与太郎文庫
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1971年08月01日(日)  PEP 〜 中川 秀雄とその世界 〜

 
 Ex libris Web Library;東京の夜に泣いている
── 大本 恭敬・詞&曲/森岡 賢一郎・編曲《東京の夜に泣いている 1970.... 東芝》
http://blogs.yahoo.co.jp/rahyale/34006226.html
 古城 たかし   歌手 194.‥‥ 京都 /籍=?/古城 たかしとブル・ータッシュ
 
── 曲谷 守平・監督《東京の夜は泣いている 19610322 新東宝》松尾 和子・唱
http://movie.walkerplus.com/mv28318/
 
 「珍らしい男を紹介しよう」といって某氏が電話をかけてきたのが、
昨年の春である。その前に、彼に関する予備知識を吹きこんでおこう、
といったにもかかわらず、機会のないまま、某日、某喫茶店で初対面と
なった。
 このとき、彼中川秀雄は、名刺を出さなかったが、それもそのはず、
これから新会社を設立して、みずから社長に就任する、というのが、そ
の日の主な用件だった。
 口数のすくない彼に対して、私はちょうど二十の扉みたいに、ひとつ
ひとつ質問を重ねることを考えた。ところが、彼と紹介者のやりとりを
聞いていると、私の思惑にはおかまいなく、すでに私がその新会社のメ
ンバーとして、いうなれば既成の事実として、語られていた。なかなか
面白いじゃないか、と私はヒザを乗り出した。
 「それで、何をやるのですか」
 「レコードを、創ります」と即座に中川氏は答えた。
 「つまり、アングラ・レコードですか」
 「いや、マイナー・レーベルです」
 「ははあ、どうやって作るんです」
 「それは私に任せてもらいます」
 「すると、私は何をやればいいんです」
 「何か、の時には協力してください」
 「さしあたり、どうしましょう」
 「設立登記書に判を押して、印鑑証明をあげてください」
 まったく、簡潔な応答で、すべては中川氏のペースで進行したわけで
ある。紹介者に対する私と彼の信頼が、おそらく充分だったこともあり、
私の想像もおよばない思考と意図が、彼の頭脳を満たしているにちがい
ない、と判断せざるを得なかった。
 まもなく《ペップ・ミュージック・サービス株式会社》が発足し、そ
の第一作のLP盤《バイキング・シリーズ第1集》が完成したらしい。
らしい、というのは、あれ以来、私はPEPのことを思いだすこともな
く、その事務所を訪れる用件もなかったからである。
 暑い日、中川氏から電話がかかってきた。
 「写真を撮ってもらえますか」
 「何を撮るんですか」
 「古城たかしとブルー・タッシュです」
 数年前から私は、自分でシャッターを押すことをやめていたが、二三
の状況から、三脚をかついで出かけることになった(19700806 10:00)。
 真夏の太陽のもと、熱い石段を舞台にして私は、彼らひとりひとりの
顔をフイルムにおさめ、中川氏はコカコーラを運んできた。
 「来春早々に、彼らのレコードが出ます」
 「マイナー・レーベルですか」
 「いや、メジャー・レーベルです」
 「ははあ、PEPはナベ・プロみたいなこともやるんですか」
 「いえ、プロダクションではないんです」
 「よくわかりませんな」
 「そのうち、わかっていただきます」
 乱暴な話である。どだい、マイナー・レーベルそのものが、なぜアン
グラ盤ではないのか、その区別もつかない私は、はじめて訪れた事務所
で、PEPの最初のLPを見せてもらった。ジャケット裏の、荒川洋氏
の解説を読んでも、まだよくわからなかった。以下はその大意である。
 
