与太郎文庫
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2002年12月15日(日)  カルメンの記憶

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20021215
 
■2002/12/15 (日) カルメン
 
 ビゼー《カルメン 20020817 クライトボーン音楽祭》ハイライト。
 BBC、CBC、NHKなど共同制作《芸術劇場 20021215 NHK》
 偶然チャンネルを回したところ、この曲ばかりは耳が放さないので、
とりとめないことを書きつけてみよう。
 
 すでに十八年前の《カルメン 19850103 NHK》は視聴率 3%とかで、
この種の番組としては驚異的だったらしい。
 与太郎の指揮する高校オーケストラでは、いつもながら《カルメン》
や《アルルの女》がプログラムの中心となるので、メンバーのなかには
不満をもつ者もいたにちがいない。
 アマチュア楽団には、さまざまの事情があり、気に入った曲を自由に
選ぶことはむずかしい。技術的に困難な部分が数小節あるとか、特定の
楽器がなければ、あきらめねばならない。ビゼーの初演当時は、ありあ
わせの楽器編成だったから、ところどころ譜面を書きかえ、楽器を取り
かえたりすれば、なんとか誤魔化せるのである。
 
 感傷的なメロディーと原始的なリズムによる通俗的な作品は多いが、
リアリティーを共感できるものは稀である。
 ベートーヴェンが“闘争”を称えたのに対して、ビゼーは“絶望”を
描いたのである。闘争には望みがあるが、絶望には救いがない。闘争は
観念のなかにとどまるが、絶望は現実を直視する。
 高校生は、観念的な望みを抱きながら、足元の絶望感におびえている。
闘牛士とホセのような、ふたつの人格が同居することもある。
 闘牛士は、世俗の成功者となり、かつてエリートだったホセは盗賊に
落ちぶれたのである。闘牛士も、いつかは敗残者となるにちがいない。
 あのときの愛のことばは、嘘だったのか!「見すてないでくれ!」と
いうセリフには、ふられた男の屈辱があふれている。
 
 歌舞伎《女殺し油地獄》も、絶望を描いているが、その原因は世間体
であり、背景には封建社会がある。アルルの女も封建的な農村であり、
カルメンは自由な環境に見えるが、やはり集団的習俗にしばられている。
 高校生には、世俗も習俗も観念も現実も、すべて未経験だったのだ。
 
■2002/12/16 (月) 記憶力
 
 キケローと記憶術        中務 哲郎
 
 キケローが記憶術になみなみならぬ関心を寄せていたことは、『弁論
家について』(二・三六〇)、『トゥスクルム荘対談集』(一・五九)
などで絶倫の記憶の持ち主を繰り返し紹介していることからも窺えよう。
キケローはまた、墓碑銘を読めば記憶を失う、という迷信にも言及して
いる(『老年について』二一)。記憶術の発明者をシモーニデースとす
ることでは古代の証言はほぼ一致しているが、発明に纏るエピソードを
詳しく紹介するのもキケローが最初のようである。
 シモーニデースは前六世紀半ばにエーゲ海のケオース島に生まれ、九
〇歳まで生きた抒情詩人である。報酬のために詩を書いた最初の人とし
て喜劇で揶揄される一方、「絵は物言わぬ詩、詩は語る絵」として詩と
絵の連想理論を展開したとされるし、「常に自分の内に宝を携えている
賢者としてパエドルス『イソップ風寓話集』(四・二三)にも登場する。
 このシモーニデースが北ギリシアはクランノーンの町の豪族スコパー
スの館に客となった時のこと。主人を称える詩を作り宴席で披露したが、
詩は作法に従って、スコパースの栄誉を語りながら、カストールとポリ
ュデウケースの双児神の神話を長々と織り込んだものであった。スコパ
ースは大いに不服で、約束の報酬は半分しか払えぬから、残りは双児神
から貰うがよかろう、と詩人に申し渡した。ほどなく二人の若者が館を
訪れ、是非にと言ってシモーニデースを呼び出した。出てみると誰もい
なかったが、詩人が席を外した僅かの隙に建物の屋根が崩れ落ち、中の
者は一人残らず圧死した。二人の来訪者はカストールとポリュデウケー
スで、シモニデースの命を救い詩の報酬を払ったのだと言う。この後、
遺族が来て死者を葬ろうとしたが、死体の損傷が甚だしくて見分けがつ
かない。しかしシモーニデースは、各人が横臥していた場所を記憶して
いたので、一人一人指し示すことができた。そしてこの事件を通じて、
場所の順序が記憶を助けるという原理を発見したというのである(『弁
論家について』二・三五二以下)。(略)
 
