与太郎文庫
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1991年01月12日(土)  OMRON 〜 立石家の人々 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19910112
http://www.hatena.ne.jp/adlib/activities
http://twitter.com/awalibrary
 
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000
http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19910112
 
 Ex libris Web Library;立石 義雄(オムロン名誉会長)
http://www.doshisha.gr.jp/from/greeting/2011.html
 同志社中高同窓会事務局から » 2011年度会長挨拶
 
…… 立石義雄の同級生・清浦圭明の曽祖父は、子爵・総理大臣の圭吾
である。義雄の父は、熊本中学五年のころ進学相談のため会見している。
 
「東京でどこか書生にでも住み込ませて大学へ行かせたかですが、何と
かならでっしゅうか」と母(義雄の祖母)がいうと、かの大物政治家は
「これからの世の中は、学歴よりか実力だから、そう無理して大学へ行
くまでもなかろう」と答え、会見は失望におわる。《私の履歴書》P154
 
 中学五年当時17歳とすると1917年のころである。
 清浦圭吾は67歳、七年後に首相23 [19240107-19240611] となる。
(以下、それぞれの旧字は、奎吾・奎明・一眞)
 
 外国の賓客を泊めるほどの、大丸の下村別邸は別格としても、京都の
鳴滝別荘地には豪商の屋敷が並んでいた。のちに立石電機がオムロンと
改称したのは、その一角である御室の地名に由来する。六兄弟姉妹は、
ここで育った。かくいう与太郎も、この地で母の胎中にあった。ただし
ツバメヤの番頭だった父が新婚当時、管理人をかねていたにすぎないが。
── 阿波 雅敏・編《虚々日々 20001224 阿波文庫》(※一部修訂)
 


 立石 孫一 一真の祖父 18‥‥‥ 佐賀 18‥‥‥ ? /熊本に移住、盃屋を開業。
 立石 熊助 一真の父  1866‥‥ 熊本 19080326 42 /号=寉山/P137
♀立石 エイ 一真の母  1876‥‥ 熊本 19341201 58 /P144
♀立石 元子 一真の前妻 1911‥‥ 愛知 19500825 39 /山田 鎌三郎の長女/19280920 結婚
♀立石 信子 一真の後妻 1900‥‥ 京都 19880128 88 /四方 誠一の母/19611110 再婚
 立石 一真 立石電機  19000920 熊本 19910112 90 /19330510 創業/19480519 設立��
 立石 晋  一真の弟  19‥‥‥ 熊本 19‥‥‥ ? /大丸勤務/オムロン取締役
♀立石 啓子 一真の長女 1929‥‥ 京都       /四方 誠一の妻/19511208 結婚
♀立石 明子 一真の二女 1930‥‥ 京都 1931‥‥  0 /P144「20ヶ月足らず」
 立石 孝雄 一真の長男 19321102 愛知 19951122 63 /19611124 下世古 峯子と結婚��
 立石 信雄 一真の二男 19360606 大阪       /P182都島��
 立石 義雄 一真の三男 19391101 大阪 京都     /P183野里�個昂擦醗貽�ちがい
♀立石 会美子 義雄の妻 1940‥‥ 京都       /旧姓=市田(同志社大学の後輩)
♀立石 順子 一真の三女 1942‥‥ 兵庫       /P184甲子園口/通称=次女
 立石 忠雄 一真の四男 19440305 兵庫       /20080624 副社長退任/P184甲子園口
 立石 文雄 一真の五男 19490706 京都       /20080624 副会長就任/P184-6鳴滝
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 作田 久男  OMRON  19440906 愛知       /200306‥0424 代表取締役
 赤星 慶一郎 OMRON  19480206 ‥‥       /200806‥ 取締役副社長
 滝川 豊   OMRON  19471121 ‥‥       /200806‥ 取締役副社長
 冨山 和彦  OMRON  19600515 ‥‥       /200706‥ 当社取締役
 桜井 正光  OMRON  19420108 ‥‥       /200806‥ 取締役/元リコー会長
 尾迫 勉   OMRON  19480127 ‥‥       /200206‥ 常勤監査役
 安藤 聡   OMRON  19550127 ‥‥       /200706‥ 常勤監査役/元東京銀行支店長
 千森 秀郎  OMRON  19540524 ‥‥       /200206‥ 非常勤監査役/弁護士
 長友 英資  OMRON  19480707 ‥‥       /200806‥ 非常勤監査役/元東京証券顧問
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 山田 義仁  OMRON  19611130 ‥‥       /201106‥ 代表取締役社長
 森下 義信  OMRON  19490922 ‥‥       /201206‥ 代表取締役副社長
 作宮 明夫  OMRON  19520910 ‥‥       /201106‥ 専務取締役
 冨山 和彦  OMRON  19600415 ‥‥       /200706‥ 取締役(社外)
 湯川 荘一  OMRON  19490420 ‥‥       /200906‥ 常勤監査役
 川島 時夫  OMRON  19590122 ‥‥       /201106‥ 常勤監査役
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 江藤 秀信 OMRON 太陽 1944‥‥ ‥‥       /200306‥“車椅子の社長”20080616退任
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 清浦 奎吾 総理大臣23 18500327 熊本 19421105 92 /嘉永 3.0214/ [19240107-0611]
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19240107 鰻丼鰻香 〜 清浦家の人々 〜
 清浦 圭明 奎吾の曾孫 1939‥‥ 京都       /横浜ゴム本社専務退任(奎明)

