与太郎文庫
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1953年08月07日(金)  晩器大成 〜 三十にして史記を読む 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19530807
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000
http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html
 
 from Our Picture;史記
http://www.tbs.co.jp/heibayo/tour.html
 司馬遷「史記」の世界
 
 全百三十巻 〜『史記』だったかな? 〜
 
── 司馬遼太郎という名は、私が三十になって小説を書きはじめたと
きに、ある懸賞小説を書きましてね、原稿を封筒に入れてから、ふと、
名前を本名にしたらまずいだろうな、と思いまして、偶然そこに司馬遷
が読みかけてあったから思いついただけで、ほかに何もないことなんで
す。『史記』だったかな。それで司馬……。
── 司馬 遼太郎《手掘り日本史 19800725-19880630 集英社文庫》P19
 
── 1956年5月、「ペルシャの幻術師」が第8回講談倶楽部賞に応募
(「司馬遼太郎」の名で投稿)、海音寺潮五郎の絶賛を受け同賞を受賞
し、出世作となる。この「司馬遼太郎」というペンネームは「(史家の)
司馬遷に遼(はるか)に及ばず」という意味であるという(Wikipedia)。
── 司馬 遼太郎《ペルシャの幻術師 1956-20010210 文春文庫》
 


 司馬 遷    太史令  BC-144‥‥ China -0‥‥‥ ? /字=子長
── 一死一生、乃知交情。一貧一富、乃知交態。一貴一賎、交情乃見。
〜《史記列伝(四)第六十 19751016 岩波文庫》P298
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19470520 一貧一富 〜 紳士録の人々 〜
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 徳富 蘇峰   歴史評論  18630314 肥後  19571102 94 /文久 3.0125/籍=猪一郎
/廬花の兄/戦犯〜《近世日本国民史 1953‥‥ 大阪毎日新聞》
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 海音寺 潮五郎 作家    19011105 鹿児島 19771201 76 /籍=末富 東作(0313生)
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 司馬 遼太郎  作家    19230807 大阪  19960212 72 /籍=福田 定一
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19960212 菜の花忌 〜 完結した人生 〜

 
 司馬 遼太郎が、三十になって漫然と読んだ《史記》は本篇ではなく、
解説本の類ではなかったか。幼少にして原典を読破した徳富 蘇峰なら
“司馬 遼”のような畏れおおい筆名を選ぶわけがない。
 
── 予が読書の力は漸次ついて来た。『四書』、『五経』は固より
『左伝』『史記』『歴史網鑑』『国史略』『日本外史』『八家文』など
も読み、『通鑑綱目』等も親類の横井家から借用して読んだ。
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19531129 併存 〜 徳富家の人々 〜
── 杉井 六郎・監修《蘇峰書物随筆・全十巻 1993 ゆまに書房》
 
 やがて司馬は、神田の古本屋からトラック一杯の書籍を取寄せる。
「適当に見つくろってくれ」と云ったかも知れない。よほどの専門家と
思いこんだ店員が、あえて《史記》や《左伝》を省いたのではないか。
 
 まゆつば 〜 トラック伝説の虚実 〜
 
── 司馬が資料を集め始めると、関連する古書が古本屋業界から払底
したという逸話があり、神田神保町の古書店街に軽トラックでやって来
て、本屋に乗り込むや否や手当たり次第に乱読し、それらをすべて荷台
に乗せていったという。── (Wikipedia)
 
── 司馬氏は古本屋からトラックで運びこまれる雑多な本に目を通し、
小説に使えるもの、使えないものに分けたらしい。 ... 司馬遼太郎は、
そういう古本屋の「眼力」に恐れ入ったと、述べているらしい。 ...
http://www.poplarbeech.com/kanehara/002891.html
 金原瑞人: カネハラ言ノ葉研究所
 
 Key Word in Awa Library:司馬 遼太郎
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%BB%CA%C7%CF+%CE%CB%C2%C0%CF%BA
 
── 『史記』は、中国前漢の武帝の時代に司馬遷によって編纂された
中国の歴史書である。正史の第一に数えられる。二十四史のひとつ。計
52万6千5百字。著者自身が名付けた書名は『太史公書』であるが、後世
に『史記』と呼ばれるようになるとこれが一般的な書名とされるように
なった。「本紀」12巻、「表」10巻、「書」8巻、「世家」30巻、「列伝」
70巻から成る紀伝体の歴史書で、叙述範囲は伝説上の五帝の一人黄帝か
ら前漢の武帝までである。このような記述の仕方は、中国の歴史書、わ
けても正史記述の雛形となっている。── (Wikipedia)
 
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(20091107)
 


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