与太郎文庫
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1967年10月16日(月)  第六感の政治家 〜 田中家の初釜 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19671016
 
── 田中 伊三次[19661203-19671124]弁護士。
 彼は死刑執行を公にしようとしたことで、マスコミ・法務当局から
批判された人物である。
 彼は67年に、新聞記者に「死刑執行の様子をみんなで見ないか」
と言って、顰蹙を買っている。彼はさらにそれを当時の刑事局総務課
長(谷口繁義氏の起案書審査で疑問を持った検事と同一人物)に相談
して、ひどく叱られている。
 さらに10月16日には新聞記者を集めて、うずたかく積み上げら
れた書類を指さして「23人の死刑囚の方々の執行命令にサインしま
した。このことは新聞にお書きになっても結構ですよ」と言った。こ
のとき同席した秘書官は、苦り切った表情をしていたという。
 各社の新聞記者達は、このことを公表したら、自分たちも法相と同
じレベルになってしまうと、無視することにしたが、サンケイだけは
「公表して、世間とともにその無神経さをわらうべきだ」と言って、
カメラマンを呼び寄せ、法相がサインするポーズをするのを撮影させ
ている。(撮影の時に法相がとったポーズは、左手に数珠・右手に赤
鉛筆を持って、机に誕生仏を置いて、深刻そうな表情でもってサイン
する。という「図」だったそうである)
 彼は67年10月に23人分のサインをした。その結果、10−1
1月に23人が執行された。サイン数は24−25人。
 
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Suzuran/7136/daijin.html
 法務大臣の決済
 


 田中 伊三次 衆議院議員 19060103 兵庫 京都 19870411 81 /元法相/自民党
 田中 伊織 伊三次の長男 1938‥‥ 京都 /
 田中 伊速 伊三次の次男 1939‥‥ 京都 /
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 谷口 繁義  (別人)  19‥‥‥ ‥‥ /法務省刑事局総務課長
 谷口 繁義  再審無罪  19301203 香川 三豊 20050726 74 /20060105訃報
/19500228財田川事件0403逮捕19570122死刑確定19840312再審無罪
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 漆畑 広作  水彩画   1905‥‥ 東京   19900715 85 /日本水彩画会理事

 
 from Our Picture;195.0101 田中 伊三次
 100×141mm(年賀状)恒例第21回新年の茶会御案内 私宅内の裕窓庵
「この作品のモデルは私です」
── 漆畑 広作《或る政治家の像 195. 第四十九回日本水彩展出品》
 
 与太郎の父は、後援会会員だったので、年賀状をかねた初釜の招待状
を受けとっていた。つねに表情が明るい長男は同い年、ニヒルな面影の
次男は同期生で、いずれも同志社中学から大学に進んだとみられる。
 
── 有名人からの手紙は、庶民にとっては家宝となる。
 いまでも政治家は、独居老人にあててはがきを送りつづける。
 ここまではいいとしても、それ以上はどうか。
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20080101
 アカンベェ 〜 まさかの年賀状 〜
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20050923
 点鬼簿 〜 与太郎の過去帳 〜
 
 
 島  秋人  死刑囚 1935‥‥ ‥‥ 19671102 32 /処刑
/195904‥北陸大工の妻(?)強殺事件/短歌
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 奥野 清(A)死刑囚 1931‥‥ 東京 19671116 36 /処刑
 奥野 清(B)死刑囚 192503‥ 大阪 19670.‥ 43 /処刑196706‥−07‥執行
/19600608母(?)扼殺19640207確定“母親バラバラ殺人事件”強盗殺人共犯
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 岩崎 治一郎 死刑囚 1920‥‥ 大阪 19671116 47 /処刑
/19460717和田 五郎(46)他4人殺害19590825逮捕“生き仏の連続殺人事件”0

 
 上記期間内に該当する死刑囚は、いまのところ詳細が確認できない。
http://gonta13.at.infoseek.co.jp/newpage29.htm
 死刑囚リスト ── 《生没総譜 2006‥‥ Awa Library》
 
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── 田中 伊三次(たなか いさじ)弁護士、法学博士。
 1934年立命館大学法学部卒業。京都市議、京都府議を経て、1943年に
衆議院議員に初当選。無所属クラブ、民主党、自由党を経て、1955年の
保守合同で自由民主党に参加し、石井光次郎派に所属する。衆議院副議
長、衆議院ロッキード問題調査特別委員長、国務大臣、自治庁長官(石
橋内閣及び第1次岸内閣)、法務大臣(第1次佐藤内閣第3次改造内閣及
び第2次佐藤内閣・第2次田中角榮内閣)、自由民主党相談役、自民党顧
問、自民党司法制度調査会長、自民党党紀委員長、自民党京都府連会長
などの要職を歴任した。
 
 1976年にはロッキード問題調査委員長として、児玉誉士夫を臨床尋問。
事件に関与した疑いの強い灰色高官の氏名を公表した。また、法務大臣
当時に発生した金大中拉致事件では、韓国中央情報部(KCIA)の関与を
示唆する「第六感」発言で注目された。石井派が解散した後に三木派に
参じ、反角栄・大平を鮮明にして、ハプニング解散による総選挙では
「大平総裁の下では戦えない」と、自民党からの公認を拒否し、離党。
無所属で当選し、その後も復党せず信念を通した。1983年、総選挙に出
馬せず政界を引退。通算当選14回。
 
 主な著書
「新憲法の解明」「憲法の心 ?新憲法の基本原則?」「共産主義批判」
「理想主義政治学の理論構成に関する研究」── 《Wikipedia》
 
(20060923-20091002)
 


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