与太郎文庫
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1954年11月27日(土)  ♪ 五木の子守唄

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19541127
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── 九州民謡/西山 龍介・編曲《五木の子守唄 1953‥‥ 孔版刷》
(合唱コンクール 19541122 礼拝堂/EVE音楽会 19541127-28 栄光館)
 
♀照菊 Terugiku 歌手 1924‥‥ 東京 1988‥‥ 64 /旧姓=飛田 静江
/1958 和田 寿三(キングレコード文芸部ディレクター)と結婚引退。
http://blog.livedoor.jp/ya2pan2/archives/tennessee.html
 
 ◆ 元禄子守唄 〜 信楽先生講義録 〜
 
── 信楽先生は六月廿八日同志社教会で洗礼を受けられました。これ
は同中にとっても近来にない喜ばしいことで今後同中が益々神に恵まれ
たよい学校になることが期待されます。/註 洗礼を受けると云うこと
は神の御前に無条件降伏し、己の罪を告白してキリストの僕になること
です。── 《信楽先生授洗さる 19530716 同志社中学生新聞第十四号》
 
 同中三美男を選ぶならば、久保誠三先生とならぶにちがいない。優男
の上山先生を加えてもよい。端正な容貌、上背のある恰幅、メリハリの
ある態度、給仕から苦学して今日あることなど、寸分の隙もない。
 三年生になってようやく、日本史の授業を受けることになった。
 信楽先生は、まず黒板に「日本三大革命」と大書して、大化の改新・
明治維新・終戦、を列挙した。なるほど、これだけ勉強すれば卒業かと
安心したのは間違いで、他にもいろいろあるらしい。しかしまぁ、その
文字もまた見事なもので、三筆とよぶにふさわしい。
 二学期の中間試験では、「元禄三大文化」として近松・芭蕉・白石に
ついて述べよ、という設問が予想された。はじめてヤマを張ったところ、
ズバリ的中したが、これくらいの予測はだれにもできる。要は文章力・
表現力が採点の対象である。自信たっぷりに答案を書き上げ、これなら
格別のおぼしめしにあずかって当然だと考えた。
 試験後は文化祭をひかえて、多忙なスケジュールがつづく。授業中に
手帳をとりだしてメモを確認していると、いつのまにか背後から先生の
手がのびて、無言のまま取上げられてしまった。あとで職員室へ行くと、
担任の児玉先生(英語)が返してくれた。
「アワくん、忙しいのは分るけど、これはいけませんよ」
 また、つぎの授業では、ぐっすりと眠りこけてしまった。
「眠いのなら(教室の)外で寝たまえ」と、信楽先生の表情がけわしい。
 そうか、授業中に眠るのは目ざわりにちがいない。保健室なら誰にも
迷惑をかけないわけだ。この日は父の革靴に、新聞紙をつめて履いてき
たので、歩くたびにキュッキュ・キュッキュ音がする。同級生たちが、
「あいつ、また新聞紙つめとる」とささやく声を背に、教室を出ること
になった。またもや担任教諭に呼ばれる。
「アワくん、忙しいのは分るけど、授業中の居眠りはいかんよ」
「ゆうべは、朝の三時まで起きてたんです」
「明け方の空気は身体によくないんよ。もっと早く床につきなさいね」
 当の信楽先生は、くりかえし叱ることはしないが、あきらかに不機嫌
な気配が伝わってくる。試験で満点をとっても、不遜な態度は許さない
と云わんばかりである。
 前教頭の内藤先生(国語・古文)には廊下で呼びとめられた。
「君には、困ったもんだ。せっかくあと一問で満点ちゅうのに、なんで
取らんのか。けしからん」ほめられていい成績で、なぜ叱られるのか?
 つまり、その他の課目では、ことごとく惨敗していたのである。
 
…… 「大化改新」が歴史家に云われるようになったのは廃藩置県以後
である。それまでは日本書紀に孝徳天皇の「大化詔」が載っているとは
分っていても、歴史家は問題にもしていなかった。「大化改新」をクロ
ーズアップさせ教科書にも載るようにしたのは、古代の祭政一致・天皇
親政・官僚制度(律令国家)を、維新に照応させて権威づける明治政府
の政策からである。※(脱藩考)
── 松本 清張《史観宰相論 19850825-19860725 文春文庫》198012‥
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/416710668X
 
 ◆ シンギング 〜 だれが歌うのか子守唄 〜
 
「同志社女子短期大学のヒガサです」と自己紹介したとき、すかさず
「夏向きやなぁ」と野次をとばして以来、別々のクラスではあったが、
有賀・木下ら三人組との交際がつづいていたのである。
 余談になるが、中学三年生と短大二年生は、ふつう十五歳と二十歳で
あって、与太郎は一年歳を食っているから、四歳あわよくば三つ違いの
お姉さんである。ハイキングにも出かけたし、戸畑市に帰郷した彼女が
東上するときには停車時刻を電報で知らせてくるので、三人組は京都駅
まで出かけて、数分の再会をたのしんだ。高校時代を通じて手紙のやり
とりがつづき、美術学校にすすんでからも、さきに彼女が引っ越してい
た神山町(東京・渋谷)の邸宅で夕飯に招かれることになった。
 しかし、あらわれるたびに落剥していく中退学生は、バプテスト教会
の牧師令嬢から、印刷された一片のはがき(新居案内)を受けとった。
 もしも彼女の夫君に出会うことがあれば、心をこめて伝えたい。
「彼女は、キリスト教徒として誇りたかい淑女でした。いっぽう小生も、
すくなくとも彼女の前では、敬虔なる下僕であったことを誓います!」
 
