与太郎文庫
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1957年04月14日(日)  表紙画の女たち

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19570414
 
 中学生(実は高校生)だった与太郎は、女流ヴァイオリニストを描い
た宮本 三郎の作品を覚えていて、三十歳のころ(19690712)巌本 真理
との対談にあたって思い出した。概してインタビュアーは、相手が気難
しいことを予告されるので、こんども例外ではなかった。
── 《天才少年少女伝・草稿 19950506》
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19690712
 日本の弦楽四重奏談 �ヾ猖椰人�弦楽四重奏団
〜 巌本 真理・黒沼 俊夫 両氏をたずねて 〜
 
 インタビューに先だって、朝日新聞社本社に寄ってみる。
 彼女が描かれた週刊誌の表紙を思いだしたので、見せてもらいたい、
と云うと「そんな古いものは残しておりません」と断わられた。
 
 巌本さんに「それで、あの絵は貰ったんですか?」と聞いたところ、
女流ヴァイオリニストは「呉れるもんですか!」と答えた。
 その後(テレビやネットで)いろいろなことが分ってきた。
 
 そのときの表紙は、著名な女性と画家の組みあわせで競作し、読者が
人気投票するという、まことに通俗的な趣向だった。
 どうやら表紙の原画は、投票した読者の一人に与えられたようである。
 
── ばくぜんとテレビを見ていると、二つの記憶が突然むすびついた。
《週刊朝日》表紙コンクール第一位は、女優・富士 真奈美に決まった
という。そこで彼女いわく「小磯 良平先生に、あげるっていわれたけ
ど、欲がなくて、ことわったのよ」
── 《ビジュツ館街道 19950417 10:25-10:55 西日本TV》
 
 小磯画伯が富士 真奈美に「あげる」と云ったのは、思いちがいか?
 巌本 真理を描いて「くれる」と云わなかった宮本画伯は、十年前も
《主婦の友》の表紙に、わずか五歳の山東 昭子を描いている。
 
── 宮本 三郎《巌本真理 19570414 週刊朝日》表紙コンクール作品
── 《週刊朝日 19570414 朝日新聞社》\800 ヤケ綴穴
http://homepage3.nifty.com/kano-/asahi3.htm 雑誌 週刊朝日3
 
── 昭和28年5月30日。雑誌『週刊朝日』関東地区愛読者大会が東京
の歌舞伎座で開催されました。これは、吉川 英治の「新・平家物語」
連載3周年と徳川夢声の「問答有用」連載100回を記念したもので、さ
らに、当時行われていた『週刊朝日』表紙コンクールの抽選会を兼ねて
いました。
 表紙コンクールというのは、期間中に『週刊朝日』の表紙を飾った画
家の絵を対象に読者投票を募り、投票者の中から抽選でその絵の原画を
プレゼントするという企画。この時が第3回で、対象となる画家には
片岡球子や曽宮一念などの名があります。
 寄贈者の方は、読者欄の投稿者の中から編集部が選んだ全国12地区の
読者代表のうち、東海地区代表としてこの愛読者大会に招待された方だ
そうです。 ── 《草思堂から: 200602‥ 》
http://yoshikawa.cocolog-nifty.com/soushido/2006/02/index.html
 
 この表紙コンクールは、その年の秋“高校文芸誌の表紙コンクール”
という思いつきに発展し、全国の高校文芸部に呼びかけている。
 与太郎の担当する表紙を、ことさら自慢するだけに終わったが……。
 


