与太郎文庫
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1953年11月23日(月)  ウクライナ・チェリンス物語

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19531123
 
 文化祭の学級代表(二年D組)選挙で、英語暗誦大会の候補は次点、
弁論大会に出場することになった。
 
 演題《ウクライナ・チェリンス物語》は、小学校以来の金谷昭良先生
に伝授された原案(出典未詳)による。ソ連ウクライナ収容所の日本兵
捕虜が、ほかの外国兵捕虜にくらべて品性いやしかった、という要旨を、
いまひとつ把握できないまま、入賞には及ばなかった。
 弁舌のさなか会場を見わたすと、ソ連収容所の捕虜経験があるという
綱島長明(体育)教諭の姿が目に入った。審査員ではなかったが、その
反応が気になり、あらかじめ金谷先生と打ちあわせておくか、当の本人
に取材確認しておくべきではなかったか、など雑念がよぎる。
 谷川孝造(社会)教諭の好意と協力によって、最新の学校備品である
フィリップ社製録音機のテープで、はじめて自分の声を聞いてみると、
思ったより早口で、鼻にかかる発音が不満である。ともかく全校生徒を
前に壇上に立った実績と経験が、あらたな展開にむすびつく。
 さらに、しばしば座談会を企画して、その記録を紙上に掲載すること
が可能となった。そして、のちのインタビュー企画につづく。
── 《聴太郎 20001224 虚々日々》P042)
 
── Ukraina ヨーロッパ・ロシアの南西部にあり、ソヴェト連邦の
うちで人口と経済的重要性で第2位をしめる共和国。1922年ソ連邦に加
盟した。正称はウクライナ社会主義共和国 Ukrainskaya Sovetskaya  
Sotsialisticheskaya Respublika。面積603,700km2、人口47,136,000
(1970調)、人口密度78.1人/km2、首都はキエフ。1市25州よりなる。/
独ソ戦争(1941〜45)にはウクライナは主戦場となり、ドイツ占領軍によ
る殺りくと破壊をうけ、第二次世界大戦における最大の被害国となった。 
/戦後の五ヵ年計画で、1949年に工業生産は戦前に復し、1950年には工
業は戦前の1.5倍、農業は1.3倍に達した。
── 小堀 巌/相田 重夫《世界大百科事典3 1978 平凡社》P151-153
 
 ◆
 
 翌年の文化祭・弁論大会(19541122)では、馬場久雄《中学生とラジオ》、
竹内宏一《らしく》の名がみえる。
 このころ、ソニー製テープレコーダー開発。
 ウクライナ=小ロシア、チャイコフスキー《交響曲第二番》の異称。
 ウクライナ共和国の現況は、《読売年鑑 20000301 》P349参照
── 《ウクライナ・チェリンス物語 19531123 同志社中学弁論大会》P022
 この日付は未確認だが、同志社創立記念日以前である。
 
── 近衛 秀麿《フィルハーモニー雑記 1954 音楽文庫》音楽之友社
── 胡桃沢 耕史《黒パン俘虜記 198601‥ 文芸春秋》第89回直木賞受賞
── 黒柳 朝《チョッちゃんが行くわよ 19821201 主婦と生活社》
 
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2746556.html
 シベリア帰りの三人
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20050321
 早口は三文の徳 〜 続・一芸の人々 〜
 
 画像番号:PHO'195310 UKRAINA
 
(20070213)
 


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