与太郎文庫
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2002年12月12日(木)  チェリスト 〜 ドン・キホーテ群像 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20021212
 
■2002/12/12 (木) 丸投げ
 
 Subject: クロージング後放送のBGMについて
 いつも楽しく番組を拝見しております。
 さて、最近は放送終了時のクロージング(コールサイン等の紹介など)
が終了した後で、海辺で女性とカモメが写った写真が表示されたまま
音楽が流れています。その音楽についてですが、非常に気に入った曲が
何曲かありましたので、CDの詳細についてご紹介いただけませんでしょ
うか。作曲者、各曲のタイトル、演奏者、CD番号など、可能な限りの情
報で結構ですので、よろしくお願い致します。
                (makotoさんより 0927 受)
 Ans.お問い合わせの番組終了後に流している曲名及びCD名は、
CD名→「鳥の歌〜チェロ名曲集〜」演奏者→「ゲオルク・ファウスト」
発売元→「株式会社ファンハウス」CD番号→「FHCE2022」で
す。    ── 《webtsc回答箱 20020927 テレビせとうち》
────────────────────────────────
 このBGMは、すくなくとも今年はじめから毎日深夜に流されており、
上記の質問メールは九月末とあるが、とても最初とは思われない。
 おなじCDを連日連夜、まるで“丸投げ”のように一年も流す理由も
わからない。これがNHKなら、苦情の電話が集中するにちがいない。
 いずれ電話でたずねるつもりだったが、以前もローカル局に問合せた
ときの不本意な対応を思いだして、こんどはHP検索したのである。
 与太郎はむかしチェロを学んだので、いささか詳しいが、ラテン調の
知らない曲もある。しかるに、画面には一切コメントが出ない。いつも
唐突に始まり、もうすこしで終るというのに、なぜか最後の曲の途中で
「ブチッ」と切れる。CMがコンピューターで時間管理されているのに、
毎日おなじCDを挿入するには、あまりにも無神経なあつかいである。
 演奏者のゲオルク・ファウストは、1985年以来ベルリン・フィル第1
首席奏者であるという。当初はマイスキーかと思ったが、すこし渋い。
 タイトルは《チェロ名曲集》だが、くりかえし聴くには無理がある。
実は名曲集とは、よせあつめの“小品集”であって、曲と曲との関連性
がない。ひとつひとつが名曲でも、洋菓子と和菓子に駄菓子まで次々と
出すようなプログラムは、ふつうの演奏会ではありえないのである。
(つづく)
 
■2002/12/13 (金) ガラガラ
 
 作風も諧調もバラバラの、12人の作曲家によるオペラ・アリアを、
歌手12人が競演するような演奏会を「ガラ・コンサート」という。
 NHK「紅白歌合戦」もおなじ趣向だが、文化的背景がちがう。
 
 どんな筋書のオペラにも共通の和声法があり、これが西欧クラシック
音楽の基盤である。これに対して、雅楽や謡曲の流れをくむ演歌には、
和声法の概念がない。オーケストラ伴奏で、あたかも交響的管弦楽風に
聴こえるが、その楽譜は矛盾に満ちている。
 演歌のメロディーは、もとは単旋律だから、原則としてハモれない。
 西暦1000年前後のイスラム・ルネサンス以来《コーラン》の朗誦や、
仏教のお経(声明)はもとより、朝鮮伝来の雅楽から、室町時代の謡曲
まで、1400年代の西欧ルネサンス以前の《グレゴリオ聖歌》など、こと
ごとく単旋律の斉唱(ユニゾン)だった。
 ところが西欧では、ピタゴラスが主張したとおり、和声の進行の中に
複数のメロディが存在することを、ついに究明する。
 実際に名曲が輩出されるのは、1700年代のことである。
 メモ程度だった楽譜に、音の高さと時間を同時に示す“定量音符”の
開発は、もっと評価されるべきではないか。活字以前に文字はあったが、
音符以前に楽譜はなかったのである。
 
 いかに前衛的に見えても、ビートルズやプレスリーは、イギリス民謡
を母型として、ドイツ・イタリアの和声法にもとづいている。現代日本
のポップスは、すべてビートルズやプレスリーの洗礼を受けているが、
欧米のヒット・チャートに演歌が登場した例はない。
 音楽は「世界共通のことば」とか、演歌は「日本のこころ」と叫ぶ人
たちの主張は、彼らの「愛してやまない」気持がわかるだけで、あまり
意味がない。これまで振袖や、チマ・チョゴリや支那服が、外国に定着
しなかったように、演歌とポップスは同じステージに共存できないので
ある。
 演歌や民謡やポップスの饗宴で「みんなが喜ぶ」と思いこんで53年、
とっくに「紅白」も「歌合戦」も役割を終えているのだ。
 