 
http://www.omron.co.jp/ir/keiei/tori_kan.html(廃)
 オムロン取締役・監査役のプロフィール
http://www.omron.co.jp/ir/corporate/tori_kan.html
 
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 還暦で再婚 〜 長女のしゅうとめと 〜    立石 一真
 
 昭和二十五年、妻の元子を亡くして以後、私はばあやさん相手に男手
一つで六人兄弟を育てた。当初はカゼをひいたり、おなかをこわしたり
で、終始小さな子供にふり回されたので、これではかなわんと、そのこ
ろようやく身についた西式健康法を子供たちにも実行するよう命じた。
まず朝食抜きと温冷浴から始めさせ、ビタミンC補給のためにできるだ
け生野菜を豊富にしたり、柿の葉の茶を飲ませたりした。これですっか
り丈夫になった。健全な精神は健全な身体に宿るとはまことで、つべこ
べいわなくても適当に勉強し、長男は京大、二男、三男、二女は同志社、
四男は甲南、五男は慶応とそれぞれ好きな学校へ入り、次々に私の会社
を手伝ってくれている。(略)
 長女啓子が嫁して十年目に私に再婚話が持ち上がった。妻を亡くした
ころ、再婚話がなかったわけではないが、寂しいながらもせっかくむつ
まじく暮らしている家庭に、まま母まま子の関係が生まれると、家の中
がうまく運ばなくなること必定とみて、私はずっとその話には耳を傾け
なかった。これは理屈ではなく、本能的なものであり、おまけに世間も
何かありそうな目を向けるからでもあった。
 今度の相手はほかならぬ啓子のしゅうとめ信子。彼女は宝酒造の創立
者・四方卯三郎氏の長女で、養子に仲蔵氏を迎え、誠一君を頭に三男一
女の母であった。啓子の嫁入り直前に仲蔵氏が他界した後も、四方家の
政所的存在として重きをなしていた。何不自由ない生活なので、つい人
にたのまれては結婚話の取り持ちをすることが多かった。巷間�犢盧讐悪�
の異名をちょうだいするほどだった。
 実のところその�犢盧讐悪瓩亮茲蟷�ちで長男孝雄の結婚話がまとまっ
た。(略)見合い写真は近くの知り合いから別のルートで三度も届けら
れたので、よくよくの縁だと�犢盧讐悪瓩里�出ましを願った。話は見合
いからトントン拍子に進み、一年近い婚約時代に入った。
 そんな境界のせがれから見ると、愉快に飲んで夜遅く帰宅したときな
ど、ひとりぽつねんと新聞を読んでいる私の後ろ姿がいかにも寂しく見
えたらしい。そこで兄弟姉妹語らって父親にも格好のお相手をというこ
とになり、四方家の政所をスカウトすることになった。政所なら、今ま
で啓子を母代わりに慕ってしげしげと訪れていた子供たちの気持ちもわ
かっているし、子供たちも「おばちゃん、おばちゃん」となついている。
(略)そう決まれば、孝雄たちの結婚式の前に挙式して、両親そろって
嫁を迎えるにしくはなしと、三十六年十一月十日新装なった京都国際ホ
テルにおいて五十四歳の花嫁と還暦の私の再婚式を挙げた。次いで同月
二十四日に孝雄たちの結婚式を行い、新婚の二人を祝福することが出来
た。信子は立石家の人となってからも�犢盧讐悪瓩遼槊里鯣�揮、子供の
嫁や婿探しを全部取りまとめてくれた。
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/4532165059
── 《私の履歴書 19921020 日本経済新聞社》P204-6
── 《私の履歴書 〜 昭和の経営者群像 〜 197405‥ 日本経済新聞》連載
 
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 ここで立石一真氏は、信子夫人を五才年下と信じているが、死亡記事
から逆算すれば同い年である。京都大丸での実演販売(P171-2)は、弟
の晋(故人)が勤務していた縁(P181)とみられる。
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19870804
 大企業病 〜 人と事業活性化 〜 新社長に聞く 〜 立石 義雄(重複)
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19540725
 Ecce Homo/最後のキャンプ・ファイアー/人と事業活性化
 
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(20060424-20080916)(20121111)
 


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