…… ここにバイタルなパワーを持った、ひとりの青年がいる。関西と
いうより、日本のアマチュア軽音楽界をリードし、育ててきた青年であ
る。彼の影響を、すくなからず受けているグループに、タイガース、
フォーク・クルセダーズ、シューベルツ、ザ・ダーツ、そして高田恭子
など、その数はあまりに多い。
 アメリカの場合、数年前からの傾向としてレコードの製作は、メージ
ャーからマイナーへの推移が目立ちはじめ、現在数しれぬほどのマイナ
ー・レーベルが、ひしめきあっている。メージャー・レーベルでは、新
しいポップ・サウンドをコンピューターでひねり出すようになったが、
あの広大な全米土で、異なる社会的背景や、精神的風土を分析し、それ
ぞれの状況のもとに要求される、新人像の発掘は、きわめて困難である。
 ここに、限られた範囲での発掘機関としてマイナー・レーベルが台頭
する必然性があった。マイナーによってピック・アップされたグループ
が、やがて全米から世界各国のヒット・パレードに進出した例は、数し
れない。
 日本の場合、たとえばフォーク・クルセダーズが、メージャー・レー
ベルで空前のヒットを飛ばして以来、無数のアマチュア・グループが出
ては消え、消えてはなくなった。低廉な製作費で大きな利益をもくろむ
メージャー・レーベルのひとつの顔が、そこにみられたわけである。
 だが、これらの一連の大きな流れの中で、二つの問題点があきらかに
なった。
 ひとつは、狭い日本にあっても、たとえば関西と関東では、支持者の
好みがまったく異なることである。全国的な販売網にものいわせて、全
国的なヒットだけを評価してきた、メージャー・レーベルの誤算が、無
数のアマチュア・グループを活かしきれなかった。
 もうひとつは、プロのソング・ライターであっても、自作が他人に歌
われるよりも自分で思いどおりに歌いたい、という自作自演への欲求で
あった。この種の根づよい終着は、ひいてはアマチュアリズムの再評価
となった…… 。
 
 「二枚目のLPができましたよ」と中川氏が電話をくれたとき、実は
こんどレコード屋をはじめることになった、と私がいうと、彼は「ゲっ」
といって絶句した。ややあって、
 「けっこうですねえ……」
 おそらく、メージャーとマイナーの区別が、ようやくつきはじめた私
の商品知識に、したたかな不安を抱いたようである。私は受話器を置い
てすぐ、彼を夜の工事現場に案内することにした。
 「PEPは、何をやればいいですか」
 くらがりの中で彼がいったので、私は、
 「何か、の時に協力してください」と答え、さしあたり、12月3日の
開店にあわせて、フォーク・グループ《ジュン・ジュン》が、4日には
《古城たかしとブルー・タッシュ》がそれぞれの持ち唄、すなわち目下、
有線放送でなかなか人気を得ている《東京の夜に泣いている》などを中
心に、寒風の吹く店頭で、デモ演奏してくれることになった。
 「こんど私、テレビに出るんですよ」
 「彼らのマネージャーとして、ですか」
 「いえ、なんというかタレントとしてね」
 「おやおや、なんて番組です」
 「笑わないで下さい《そっくりショウ》という番組なんです。今回、
似ている人が意外にすくないとかで、無理をいわれましてね」
 「いったい、だれにそっくりなんです」
 「笑いませんか、スガハラ・ヨーイチ」
 こんどは、私が絶句する番らしかった。(この項つづく)
 
── 《有人総目録NH00101 19710701 Awa Library Report No.5》
 


 菅原 洋一  歌手   19330821 兵庫 /〜《知りたくないの 1968》
 中川 秀雄 PEP社長 194.‥‥ 京都 /〜《さよならのビアガーデン 196・》
 荒川 洋   音楽評論 194.‥‥ 京都 /近畿放送勤務〜PEP
 鈴木 ヒロミツ 歌手 19460621 満州 東京 20070314 60 /籍=弘満
/モップス〜《月光仮面 19700325》/俳優、タレント
 
 やしき たかじん 歌手 19491005 大阪 東京 20140103 64 /籍=家鋪 隆仁/〜《娼婦和子 1970》
http://twilog.org/awalibrary/search?word=%E3%81%9F%E3%81%8B%E3%81%98%E3%82%93&ao=a
 
♀高田 恭子    歌手 19471024 京都 /〜《みんな 夢の中 1969》
♀片山 知子    歌手 1951‥‥ 京都 /〜《四季の歌 1970》
♀芹  洋子    歌手 19510310 大阪 /〜《四季の歌 1976》籍=善利→伊東 洋子

