与太郎文庫
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2000年10月01日(日)  望郷

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20001001
 
 Let'20001009-1019            本宮 啓
 
 阿波君、本宮です覚えていますか。お久し振り。同中新聞部であんな
に活躍してた君が高校に上がって留年までしてシンホニエッタ作りに尽
くされたこと、私が同響再建に就職をふってまで同志社に居残ってしま
ったと思い合わせて、君に近親感を持っていたのに、中学卒業後、一度
もお合いもせず、電話やお便りするでなし、既に四十年以上たってしま
いましたね。どうしておられるのですか、御事情もお有りでしょうから
今日はそこまでお尋ね致しませんが、早速今日お便りした用件を申し上
げます。
 終戦直後同響再建と同時にジュニアシンホニーを作ってやっていた事
は御存知と思いますが、昭和四十九年にフル編成のオーケストラにし、
高校も同時に管弦楽部が出来、一体となって同志社ジュニアシンホニー
としてベートーベンチクルス完遂し大学なみのオケに発展した事はお聞
き及びかどうか知りませんが、今同志社中高の音楽クラブの歴史を書い
て居ます。ブラスバンド部にあきたらず、弦を加えてシンホニエッタを
作った君の情熱も大事な歴史の一ページとして記録に止めるべく、随分
と君を探しました。シンホニエッタの出たプログラム類は何とか集めま
したが全部かどうかは分りません。この歴史は私が傍目で見て書くだけ
では詰まらなく、是非当時の状況や君自身の理想や意気込み、御苦労な
どを書いてもらいたいと思います。これは君らの青春の歴史であると同
時に学校の大切な歴史でもあります。お手数ですが是非とも書いて下さ
い。
 京都に来られたら気楽にお話しに来てください。お電話なんべんして
も通じませんが、良ければ君の方からでもして下さい。
 お元気で頑張って下さい。シンホニエッタの事はきっと書いて下さい。
                         ではまた。
 十月九日
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 Day'20001014

 本宮先生より電話「わかわかしいバリトン」
 十月九日、(二十八年目の)偶然的な日付!
 お誕生日を聞く(1924-19250308 は誤りで、正しくは 19240320)。
 郵便の配達に行違いがあって、電話で担当者をしかる。
 シンフォニエッタ・メモリーズ
 メンバーズ・リスト(最新住所録)参考資料=ホザナコーラス名簿
 思い出の一曲/思い出すこと/気づいたこと(訂正すべき箇所)/
 〜 続・音楽のすすめ 〜(1958〜1960)
 HP=同志社マンドリン・クラブ(詳史)/同響(表紙のみ)

 同窓会本部に電話して、リサーチ協同の記載(TEL)を削除すること。
 同志社同窓会本部ホームページの確認
 若林通夫の実家、ポール先生、森田昭典先生の消息を知ること。
 有賀誠一、木下聖治の所在確認のこと。
 馬場君にシンフォニエッタ・メンバー・リスト完成の協力を得ること。
 
■20001025 望郷 〜 未投函草稿 〜
 
 若林通夫君の文章《カンヌより同響の皆様へ》は、同響七十周年定期
演奏会のプログラムから、馬場久雄君がコピーして送ってくれました。
彼はシンフォニエッタにおける最後の後輩として、1965年ころまで親交
がつづいたのですが、些細なことから疎遠となり、1969年に電話をかけ
たのを最後に、その翌年パリ留学のことも他からの情報で知りました。
 彼がファゴット奏者として、はたして本場ヨーロッパで通用するのか
心配でもあり、ダメならダメで、ケロリとして戻ってくればそれもよし、
と考えていました。京都市立音楽大学の卒業生に消息をたづねてもよく
わからないまま、馬場君と再会の折に「彼は、オレの態度を誤解したま
まらしい。ほんとにヨーロッパに居るのなら消息を知りたい」ともらし、
その後も気になるので、あらためて馬場君に電話したのです。
「彼が、うわさ通りヨーロッパのどこかのオーケストラで働いているの
なら、われわれの手で日本での演奏会を準備してやることはできないか」
 馬場君にとって、私のアイデアは、むかしとおなじ突飛なものらしく、
「他のメンバーに相談してみる」ということでした。
 私の構想では、NHK交響楽団もしくは京都市交響楽団にかけあって、
モーツァルト《バスーン協奏曲》および室内楽演奏会、さらには母校の
小学校から中学高校大学での講演などを設営するというもので、オール
同志社のバックアップによって、いずれも超満員にできるのではないか、
という壮大なスケジュールなのです。
 温厚篤実な馬場君は「あいかわらず、アワくんらしいな」と判断して、
(私をなだめるために)数年前のプログラムをコピーして送ってくれた
のです。
 電話の直後、プロ野球では野茂英雄がアメリカ大リーグに挑戦すると
いう大事件が勃発、われらがワカバヤシもヒーローなのだ、と再認識し
ました。
 そもそもの構想は、ジョークとして、シンフォニエッタ結成四十周年
を記念(いまも存続していれば)、延五百人に達しているであろう仲間
から一律に一万円づつ徴収し、NHK交響楽団もしくは京都市交響楽団
にかけあって特別公演を開催する。そのプログラムは、かつてわれわれ
が練習した曲目に限定して、ムリヤリ演奏させる。ついては、せっかく
の機会だから、せめてリハーサルの時だけ、オレが指揮したいがどうか。
しかし、これだとオレばっかりエェカッコして、君らの顔が立たないか
ら、要所々々で君らも演奏する。そして指揮者のボクが、プロの楽団を
こっぴどく叱りつけて、みんなで永年の溜飲を下げる。さしづめゴリが
実行委員会の代表、バンバが専務理事という役どころでどうか?
 ゴリもバンバも、その場では笑っていたのですが、まさか本気で考え
ていたとは気づかなかったらしいのです。私は、このアイデアは基本的
には大真面目なのです。さすがに自分で指揮することはないにしても、
おなじ同窓会をするなら、これくらいの規模は可能だと考えています。
(未完)
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 本宮先生への草稿《望郷 〜 教え子の消息 〜 Day'20001025-1028 》
 最終的には、同窓会本部の協力をもとめて、最新の住所録になるよう
予定しています。


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