■2002/12/15 (日) スペイン民謡集
 
 ふつう《チェロ名曲集》といえば、ひとりの独奏者による、ホーム・
コンサートだが、このプログラムは《スペイン民謡集》というところか。
高度な奏法は、チェリスト自身が編曲したものとみられる。ほとんどの
曲名がわからないので、仮に速度記号を記しておく。
 ことし46才の演奏者は、録音当時は30代か。伴奏者は不詳。
 
 Georg Faust cello
Born 1956 in Porz-Wahn near Cologne studied at the MHS Cologne.
First solo-cellist of the BPhO since 1985. Internationally asked
chamber musician and soloist. Founding member of the BBS since
1995. ── http://www.berlinerbarocksolisten.de/e/index.html
 


1(04:14) 〜カタロニア民謡《鳥の歌》カザルス編曲
2(04:18) アダジオ・カンタービレ
3(04:20) アレグロ・スタッカート、3拍子
4(04:22) ダブルストップ
5(04:25) スパニッシュ
6(04:30) アレグロ・アパッショネート(熊ン蜂のような)
7(04:32) アンダンテ・カンタービレ(ラテン風のエストレリータ?)
8(04:35) アンダンティーノ
9(04:39) ラルゴ、エレジー
10(04:42) アダジオ・カンタービレ
11(04:48) アレグレット
12(04:50) ラルゴ
13(04:52) アレグレット、鳥のさえずり?
14(04:53) 火の祭
15(04:55) 夜の森
16(04:57) フィナーレ
 
1(05:00) 〜カタロニア民謡《鳥の歌》カザルス編曲
2(05:04) アダジオ・カンタービレ
3(05:06) アレグロ・スタッカート、3拍子(冒頭中断)

 
 二度目の第三曲が始まってすぐ切れた。このあと試験電波パターンと
ともに「ピーッ」という音声がつづく。それなら三曲目に入る前に切る
べきである。この緊急放送のような警告音は、なぜ必要なのか。
 
■2002/12/15 (日) マイスキー・ファン
 
 ミッシャ・マイスキ− ファンクラブは1998年1月10日、ミッシャ・マ
イスキー50歳の誕生日に正式発足したマイスキ−公認のサ−クルです。
 1998年1月10日、ついに、ミッシャ・マイスキー公認のファンクラブ
が誕生しました。マイスキー自身はもとより、家族も大変喜んでくれ、
設立を歓迎してくれました。ファンクラブの会員名簿は随時更新し、そ
の都度マイスキ−のもとに送っていくことになっています。
 
 管理人(制作・編集者)のプロフィール
 
◎小島 昭彦(こじま・あきひこ)
 
 1963年1月5日、神奈川県藤沢市に生まれる。神奈川県立藤沢西高等学
校で学んだのち、中央大学文学部文学科英米文学専攻に進み、1987年3
月に卒業。
 茅ヶ崎市楽友協会理事および広報部長。1983年より、「楽友協会だ!
より」を執筆。なぜか「ようよう ま」の異名(ペンネーム)をもつ。
演奏会の曲目解説をはじめ、演奏者紹介、さまざまな音楽家のエピソー
ド、CD紹介などを書き続ける。ピアニストの斎藤雅広、声楽家の佐野
成宏、音楽評論家の黒田恭一、フジテレビアナウンサーの軽部真一、ヴ
ァイオリニストの礒絵里子・神谷未穂ら、各氏のインタビューも行う。
ミッシャ・マイスキーのインタビュー記事掲載を予定している。
 マイスキーとは、1988年4月の茅ヶ崎での公演を機に個人的に親交を
深める。1995年8月にはベルギーの自宅を訪問。1998年1月、ついに公式
のファンクラブを創設し、現在に至る。
 このほか、ゲーリー・カー(コントラバス)、斎藤雅広(ピアノ)、
エマーソン弦楽四重奏団、メラニー・ホリデイ(ソプラノ)、イロナ・
トコディ(ソプラノ)、ダリア・ホヴォラ(ピアノ)ら、茅ヶ崎市楽友
協会の活動を通じて知り合った音楽家は多い。
 実は高校の教員(教科は英語)。妻(陽子)、子(響祐=きょうすけ・
3歳)と3人家族。趣味はクラシック音楽鑑賞のほか、読書(遠藤周作、
山田太一、宮本輝)、インターネットなど。最近チェロの練習を再開し
た(まだ初心者もいいところ)。
── http://www006.upp.so-net.ne.jp/mmfc/p9.html
 
