に、ウィーン・フィルの就任披露演奏会だったか、
リッカルド・ムーティとかいう指揮者で聴いて「これだ!」と思った。
ほとんど最近の音楽家は知らないが、この指揮者は、なにしろ目付きが
ちがうのである。おまけに、にくらしいばかりの斬新なプログラムで、
まずは《未完成交響楽》ではじまったのである。二番目の曲は思い出せ
ないが、たぶんコンチェルト風の小品で、最後に《コリオラン序曲》を
もってきたものだ。このあと、アンコールなどやらず、プッツリ終れば、
さらに感動したはずだが、さすがに経営者が許さなかったとみえる。
 その夜、なにげなくチャンネルを回したところ、なかなかの《未完成》
であって、どことなく凄みが感じられる。
 そこで新聞をみると、最後に《コリオラン》とある。一種の誤植だな、
と解釈して聴いているうちに、だんだん引きこまれていく。なにしろ、
目付きがするどいのである。待てよ、ひょっとすると彼は意図してこの
ような順序にしたのではないか、と考えはじめた。
 そうか、わかったぞ。この男のねらいはやはりそこにあったのだ。
 存分に期待させられて、ついに《コリオラン》が始まった。
 息つくひまもなく、チェロの重々しいアルペジオが、譜面そのままの
イメージで地鳴りのように聞えてくるではないか。そうだ、これだ!
 
 なぜ今まで、この曲はこのように演奏されなかったのか。このように
演奏されたとしても、録音再生の技術が、すくなくともこの曲に限って、
いまの安物のテレビにも及ばなかったのだろうか。いや、そうではない
はずだ。前述のオイストラフのフィルム(ビデオではない)のように、
録音状況にかかわらず名演奏は伝わるのだから、いままでの指揮者は、
この曲を甘くみていたのではないか。さらに推測すれば、チェロ奏者が
この曲の演奏効果を甘くみていたのではないか。まるで練習曲の一部の
ように、漫然と奏していたのではないか。
 高校時代のボクは、いいかげんな指揮者だったが、いわゆるリズム感
というものには疑問をもっていた(要するにリズム音痴だったのだ)。
 しかし、わがオーケストラの、とくに金管楽器奏者に対して、いつも
「腰をおろすな、ドッコイショはいかん!」といっていた。休止符は、
「ヤレヤレ」と腰をおろす時間ではない、つぎのパッセージを予告する
瞬間なのだ、という意味である。
 ここにいたって、きみの本が伝える近衛秀麿氏の話につながる。
 氏の独創したという《運命》冒頭のフェルマータ問題である。
 氏は、いつも長さが同じであるべきだ、という理由で、フェルマータ
に時間を定めたという。こうすれば、コンサート・マスターをはじめ、
皆が指揮者のその日の気分に惑わされることなく、自信をもってつぎの
パッセージに入ることができる、という。
 ボクは、どうも理屈がわからない。これが凡百の凡曲ならいいとして、
西欧古典音楽を代表する傑作であり、無難に済めばよい、という曲では
ないのである。チィチィパッパではないのである。安全第一ではないの
である。危険を承知で、不条理に立ちむかうのが、基本姿勢である。
 フェルマータの長さが一定でないからこそ、緊迫感が生じるのである。
 高校時代のボクが、とくに先輩連中から陰口をたたかれていたのは、
棒が見にくい(リズムが不明確)ということであり、後輩たちの不満は
いつ始まるか(その瞬間まで)わからない、というものだった。
 さすがに、デビュー直前に聞かされたときには、心底まいったものの、
けっして曲げることはしなかった。棒にあわせて拍子をとるのではない、
音楽それ自身のおもむくままに、全員が(聴衆とともに)一体となって
進むべきであり、いつ始まるか聴衆にバレてはいけない、というような
ことが信念だった。
 ついでにいうと、音楽を聴くときに、いっしょに身体を動かすような
聴衆はまやかしの連中である。ダンス・ミュージックをやってるわけで
はない、西欧古典音楽は聴衆を楽しませるためにあるのではない。
 曲が終わったら、なにがなんでも一番に「ブラボー!」と叫ぶ輩め!
 しかるに最近は、どこのオーケストラも、まるで銀行員とか市役所の
小役人みたいな顔つきの楽員ばかりで、どいつもこいつも楽譜どおりに
演奏していればクビにならないつもりでいるのではないか。
 わかい指揮者もそうだ、みんなが小澤征爾をお手本にして、やたらに
身をくねらせやがる。いいかげんしろ! 演奏中にニタニタ笑うヤツも
いるから困ったものだ。なんのつもりか。(未完)
 