 合唱コンクールの準備はととのった。そして猛練習がはじまった。
 職員室の用をすませて出ようとすると、信楽先生に呼びとめられた。
「君のクラスでは、自由曲に《五木の子守唄》を合唱するらしいね」
「そうです」
「もっと中学生らしい、明るい歌を選んではどうかね」
「?」
「ボクの知るところ《五木の子守唄》は、階級的差別をうたった民謡で
あるらしい。中学生には難解で、不適当な主題ではないかね」
「よう考えて、みんなと相談してみます」
「そうすることだね」
 他の先生たちは、息をひそめて与太郎の反応をうかがっていた。彼が
一言も反論しないので、すこし意外だったらしい。あとですぐ本宮先生
にたずねられた。
「シガラキ先生、なんちゅうて?」
「まぁその、もっと明るい歌に代えたらどや、云われました」
「ふーん、それで君はどう答えたんや」
「みんなと相談してみる、云いました」
「みんな、どうするかな?」
「やっぱり、この曲がえぇ、云うと思います。なかなかの名曲ですワ」
 同級生のメンバーには、こう伝えた。
「ある先生が、この曲は暗いから止めたらどや、云われたけど、みんな
この曲えぇ思うやろ。コンクールで優勝したら栄光館に出られるぞ」
 コンクールの審査員は、すべて信楽先生と同じ意見であるわけがない。
まして信楽先生は、われわれの練習を聞こうともしないのだ。
 それきり信楽先生には報告もせず、先生も回答を求めなかった。
 
── 安井 かずみ・詞/平尾 昌晃・曲/小柳 ルミ子・唄
《わたしの城下町 1971‥‥ ワーナーパイオニア》
…… ♪ だれが歌うのか子守唄《五木の子守唄》に酷似している。
 
── 宮崎 康平・詞&曲/森繁 久弥・唱《島原地方の子守唄》
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20030301 口先老人
 
 ◆ 五木節考 〜 誰がための子守唄か 〜
 
 日本民謡のなかでも《五木の子守唄》には、いくつかの疑点がある。
 戦後とつぜんの流行によって“子守唄の里”と称された五木村の人々
は、この子守唄を聞いて育ったにすぎない。
 本来の作詞・作曲者とみられる“かんじん”の少女たちは、隣接する
大陸出身者の被差別集落から五木村に派遣された幼い季節労働者である。
 雇い主に云えないような愚痴ばかりで、背中の子どもには一言も語り
かけない唄を、はたして子守唄といえるだろうか。彼女たちは、職業的
“シンガー・ソング・ライター”ではないから、どこかで聴きおぼえた
魅惑のメロディにのせて、不条理へのメッセージを託したにちがいない。
 魅惑のメロディとはなにか、いつどこで聴きおぼえたのか?
 もともと五木村に伝わった里謡でないのだから、在日一世が大陸から
もち運んだ古謡か、あるいは被差別部落だけにもちこまれた当時最新の
ポップスではないか。
 この曲の起源を、中国大陸・朝鮮半島、あるいは沖縄離島にもとめる
ことはできない。東南アジアの旋律は、西欧音楽の階名唱法の主音“ド”
で終わることがないからである。
 おなじ熊本民謡《おてもやん》は“ソ”で始まり、最後には非音階の
“囃言葉”で終わる。《中国地方の子守唄》も“ソ”で始まり“レ”で
終わる。全国的に普及した《ねんころり》にいたっては“ラ”で始まり、
あやうく“ド”で終わるかとみえて、結局は“レ”に落着く。
 西欧音階が“ドミソ”いずれかで始まって、かならず“ド”で終わる
ように、充足感をもって完結するのに対して、なぜか東洋音階では余韻
をもたせるように“レ”で終わる。いわば完結しないのである。
 朝鮮伝来の雅楽譜として書かれた《君が代》も“レ”で始まって“レ”
で終わる。これを西洋人に聴かせるため、西欧風に演奏するには、冒頭
の「レドレミソミレ」と結尾「ドレラソラソミレ」の部分に和声進行の
法則が適用できないので、特殊なマジックを要する。
 そこで編曲者は、ハーモニーを放棄して(無理にハモらず)あたかも
ファンファーレのごとく斉奏(ユニゾン)として、中間部分だけ荘重な
ハーモニーを響かせることにした。ちょうど、頭と尻尾をモノクロで、
真中をカラーで色づけするような趣向で、いかにも風変りではあるが、
それなりに格調たかい曲想となった。しかし、なんといっても百二十年
も前のテンポ指定(♪=69)は“NHKの子守唄”には適していても、
現代人にとっては緩慢すぎる。 
 かくして“ソ”で始まって“ド”で終わる《五木の子守唄》が東洋の
メロディでないことは、ほぼ確実である。戦後とつぜん脚光を浴びたの
も、それほど古い時代のものでない証拠であろう。“かんじん”の少女
たちは、いつどこで聴きおぼえたのだろうか。かりにロシア民謡なら、
そのまま朝鮮半島に伝わっていた可能性もある。ロシア正教の讃美歌の
替え歌だったら、キリシタン禁制の対象にもなるまい。(20000609-1017)
 
 かずかずの前衛音楽を初演した経験をもつニューヨーク・フィルでも、
《ノヴェンバー・ステップス》のリハーサルでは、尺八特有のメロディ
をはじめて聴いたメンバーの間から失笑がもれたという。
 雅楽器では吹奏楽を演奏できないが、現代の吹奏楽なら雅楽そのまま
に演奏できる。しかし、オリンピックで日の丸を揚げるたびに、外国人
の反応を気にしなければならない。(この項未完)
 
 ◆ 五木村 〜 売られた子守唄の里 〜
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20000128
 


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(20180617)
 
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