■2002/12/16 (月) スラヴァ
 
 チェリストが自分のために演奏する曲  BBCホームズ
 
 阪神大震災の日から1週間しかたっていなかった1月23日、東京の
サントリー・ホールで、一つの「記念」演奏会が行われた。それは病気
になったオーケストラの楽員たちを救済する基金募集のためのコンサー
トであった。世界のチェリスト、ムスティスラフ・ロストロボーヴィッ
チ(「スラヴァ」の愛称で呼ばれている)がそれを提案したのだという。
しかもオーケストラはN響、指揮者は世界の小澤征爾という組み合わせ
であった。そこまで「スラヴァ」が提案したのかどうかはわからない。
しかし三〇年ぶりに小澤がN響を振るというのは、これまでの両者の歴
史を知る者にはまさに「記念」に値する演奏会であった。しかし当夜ドボ
ルジャークの「チェロ協奏曲」が終わった後、通常ではない特別の「ア
ンコール」が行われたことで、この日は思いがけない「記念」としていつ
までも記憶されるであろう演奏会となった。 「スラヴァ」は小澤に通
訳してもらって、自分が今度の災害の被災者、とりわけ5千人を超す死
者のことを思わずにはいられないこと、その人たちへの慰めを神に祈り
求めるためにバッハの曲を弾かせて欲しい、そして一緒に祈って欲しい
と言う。形ばかりの追悼の黙祷などではなく、その場に居合わせた者は
もちろん、テレビを見ていた者の心をもゆり動かすような祈りの機会と
なった。
 しかしそれにしても、なぜ「スラヴァ」はこの時バッハの無伴奏チェ
ロ組曲の中から、第2番の「サラバンド」を選んだのか。バッハは当時
の習慣に従って、ヴァイオリンとチェロという独奏楽器の達人のために、
何曲かを一まとめのグループにして、それを1番から6番まで集めた
「組曲」を作っている。チェロの場合、難しい演奏技術を必要とするの
で、演奏会用の作品と言うよりもむしろ練習のための曲と考えられてき
た。しかし二十世紀になって、スペインのカザルスがそれまで埋もれて
いたものを、作品としてよみがえらせた。それ以来チェリストといわれ
る人はだれでも、この無伴奏組曲を手がけており、レコードもおびただ
しい数に上る。
 カザルスの後継者といってもよい「スラヴァ」は、不思議なことに、
今までこの組曲の全曲録音をしていない。「スラヴァ」はチェリストと
してだけではなく、指揮者としても、また夫人であるソプラノ歌手ヴィ
シネスフカヤの伴奏ピアニストとしても、この30年来、膨大なレコード
を出しているのにである。その彼が1992年、フランスの田舎町の教会で、
全曲の録音を行った。多分祖国ソ連の崩壊したことがそのきっかけにな
ったのではないか。その中に、第2番の「サラバンド」がなぜ選ばれた
のかの理由を、自ら語っているところがある。それを知ると、あの記念
演奏会での「アンコール」の意味がさらにいっそう明らかになる。
            95クラシック音楽を楽しむ会(5)95.6.4
── http://members.aol.com/bachbrun/classic/clasic1995.htm
 
■2002/12/17 (火) ドン・キホーテ
 
 《巨匠ロストロポーヴィッチ75歳“最後”のリハーサル 20021106
NHK》再放送 20021217 01:10-01:55(繰延後 02:00-02:45)を聴く。
ズラブ・イナシヴィリ監督の映像詩《ドン・キホーテ》の特別演奏会、
ロストロポーヴィッチ・独奏/小沢 征爾・指揮/サイトウ・キネン・
オーケストラ ── R・シュトラウス《交響詩“ドン・キホーテ”》
 
「セイジ、弱くなるところを、もっと弱くしたい。ここだ、ドン・キホ
ーテがドルネシア姫を発見したんだ」(第二変奏、理想と現実の対決)
 この曲はチェロ協奏曲ではなく、独奏チェロが主人公のキャラクター
を奏でるもので、従者サンチョは独奏ヴィオラ(店村 眞積=本宮先生
の教え子!)が受けもつ。
 スペインの国民的作家セルバンテスは、イギリスのシェークスピア、
フランスのユゴー、日本の紫式部に匹敵する。原作の背景となる風土や、
由緒ある建物、初版本や直筆の楽譜などを映像で辿り、ちょうどNHK
《名曲アルバム》全曲ノーカット版のような映画で、来春放映らしい。
 今日マエストロと呼ばれた数すくない巨匠の、最後の演奏である。
 最終部分のグリッサンドに、とくに共感があると語るが、もちろん
原作も(死に直面する者だけが知るべき)臨終描写がきわだっている。
 
