与太郎文庫
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2000年12月10日(日)  解題 〜 文学よ、さらば 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20001210
 
 四年前 (19960522)、本屋で一冊の自伝めいたものが目にとまった。
やしき・たかじん《たかじん胸いっぱい 19930620 KKベストセラーズ》
を手にとると、かつての自分のことが書かれている (P234 に引用)。
“京都のレコード屋で、チェロを弾くKさん”が、喫茶店をはじめたが
客が来ない(ここまでは正しい)。なぜか“Kさん”は、わずかな客の
前でチェロを演奏したという(?)。さらにアルバイトを頼んでおいて
給料が払えない(?)かわりに、ポンコツの車を差し出した、とある。
 話を面白くするために、記憶が前後することはあるとしても、アルバ
イトとポンコツとチェロは、もとは別々のエピソードである。非関連な
状況を組みかえて、愚鈍なキャラクターに描かれては許しがたい。
 さしたる悪意もなさそうな著者を叱ってみても、どうなるものではな
いが、しばし不愉快がつづく。しかしまた、自分のことが一行も書かれ
ていなかったら、もっと虚しい気分になるのではないか。
 そこで架空対談の形式で《くたばれ!たかじん》を書いてみた。実在
するが話したこともない人物を選んで対話する。状況設定は空想だが、
発言内容はすべて事実にもとづく。ついでに大阪弁と京都弁のちがいや、
下世話な表現なども(おおくは絶滅目前とみて)記録しておく。
 
 分子生物学の利根川進教授が、テレビ・シンポジウムでいわく、
「ある時ふと、誰かのことを思いだす。この現象はなにか?」
 ヒトに関する数々の不思議のなかで、最後の謎は“記憶”ではないか
という提言である。
 老人の昔話が若者を退屈させるのは、記憶に互換性がないためである。
その内容も出し入れするごとに修正されるのではないか。さらに疑えば、
数年前の自分は現在の自分と、かならずしも同一性はないらしい。
 そこで、過去の記憶を再確認するために、ほとんど会話のなかった人
にあてた書簡《ポール先生、さようなら》を書いてみた (P239) 。主に
高校時代の記憶をもとに《教え子の消息》の続編とする。さきの《くた
ばれ!たかじん》のように、実際に投函するかどうかはわからないが、
それぞれの記憶の発掘である。
 自伝の構想は、中学三年以来とだえることがなかった。
 文学的嗜好にとらわれず、従来のいかなる形式にもそぐわない手法を
めざし、数人の読者を想定しながら、なるべく六十歳ごろに完成したい
と考えていた。ようやく還暦をすぎて目標なかばに達したものの、その
形態は当初の予想とちがって、たえず未完成でありつづけるための工夫
がもとめられている。
 かくして長編文学の概念は過去のものとなり、紫式部やプルーストの
ように思うまま書きつづけたとしても、これに追随する読者は激減し、
やがて絶滅するのではないか。
 したがって、この分冊(IP-EX01)は、自伝資料の一部ではある
が、自伝そのものではない。
 
── 読売新聞社、NHK主催の、ノーベル賞受賞者を迎えてのフォー
ラム「21世紀への創造」東京第3セッション(11月18日、専修大学)
と札幌セッション(11月19日)に大江健三郎氏が参加。12月7日
付け読売新聞によると、東京第3セッションで大江氏は知識人を「他人
に対して寛容な人」と定義し「原発や環境など様々な問題に対して原理
原則を持ち、現実を見ていける人だ」と語り、不寛容なシステムへの反
対していく決意を語ったとのこと。札幌セッションの基調講演で大江氏
は、自身のウィリアム・ブレイクの、科学を賞賛しつつ疑いもする思想
を紹介し、「科学とは何か」を科学者と市民とが対話して考えていく必
要性を訴えた。また、立花隆氏の司会で、ノーベル生理学・医学賞受賞
者の利根川進氏と大江氏との対談も行われた。(19981212)
http://www.ops.dti.ne.jp/~kunio-i/personal/oe/oenews.html
── 読売新聞社&NHK主催《フォーラム「21世紀への創造」19981119 札幌》
 
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 Texts 〜 紙よ、さらば 〜
 
 この分冊の対象とする期間は 1946〜1972 年にわたる。
 それ以後の連続を示すために《盤外長考》《失われた日々の顧展》や、
さきの《くたばれ!たかじん》《ポール先生、さようなら》を加えた。
巻末の《作品目録》は、いまのところ心おぼえにすぎない。
 