 小磯 良平  洋画 19030725 神戸 19881216 85 /異19881206/1983文化勲章
/《個展 〜 木炭裸婦 〜 1951ca‥ 画箋堂》を鑑賞(金谷先生と)
/京都市下京区河原町五条上東側 075-341-3288
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 宮本 三郎  洋画 19050523 石川 19741013 69 /《週刊朝日》
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♀巌本 真理 Violin 19260119 東京 19790511 53 /巌本真理弦楽四重奏団主宰
/《週刊朝日》表紙競作「G線上のポーズが辛かった」
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♀富士 真奈美 女優 19380115 静岡 /《週刊朝日》表紙競作一位
/富士市出身[A]籍=岩崎 真奈美
/父=光好は東洋音楽学校でバイオリンを学んだ。のち労働運動で投獄。
母=浪江200010中ごろ没。「木枯しや、焼かれて薄き喉仏‥真奈美」。
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♀山東 昭子 元女優 19420511 東京 /自民党参議院“タレント議員”
/文化学院卒1974全国区初当選1996衆議院落選20010729比例区再選/科学技術庁長官
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♀吉永 小百合 女優 19450313 東京 /19730803岡田 太郎の後妻
/196704‥大阪毎日ホールでコンサート(京都十字屋でサイン会)
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♀藤田 弓子  女優 19450912 東京 /城南高校卒/籍=河野 弓子[A]
/《赤胴鈴之助 19590101 TBS》オーディションで吉永小百合と二人が
残った。あきらめて帰りかけると「ラジオですから」と云いながら関係
者が追ってきた。吉永小百合は、千葉周作の娘さゆり役にまわった。
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 大幡 季生 JEUGIA 19430915 京都 /立命館大卒196604‥十字屋楽器店入社
/1970《音楽京阪神》編集長/198702‥総務部長198711‥取締役総務部長
/19‥調律部門社長。常務を経て200106‥専務20030627社長

 
 なお、吉永小百合が京都十字屋に立寄って、急遽サイン会を開いた日、
与太郎が居あわせたことがある。誰かに招かれて会場に行ってみると、
いつのまにか彼女の真うしろに立つことになった。
 
 背後に立って上から眺めると、彼女の首筋はとても疲れているようで、
肌に色艶もなかった。しかし、真摯な態度で一人一人に握手する姿は、
確実にファンを増やしていった。
 
 わかい男たちが、階段の通路にひしめきあって順番を待っていた。
 マネージャーらしき男の大声が聞こえる。
「色紙を買ってください、他の紙にはサインしません。並んで並んで」
 
 ひとりの青年が、大型カメラを差しだし、必死の面持ちで頭をさげる。
 すると彼女は、すばやく手を伸ばし、カメラの金属部分に書きつけた。
 ひょっとすると、その青年は報道関係者だったかもしれない。
 
 無事に終わって事務所に戻ると、十字屋の社員が話していた。
「うちの担当者は誰やったんや?」「なんでか大幡くんが座ってたで」
「ふーん、彼なら新入社員には見えんからな」(実は2年目だったが)
 
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 おもいでのアルバム 〜 宮本 三郎&赤胴 鈴之助 〜
 
 1943年 1歳の昭子 戦争中とはいえこんな写真をとる余裕があったん
ですね。私はきょとんとしておりますが、 3歳上の兄は何故かにらんで
います。
 
 1947年 5歳 「主婦の友」の表紙のモデルになる。そのころは宮本三
郎画伯がこの写真を見て描いて下さった貴重なものです。
 
 1953年11歳 ニツポン放送のドラマ「ポッポちゃん」に出演したとき
の写真。
 
 1957年15歳 マンガ「赤胴鈴之助」のラジオ版に一般からの募集で決
まったさゆり役の吉永小百合ちゃん、藤田弓子ちゃん、3歳年上の私は
芸能界は先輩でちょっとお姉さん風を吹かせていました。
 
 1972年30歳 テニスをしているところです「スポーツ好きの山東昭子」
といったところでしょうか。
 
 1979年37歳 議員生活がスタートしたばかりの頃です。
 
 1985年43歳 国会での本会議(男女雇用機会均等法審議)の際に、演
壇で発言をしているところです。 
 
 1992年50歳 少し前の写真です、今もあまり変わってないと思います
が、どうでしょう?
 
http://www.santo-akiko.com/private.html
── 山東 昭子《ホームページ》
 
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(20060528)


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