 
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↓=Non-display><↑=Non-display
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http://d.hatena.ne.jp/adlib/19930620
 やしき・たかじん《たかじん胸いっぱい》
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19960606
 くたばれ!たかじん
 
>>
 
 DISCOGRAPHY 1972-1980
《山頭火 / こおろぎがうたうように(EP)1972年発売》
 PEP MUSIC SERVICE CO. LTD. KL-1
 
 私は風の声を聞いた(1st LP)
 
 私は風の声を聞いた
 松毬(まつぼっくり)
 神は死んだ
 こおろぎがうたうように
 山頭火
 パーティーは終わったよ
 流転の歌
 乞食をしようと思います
 別れた人への手紙
 ボブ・ディランに捧げる歌
 
 編曲:クニ・河内
 プロデューサー:中川 秀雄
 ディレクター:栗山 章
 演奏:K.M.O.
 1974年発売 ワーナー・パイオニア L-8033E
 
 サンタ・バーバラは、ロス・アンジェルスから北100マイルのとこ
ろにある町である。その町に住んでいたことがある。悲しみと不安に押
しつぶされそうになったある日、野宿するつもりで寝袋を持って山にの
ぼった。木の下に足を組んで坐り、四弘誓願をとなえていると、強い風
が吹きはじめ、木々は恐ろしいほどの音をたてて揺れた。読経の声と木
々のざわめきは調和して全山にひびきわたった。その時である、「その
分別を捨ててただ生きて行きなさい」という声を聞いたような気がした。
胸の中の苦悩は去り、月明りをたよりに、その晩山を降りた。
 
── 片桐 ユズル/中村 哲/中山 容・編《ほんやら洞の詩人たち 19‥ 晶文社》
 
 ◆
 
 漂泊の友   (2nd LP)
 
 五年ぶりに会った友に捧げる歌
 宝福寺にて
 どっちでもよいのです
 漂泊の友
 もうゲームはしないよ
 詩集
 紙ヒコーキ
 幼い頃野原には
 俺が生まれて育ったとこは
 
 Vocal: 三浦 久
 Lyrics & Music: 三浦 久
 Arrangement: 小野崎 孝輔
 Arrangement of female chorus: 黒崎 達一郎
 
 Musicians
 田中 清 (drums)
 杉本 喜代志 (guitar)
 竹部 秀明 (bass)
 杉山 真知子 (chorus)
 連  淑絹 (chorus)
 相原 章子 (chorus)
 
 Producer: 中川 秀雄
 Director: 栗山 章
 Engineer: 石崎 信郎
 1976年発売 ワーナー・パイオニア L-8072E
 
http://www.hi-ho.ne.jp/gotta/m_disco.htm
── 《ディスコグラフィ》
 
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 ◆ 京都レコード
 
 京都レコード(きょうとレコード)は1970年代〜1980年代にかけて京
都を中心に活動していた、音楽制作会社兼音楽事務所のレーベル名及び
通称である。
 正式には、ペップミュージックサービスと呼ぶ。
 1978年からはインタースペースキョウトレコード (ISKR) と名乗り、
その後は新若者思考出版。現在、京都市山科区に同名の会社が存在する
が全くの別会社で関係は無い。
 
 目次 [非表示]
1 主な所属アーティスト
2 主な活動
3 栄光と衰退
4 復刻
 
 主な所属アーティスト
 
 河島 英五
 あのねのね(清水國明・原田伸郎)
 タンポポ(宮村保志子・宮村三代)
 堀口 ノア
 ニューアコースティックコーラスバンド(NAC)
 片山 知子
 三浦 久
 あらい 舞 (他多数)── 《Wikipedia》
 
