与太郎文庫
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1991年02月21日(木)  風変りな著書 〜 デザルグ生誕400周年 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19910221
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000
http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html
 
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19910221
 Ex libris Web Library;DYALING by Desargues
http://mathdl.maa.org/mathDL/46/?pa=content&sa=viewDocument&nodeId=2591&bodyId=3647
 


 Desargues, Girard 15910221 France 166109-10‥ 70 /〜《Brouillon projet des coniques》
http://www.com.mie-u.ac.jp/~kanie/tosm/humanind/jinmeit4.htm#Desargues
 
 Chasles, Michel  17931115 France 18801218 87 /1845‥‥ デザルグの著書を再発見
http://www.com.mie-u.ac.jp/~kanie/tosm/humanind/jinmei_s.htm#Chasles
 
 Monge, Gaspard  17460509 France 18180728 72 /ガスパール・モンジュ
http://www.com.mie-u.ac.jp/~kanie/biograph/monge.htm

 
── 風変りな思想家としては、たとえばデザルグがいる。或る伝記の
中に、彼のことについて次のようなことが述べられている。「デザルグ。
一五九三〜一六六二年。彼は全く天才的な建築家、および幾何学者であ
ったが、その人物は酔狂とは言えないまでも、いささか風変りだった。
つまり彼は世間に対しては、自己顕示欲の強い人物とは真の意味で対極
にある人てあった。自分の主著を、顕微鏡でなげれば見えないような小
さな活字て「ばら紙」に印刷させ、ごく親しい友人たちにだけそれを配
った。否、それだけではなかった。この誇り高い謙虚さでさえ、彼にと
ってはまだ十分ではなかったのである。彼はこの、ともかくも手に入れ
にくい「ばら紙」の中で、全く数学的でない、植物学から借りてきた暗
号を使った。すなわち幾何学の事象を言い表わす時には常に、根、枝、
茎、花などについてしか語らなかった。そう思いこんだとしても当然だ
が、同時代人は彼のことを夢想家か愚か者であると見なしていた。フェ
ルマやパスカルのような真に偉大な数学者だけが、このリヨンの賢者に
ついて別の意見を持っていた。彼らはこのことについては全く正しかっ
たのである。というのも、デザルグは射影幾何学の本来の創始者であり、
今日、一般的に彼の名前のついた定理は新しい幾何学の構築のために非
常に大きな意味があり、その定理は、たとえばピタゴラスの定理の重要
さにほとんど劣るところがない。(彼の主著は失われてしまった。失わ
れてもよいという覚悟があったのだから驚くにはあたらない。)
 だがそれは偶然であった。或る別の男(偉大なフランス人の幾何学者、
シャール)が或る時、パリのセーヌ河岸にある古本屋て本をぱらぱらと
めくった。まさにこの専門家、数学史家が、こうして失われていたデザ
ルグの主著を一八四五年に再発見したのであった。」(P19-20)
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/400336581X
── クレッチマー/内村 祐之・訳《天才の心理学 19820118-19880516 岩波文庫》
 
(20111110)
 
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