 19950123 阪神大震災直後の追悼演奏会で、ロストロポーヴィッチは、
バッハ《無伴奏チェロ組曲第二番:サラバンド》を、アンコールとして
演奏する前に「この曲が終わっても拍手しないで、皆で祈りましょう」
と言った。NHKテレビで放送された有名なシーンたが、くわしくは、
HP(19950604)を「スラヴァ」と題して、昨日分に転記した。
 実は、この演出は、これがはじめてではない。最後に弾きおわった弓
をいつまでも降さなければ、聴衆は拍手できないのである。われがちに
「ブラボー」と叫ぶ連中を、みごとに撃退した効果もある。
 1972 京都市交響楽団公演で与太郎は、ギターの尚永 豊文氏とはじめ
て聴いたが、ドヴォルザーク《チェロ協奏曲》を終えて、オーケストラ
のメンバー全員をステージに載せたまま、ひとりで無伴奏を弾くのは、
ヴィルティオーゾならではの専横である。
 19891109 ベルリンの壁が崩壊した翌日に、現地に駆けつけた巨匠は、
この曲を路上で弾いている。
 
■2002/12/17 (火) アンコール
 
 ロストロポーヴィッチに関する、与太郎メモ。
 19840416 倉敷市民会館でのリサイタルは、アンコールにブラームス
《奏鳴曲》暖徐楽章を再演(ピアノ=ランバート・オーキス)。
 これほどの巨匠が、地方都市に来るからには、市長はじめ有力者が、
夫人同伴で正装して迎えるかと思ったが、まったくその気配はなかった。
 最前列の席をとった与太郎は、ステージの最後に、アンコールや花束
の儀式も終えてから、マエストロにプレゼントすべく、将棋の駒を用意
していたのである。だが、ふりかえると中学生や高校生ばかりの客席に、
気分をそがれて、そのまま持ち帰ってしまった。
 
 もともとアンコールは、聴衆に求められれば、プログラムの途中でも
おなじ曲を繰返していたのである。いつごろからか、作曲家が別の新曲
を(宣伝のために)披露しはじめたのであろう。現代の聴衆にとっては、
一曲トクした気分になり、知らない曲にめぐりあうきっかけにもなる。
 図に乗った聴衆が、入場料のモトを取るために、延々と催促の拍手を
続けて、三曲くらい弾かせることもある。
 
 神戸大震災の第一夜から、約二ヶ月にわたってNHKテレビは、同じ
作曲家、同じ曲目、同じ演奏家(未詳)によるCDをくりかえし流した。
 これを契機に「あの曲は、二度と聴きたくない」という人がいるかも
しれないが、ジャズ・サックスの演奏するCMが登場するなど、この曲
の好感度は相当なものである。
 演歌が「日本のこころ」であるなら、または文部省唱歌が清く正しい
ものなら、このような大事故のあと、人々の心を安らげるはずである。
しかし、シャンソンもジャズもロックも、あるいは賛美歌さえも、ほん
とうに深刻な事態にはそぐわないことが証明されたのではないか。
(地味な曲だから誰も気に留めなかった、という反論もあろうが)。
 あらかじめNHKは、このような未曾有の大事故に備えて、この曲を
定めていたにちがいない。それが見識というものである。
 バッハ《無伴奏チェロ組曲》全6曲にかぎらないが、楽譜を読めない
人も、各曲の表題をながめるだけで、理解が深まるにちがいない。
 下記のHPは、MIDI(シンセサイザー)の演奏付で、簡潔な一覧表に
まとめられている。
http://falsetto.infoseek.livedoor.com/jfalsetto500.htm
 
 Rostropovich, Mcten  19270327 Soviet Russia 20070427 80 /
 Orkis, Lambert Lambert 1946‥‥ America /pianist
https://dukesoftware.appspot.com/pianist/Lambert_Orkis/
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%A5%ED%A5%B9%A5%C8%A5%ED%A5%DD%A1%BC%A5%F4%A5%A3%A5%C1

(20240107)
 


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