 ◆ ディスク: 3
 
1.夢の中へ(井上陽水)
2.神田川(かぐや姫)
3.心の旅(チューリップ)
4.スモーキン・ブギ(ダウン・タウン・ブギウギ・バンド)
5.ぼくがつくった愛のうた(いとしのEmily)(チューリップ)
6.青春の影(チューリップ)
7.嫁ぐ日(はしだのりひことエンドレス)
8.たどりついたらいつも雨ふり(モップス)
9.御意見無用(いいじゃないか)(モップス)
10.愛の挽歌(つなき&みどり)
11.水色の街(三輪車)
12.四季の歌(片山知子)*
13.月光仮面(モップス)*
14.家をつくるなら(加藤和彦)
15.心が痛い(リリィ)
16.アドロ(グラシェラスサーナ)
17.白いギター
http://ameblo.jp/fukuoka-kyushu/theme-10001049657.html
── 《ベスト・フォーク100曲~青春のFolk&Pops 20051221 amazlet》
 
<<
 
── 片山 知子《シャロムの歌(別れの歌) 197. エキスプレス》
── 片山 知子《母さん,聞いて下さい 197. エキスプレス》
── 片山 知子《四季の歌 197. 》(↓画像)のちに芹 洋子がカバー
http://www4.ocn.ne.jp/~voice/page030.html
 
── たまたまこの前、70年代後半から録音してきたホモサピや英五さ
んのテープを整理していたら、このラジオCMの録音テープが出てきま
した。どんなCMかというと、バックに「何かいいこと…」が流れ、関
西人の男女のやりとりがあります。
 女性はレコード店の人、男性はそのお客といった設定です。
 
男:ホモサピのあれくれ。
女:ホモサピの何やねん。
男:何かいいことないかな。
女:そんなもんあるわけあらへん。
男:違うんや。レコードやレコード。ほら、今かかってるあれや。
女:あんた、はよ言わんかいな。はい、ホモサピの何かいいことないか
な。知ってる、あんた。絶賛発売中やねんで。
男:わかってるがな。
 
 というようなものでした。ちなみのこの女性の声は、当時、英五さん
と同じ事務所だった片山知子さんでした。
 あれから30年。ほんと月日の流れるのは、はやいものです。
── 《心から心へ》
http://eigo.to/BBS/index.cgi?action=view&disppage=1&no=878
 
>>
 
 片山 知子「フォークとは、わたし自身」
 
 ◇…このところフォーク系のレコードが再びよく売れ出している。各
レーベルも演歌路線にゴして“フォーク”界の新人発掘にヤッキ。この
片山知子(ビクター)も、どちらかというと“アングラ風”の人気者で
ある。とくに火がついているのは阪神地区。
 ◇…一見、そしてよく見ても男の子のようで、当世流行の“ジーン”
(Gパン)がよく似合う。シャツは、もちろんロペとかエドワーズ。
化粧はしない。大阪樟蔭女子大の出身というより、まだ中学生の感じが
強い。もっとも、女子大では「Yシャツのアイロンのかけ方は…」なん
ていうのどかな学問をやったそうだ。
 ◇…そんなせいか、歌っているのが高石ともやで知られる旋律「女子
大生ブルース」。
 ◇…♪ 父さん母さん期待はしないで 女子大生なんかえらくない 
石ころとばしゃ 女子大生にあたる…といった学園理事者が聞いたら、
目をむきそうな語句が並んだフォーク・ソングである。
 ◇…つまびくギターは“マーチン”。加藤登紀子が愛用し“時価××
万円”で有名なシロモノ。」サイモンとガーファンクルは好きやけど、
シカゴはきらい。日本で好きなアーチストとくになし」ブッキラボーに
答え、こうおっしゃった。「わたしにとってフォークとは、わたし自身
です」。京都でコツコツと自主出版(マイナー・レーベル)をしている
ペップの所属。二十歳。
── 《京都新聞 19700701 Awa Library Report No.5》
 
<<
 
(19710701-20060423)
 

http://d.hatena.ne.jp/adlib/19710801
https://www.mozilla.org/ja/firefox/new/(Ctrl+F)
http://awalibrary.blog.so-net.ne.jp/
 |
http://twitter.com/awalibrary(ツイッター)
http://twilog.org/awalibrary(ツイログ)
http://booklog.jp/users/awalibrary(ブクログ)
 |
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000
http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html(与太郎文庫)
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19710801

 
(20160117)
 


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