 大カトーの記憶訓練法に関してイアンブリコスの記事を参考に紹介し
たところ、前日の出来事を余さず思い出すのに再び二四時間を費やすな
ら、起きる間がないのではないか、という学生があった。まことに尤も
な疑問であるが、返事に窮するより前に、それならばこれはどうだ、と
いう場面が記憶のどこかから湧き出してきた。ローレンス・スターン
『紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見』の一節である。── 
「私は十二ヵ月前の今ころ、つまりこの著作にとりかかった時にくらべ
まして、ちょうどまる一ヵ年、年をとっております。そして、今、御覧
の通り第四巻のほぼまん中近くまでさしかかっているわけですが──内
容から申せばまだ誕生第一日目を越えておりません──ということはと
りもなおさず、最初に私がこの仕事にとりかかった時に比べて、今日の
時点において、これから書かねばならぬ伝記が三百六十四日分ふえてい
るということです……」(朱牟田夏雄訳)
── 《図書 199905‥ 岩波書店》P34-36
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 驚異的な記憶力の秘密はBC5世紀のギリシャの放浪詩人にあった
 20021216【パリ15日】
 妻や夫の誕生日さえも忘れる人が多いのに、一部の人はどうして驚異
的な記憶力を持つのかを解明する手がかりは紀元前5世紀のギリシャの
放浪詩人が編み出した記憶手法にある、との研究論文を英国の学者が1
5日発行の月刊ネーチャー・ニューロサイエンス誌に発表した。ユニバ
ーシティー・カレッジ・ロンドンの神経学者エレノア・マグワイア氏は
ロンドンで毎年開かれる世界記憶選手権大会の上位入賞者8人と抜群の
記憶術を持つことが科学的に証明された他の2人を、同年代で平均的な
記憶力の10人と比較する実験を行った。
 2つのグループを、記憶と無関係の知能テストとファンクショナル磁
気共鳴影像法(fMRI)で調べたところ、記憶の大家たちの中央内側
頭頂皮質、レトロスプレニアル皮質、および右後方海馬状隆起の3つの
部分の働きが特に活発だった。しかし彼らの記憶力の秘密は知能の高さ
や教育水準あるいは脳の構造の違いによるものではなかった。詳しく聞
いてみると、記憶の達人の全員がギリシャの放浪詩人シモニデスがBC
5世紀に発案したとされる記憶法と同じ方法を使っていることが分かっ
た。シモニデスは自分が歩いた道のすべての風景と地形を全部覚えてい
たといわれる。この方法は通称「メンタル・ウォーク」(精神的歩行)、
正式には「メソッド・オブ・ローサイ」(場所方式)と呼ばれ、物や数
字などを人、動物、物体など別のイメージと結び付けて記憶するもので、
特別な知力や脳構造を必要としない。
 マグワイア氏は、ローサイ方式は多くの人にとり非常に有用で、マス
ターできないほど難しいものでもないと述べている。〔AFP=時事〕
 
 脳細胞が急速に破壊されてゆくアルツハイマー病は、物忘れとは本質
的に別物。記憶だけでなく人格も損なわれてゆき、性格は粗暴になり、
味覚や嗅覚も狂いはじめます。
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