与太郎文庫
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1954年11月23日(火)  秋の夜の感傷 〜 続・虫のいろいろ 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19541123
 
 秋の夜の感傷 
 
 そろそろ秋だなと思っていたら、にわかに小さな虫が増えた。私の部
屋の二本の蛍光燈のまわりには三ミリ位の虫どもがキリキリ舞っては落
ちてゆく。うっかり早くからふとんなど敷いていると、寝るときにふる
い落したうえ薬をまくなど大さわぎしなければならない。
 おまけに今年は、新しい蛍光燈とスタンドでよほど明るくなっている
ので、小さな客人たちは好んでやってくる。本を読んでいると、彼らが
音をたてて本の上に落ちてくる。みていると舞っているときはいかにも
幸福そうで、やがて陶酔のはてにトンと落ちてきて腰をぬかしている彼
らである。鉛筆の先でつついても動けないのがいるし、死んでしまって
いるのもいた。
 あまり多いときは古い洋服ブラシで掃きあつめるのだが、たいてい掌
の上に小さな山ができるくらいはある。それらをながめていると、これ
が連夜、私の部屋をおとずれる客人たちの静かな姿かと気の毒になる。
 そんなある夜のこと、私は近視なので部屋の採光には特に注意してい
て、そのときも半球形の反射笠に六〇ワットの電球を入れて天井に反射
させていたのだった。初秋の夜ともなればさすがに静かなもので、私は
反射笠の中にかなり大きな虫が入ったことをその音で知った。
 机の上に乗ってのぞきこむと将棋の駒より一まわりほど大きい例のぶ
あつい感じの蛾が熱い電燈のまわりをきゅうくつに飛びまわっていた。
指でもむとパン粉みたいになりそうなこの珍客は蛾特有の粉をのぞきこ
んだ私の頭髪とマツ毛に不遠慮にふりまくので私はいそいで首をひっこ
めた。
“やっかいな客”私は力にうったえてこの不遠慮な客人を片づけること
にした。
 私がチリ紙をもった手を近づけると蛾はますますはげしく反射笠の中
を飛びまわった。そして、そのほんのすこしの間に、笠の内側に卵を三
個、きれいに並べて産みつけた。私はそれを横目で見やってなおも彼女
を捕えようとあせった。……ようやく捕えた私は薄いチリ紙を通して、
ぶよぶよした感触に接した。とたんに私はぞっとした。“この俺の手の
中でも彼女は卵を産みつづけている……”私はさっき反射笠の内側に産
みつけられた三個の卵のあのつややかなうすももいろを想い出してふる
え上った。
 私はバタバタする蛾をつまんだまま、もう一度さきの卵をのぞきこん
だ。殻につつまれていた三つの生命は、反射笠の熱によって完全にとけ
てしまっていた。何となくホッとした私は手の中の虜が全く動かなくな
っていることに気がついた。
── 阿波 雅敏《秋の夜の感傷 19541122 同志社中学生新聞・第十六号》
 
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 人間性の変換 〜 裁判より得たる教訓 〜
 
── 人間はなぜ戦争を好むのか。ある人はこれをこんなふうに説く。
 本来、微生物や、下等動物から、だんだん生存競争に勝ちつづけて人
間までになった。人間となってからも、他の種族との間に不断の競争を
する。社会主義者にいわせると、継続的に階級闘争をくり返す。この間
に、闘争とか戦争とかということが本能に近い習性となって、人間の骨
髄にこびりついた。子供のあそびでも戦争ごっこが一番好きになる。原
始的人間性の再演かもしれないと。
 第一次欧州戦争のとき、名を忘れたが、ドイツの生物学者が、昆虫や
蛾の類が夏季に誘蛾灯に集まって、そこで焼き殺されるのは、こんなわ
けだと説明した。
 本来、昆虫は幼虫からサナギとなり、昆虫に変化するのである。幼虫、
サナギの時代は光線を必要としないのであるが、それが孵化して蛾とな
ったときに目ができ、羽をそなえるにいたる。この場合光を見ることが
できる。こんなものができたのは、昔の昔、大昔のことであるから、光
といえば太陽の光線の外にはなかった。太陽の光に向かって飛べばおの
ずから温暖であり、適当の食物も得られる。ゆえに光に向かって飛ぶと
いうことは昆虫や蛾の自己保存、種族発展に最適なことであった。しか
るに、ここに原始人がついに火を発明し、現代人はさらに電灯まで発明
した。昔のままの本能を維持するより外のことを知らぬ昆虫や蛾は、往
古の太陽の光と同じように輝く火なり、電灯に集まり焼け死ぬのである。
 人間が戦争の声を耳にすれば、きそって敵に向かう心をふるい起こす
のは、このあわれな夏の虫が灯火なり誘蛾電灯で焼け死ぬのと同一原理
によるものだと生物学者は説いた。カイゼル・ウィルヘルムはこんなこ
とを説かれてはわが軍の士気にかかわるとて、直ちに学者を逮捕し、投
獄した。(196703‥ 読売新聞社)
── 清瀬 一郎《秘録東京裁判 19860710 中公文庫》P213-214
 