 幻の《弦楽技法》 〜 新井 正夫氏あての未投函書簡より 〜
 
 そもそもの動機は、《弦楽技法》という題名の、大切にするあまり、
後輩たちに「ぜひ読みたまえ」と貸しつづけたため、行方不明になって
しまい、いまでは著者も出版社も思いだせない一冊にあります。
 アマチュア音楽愛好家とみられる著者が、当代のヴァイオリニストは
もとより、たとえばヴィオラのプリムローズや、コントラバス、はては
ヴィオラ・ダモーレのような古弦楽器奏者まで歴訪した労作です。
 たとえば、弦楽四重奏の第二ヴァイオリン奏者に対して「すでに第一
ヴァイオリンが歌いおわった旋律を、つねに繰りかえすのは退屈ではあ
りませんか」などと質問しています。「そんなことはありません、同じ
旋律を奏することは、反復ではないのです」と答えているのは、若き日
のシュナイダーハンというわけです。
 岩波西洋人名辞典によれば、カール・フレッシュに同名の技法書があ
り、岩渕竜太郎氏も(対談では)同意されたが、内容からみて、著者は
別人のアマチュア演奏家でなければなりません。
 故人の奏法についても、興味ある伝説が紹介されています。ヨアヒム
は、ベートーヴェンが《ヴァイオリン協奏曲》第一楽章、カデンツァの
直後“第二主題”に指定したドルチェ(甘く)を、まるで無視するかの
ごとく、ヴィブラートなしで奏した、というのです。
 本来、カデンツァは演奏者の即興によるものですが、現代の楽譜では
(ほとんど)ヨアヒムのものを印刷しています。すなわち、ヨアヒムの
カデンツァは決定版であり、かつまた究極の名演奏であったとされるの
に、何故ノン・ヴィブラートなのか?
 私の旧稿《弓弦十話19701029》では、本文の記憶をもとに“力つきた
英雄が虚しく回想に心をゆだねるシーン”の象徴的表現と要約していま
すが、どのレコードを聴いてもノン・ヴィブラートの実例に遭遇しない
ことから、いわば幻の演奏伝説が実在していたのでしょう。(未完)
(Let'19950506ca 双竜外伝について)
 
■Mail'20030115 (水) Casablanca ?
 
 何かご存じなら教えてほしい
 
 風邪を引いて元気がないのですが、前に買っていたDVD“カサブラ
ンカ”を今日は見ました。昔見たので懐かしくて買っておいたのですが、
内容はすっかり忘れていたので、新鮮な感動を受けました。やはり名画
ですね。その中でドイツの将校たちがリックの酒場で歌う歌が歌詞は分
からないのですが曲は同志社カレッジソングの曲ですね。地下組織の指
導者ラザロがこれに対してフランス国歌を歌い、酒場の人達がこれに和
してドイツの将校の歌うのを圧倒してしまいます。カレッジソングでは
Carl Wilhelm作曲ということになっています。さて、この曲は本来どう
いう由来を持っているのでしょう。
 何か知っておられることがあれば教えてください。早々。
from:谷本岩夫
 
■Mail'20030115 (水) 電話のあとで 22:00 > 20:07
 
 まずは《皇帝賛歌》のこと
 
── この曲は、たぶんハイドンの作になるオーストリア国歌の変奏曲
のために、彼の弦楽四重奏曲の代表作のように知られ親しまれているが、
ガイリンガーは、「驚くほど霊感にとぼしい四重奏曲で、彼の後期作品
の系列に位置づけることがほとんどできない」と極言している。
── 大宮 真琴《名曲解説全集 8 19591110 音楽之友社》P086
 
 古楽器による現代的演奏(NHK芸術劇場)を聴くと、初演時のサウ
ンドは、当時としては前衛的ではなかったか。
 
── 《皇帝賛歌》の歌詞、一番は「外国を刺激する」、二番は「意味
がない」ので、三番だけが“ドイツ国歌”として歌われている。
── 《朝まで生テレビ 19990327 テレビ朝日》
 
■Mail'20030115 (水) Casablanca !
 
 映画「カサブランカ」で「One purpose」が歌われている?!
 
 「映画『カサブランカ』の中で、カフェで独軍が歌う『ラインの守り』
のメロディーが、なぜ同志社のカレッジソングと同じなのでしょうか」
というご質問を、渡辺峻さん('72年商・院修了)からいただきました。
実は第3号で同様のお問い合わせにお答えしているのですが、改めて簡
単にご説明します。
 同志社カレッジソングの作詞者は近江兄弟社の創設者W.M.Voriesで、
旋律は Carl Wilhelm 作曲「Die Wacht am Rhein(ラインの守り)」を
借用しています。この元歌の歌詞がドイツで書かれたのはライン川を挟
んでフランスの脅威が増してきた1840年で、1854年に曲が作ら
れ、1870年の普仏戦争の際にドイツで国歌のように歌われるように
なりました。
 映画 「カサブランカ」 の舞台は第二次大戦下の仏領モロッコ。同志
社カレッジソングが歌われ始めたのは1909年ですから、映画制作時
には既に「One purpose…」は存在していました。ちなみにアメリカの
イェール大学校歌も同じメロディーを使っており、本年6月20日に栄光
館で行われた本学グリークラブとイェール大学グリークラブのジョイン
トコンサートでは、双方のグリーが校歌の交換を行いました。イェール
大学の方がメロディーを本学よりゆっくりと歌ったのが印象的でした。
── http://www.doshisha.ac.jp/daigaku/wr/vol10/wr10-21_23.html
 
── 昭和27年 4月・京都市京都御苑北相国寺南元花の御所東鴨川西に
ある中学校に入学。校歌は映画「カサブランカ」に出てくる酒場でドイ
ツ将校たちが歌う国歌と同じメロディだった。
── 遠藤 瓔子《タンゴ、口には出せず 20001201 gui 61号》P167-176
── http://www.geocities.jp/endohkun_22/profile/gui.html
 


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