 かつて孔版印刷や活字で公表した文章をあつめ、テキスト・ファイル
に入力 (1985〜1995) していたが、前後の記憶をつなぐための註釈に、
知人友人の文章を加え、あわせて関連する文献・出典なども引用するよ
うになった。
 日付のない自註は、おおむね編集期間 (19960523〜200012ca) のもの
である。引用文も(しばしば同意しかねるものも選んで)それぞれ文末
に掲載誌紙名と出版年月日を付した。
 登場人物の生没年月日をくわしく列挙したのは(別のおもわくもあり)
二十年来のデータ・ベース《生没総譜》による。
 脚注・補注・傍注・脚注の他、ときに任意の表題(諸太郎、など)を
もうけて独立した。外枠および署名のないものがこれにあたる。
 私的書簡については、自分のものをふくめて父の手紙など、ごく一部
を除いて書簡分冊(IP-EX-0)にまとめる(ここでは非表示=□□)。
 つぎの画像分冊(IP-EX02)は 1973〜1985年にわたる作品集で
あり、“Pax Adlib”を副題とする。
 ここでの画像処理は、MS-Excel 97 上で可能な図形表示によるアイ・
キャッチャーに換え、一部スキャナーを用いたが、将来の汎用性に疑問
があり、現段階ではダミーとする。
 ところどころ意味不明の書込みや、不用意な重複があるのは、つねに
完成しないファイル・ブックを一時的にプリント・アウト( on demand,
last updated ) していて、書籍の面影はあるものの、どことなく古典的
な叙述にそぐわないのは、ワープロ専用機から表計算ソフト“Excel 97”
に移行したためである。
 
 かつてカード中心であった文書管理が、ワープロの出現によって劇的
に変貌して(別稿《さらばカード 1985〜1987 》参照)まもなく、また
もや旧式となったテキストを“MS-DOS”“CSV”などの原型にもどし、
いかなる手段をもってしても“Windows 95”に参入しなければならない
時代に突入したのである。この変換作業には予想以上の紆余曲折があり、
初期のワープロ・ソフトが過去の文書形式を踏襲するためのものである
ことが露呈された。
 このときすでに表計算方式への復帰がはじまっていたらしい。
 かつて原稿用紙と帳簿は、意識や思考において別の領域にあったが、
いまや“Excel 97”などの表計算ソフトは、ワープロ・ソフトの機能も
あわせもつ。すなわち帳簿は原稿用紙に代用できるが、原稿用紙は帳簿
として使えないばかりか、国際的汎用性がない。
 
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 Files 〜 さらば、あとがき 〜
 
 小学生のガリ版ではじまり、中学高校時代の活字・活版を経て、美術
学校で写真植字(石井書体)に遭遇したときのショックは大きい。その
後オフセット(平版)印刷の技術向上が、二十年もつづいた。そして、
ついにワープロ(電子印字)が登場して二十年、こんどは送受信できる
HTML(ホームページ検索言語)の出現にいたった。
 いずれ《さらばワープロ》から《さらばエクセル》に飛躍する気配も
なくはない。表計算の原理は、とくに進歩の形跡がないため、ひとたび
空想的なアイデアが実現すれば、だれも予想しないようなソフトが登場
する可能性があるのではないか。HTMLに合流しただけでも、待望の
《さらばプリンター》に、いま一歩近づいている。
 だれも予想しなかったパソコンの普及は、数十巻の百科辞典でさえも
わずか一枚の CD-ROM に保存・複製できることになった。
 その素材単価も、すでに一ドルの半ばに接近しており、単純計算では
十五年前の5インチ・フロッピーなら二十万ドルを要したのである。
 
 部分的な構想にあたっては、つぎの諸作を模倣している。
 命題は、アウグスティヌス《告白》より、時間とは何か?
 時系列については《春秋左氏伝》
 自伝的基調は、プルースト《失われた時を求めて》
 文体は、ファーブル《昆虫記》、原題は「昆虫の回想」
 導入部のアイデアは、メルヴィル《白鯨》による。
 
 旧い友人に会って話をしてみると、おなじエピソードについても双方
の記憶は、いくぶん異なったストーリーに変形して保存されている。
 記憶にも共鳴現象があるらしく、この分冊がまとまりはじめたころに
中学時代の本宮先生から、四十五年ぶりの電話と書簡 (Let'20001010)
をいただく。
 教え子として、これほど嬉しいのだから、教え子の消息もまた先生に
とって(彼が問題児であったとしても)喜ばしからずや。
 この分冊を献呈したあとは(あまり遠慮せずに)しばしば手紙を書い
て(あまり長いものは迷惑だろうけれども)、そのやりとりを(疎遠に
なった友人たちにも)なるべく伝えよう。
 
 その当時どう思ったか、あるいは今どのように考えているか、などを
あまり強調すると(余分な流れを生じて)歪曲修正することになりかね
ない。事実を記録するといっても、部分的には自分の都合で判断できる
ので、なるべく都合のわるいことがらも収録したつもりだが……。
 書きちらした草稿のなかで、愛着のあるパロディや小噺に《イランの
ばか》《傾老の日々》《杉さかやの客たち》、音楽自伝に《双竜外伝》
などがあり、いずれ匿名のホームページにでも連載するかもしれない。
(Last updated 20001210) (20080629)
 


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