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 終着駅                  高島 春江

 新聞部長から原稿を頼まれたのは、まだ五月雨の頃で、私は水の清い
「我が里」の風景を書いて「今流れに飛びかう蛍が美しい。」と結んだ
が、夏が過ぎて秋になった。季節のずれを嫌ってその原稿を「風すぎて」
という一聯の短歌ととりかえた。風とは勿論台風のことで、風のあとの
静けさの中に、夏から咲きついだ空色の朝顔が、小さくくさむらのそこ、
ここに咲いているのを詠んだりした。然し、今はもう晩秋である。庭に
は菊が咲き乱れている。それなのに、新聞はまだ出ない。私はわが歌を
季節はずれの「すまじきもの」に入れたくないので、三度目の原稿を書
こうと思う。
 私はいつか子供達と映画をみにいって、偶然「終着駅」と云うのをみ
た。ローマ駅での一つの出来事で、退屈もしなかったが、さして感動も
しなかった。けれども「終着駅」と云う題は妙に私の心にひっかかって、
忘れられなかった。その後、省線電車にのる度に「この電車の終着駅は
○○で……」と云う車掌の言葉にも一寸心の動くのを覚える。
 終着駅!! これはおもしろいと思う。逢えば別離があり、生あれば死
あり、始めあれば終りあると云う無常くさい意味で面白がるのではない
が、とにかく自分の周囲の諸行、くさぐさの事柄についてその終着駅を
考えるのは面白い。
 私はいくつかの友情の終着駅を或いはなつかしく、或いは淋しく思い
だすのである。そしてその愛情を全うすることのむずかしさを思う。
 あなた方にも、この中学校を巣立ってゆく日が必ずあるのである。満
足と悦びをもってその日を迎え得るよう、やはり考えなければならない
ことではなかろうか。
「神よ、あなたに仕えた私をあまり不満に思ってはいられますまいか。
ほんの少しのことしかできませんでした。そして、もうこれ以上はでき
ないのです……。私は戦いました。苦しみました。迷いました。作りま
した。父なるあなたの腕の中で息をつかせて下さい。またいつか、新し
い戦いのために私はよみがえるでしょう」これはロマン・ロランの作品
ジャン・クリストフの臨終の言葉である。音楽の天才ジャン・クリスト
フの生涯は全く苦悶と闘争の連続であったが、その終着駅は実に美しい、
調和そのものであった。昼と夜とは微笑し、愛と憎とは一体となり、生
に栄えあれ!死に栄えあれ!と凡べてを祝福し得て、もはや彼の心を乱
す何ものもなかったのである。その終着駅は又、歓喜そのものであった。
「門が開いた。……私が捜していた諧和音はこれだ。……しかしこれが
究極ではない!まだ新しいたくさんの空間がある……あすになったらも
っと先へ進もう」全生涯を通じて仕えようと努めた神の至高の平和の中
へ没入して消えることの歓喜!彼はこのすばらしい歓喜を最後の時に持
ったのである。(了)
 私は疎開地で毎日眺めた、美しい瀬戸内海の入日を思い出す。
──《同志社中学生新聞・第十六号 19541122 》
 
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http://d.hatena.ne.jp/adlib/19530716
 転才 〜 くもとハチのはなし 〜
 
http://q.hatena.ne.jp/1164333882
 ここに述べられた、ドイツの生物学者の名を教えてください。
 
(20060109-1124-20080703)
 


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