マキュキュのからくり日記
マキュキュ


 (追悼日記) さよなら・・・親愛なるミドリちゃん・・・。


土曜の深夜、私の親愛なる妹分、コマキの実母が亡くなった・・・・・・。
彼女と私の歴史は長く、又、想い出も大変深く、今日は彼女への追悼の意を表し、彼女との想い出を書かせていただきたい。

土曜日、店は大変な賑わいで満席状態だった。
その中にはPTAの親睦会で来ていたコマキも居り、盛り上がりもピークに指しかかろうとしていた時刻だった。
カウンターで休んでいた私の所にコマキが飛んで来て「今ミドリちゃんが病院に運ばれたって・・・・・・!!」と、いつになく取り乱していた。
ミドリと言うのは彼女の母の名である。
コマキの旦那さんから緊急連絡があったそうで、兄宅で療養していたミドリちゃんの様態が急変し、兄たちが病院に連れて行ったそうだ・・・・・・。
その時、嫌な予感がした。

それから暫くは兄弟たちと連絡が付かない様子で、コマキは心ここにあらずの状態だったのだろうが、極力平静を装い、仲間達との場を盛り上げていたのだが・・・・・・。
やがて再びコマキに連絡が入ったようでコマキは私に「ミドリちゃんが死んじゃったよ!!」と、耳打ちし、泣き顔で絶句していた。
彼女を病院に急がせ、主要な仲間だけにソッと内情を伝え、今度は私が放心状態になった・・・・・・!!


今から25〜6年前。私は当初、コマキの両親達と友達だった。
私がまだ子供を生む前の頃、そう・・・、まだ別れた夫と一緒に暮らして居た頃の事だ・・・。
元夫のバイト先だったパブで、Jazzピアノを弾いていたのがコマキのお父さんである正樹さん。そして同じ店で厨房を担当していた正樹さんの奥さんが、コマキの母、ミドリちゃんである。
当時の松本では1〜2を争うナイトクラブのような洒落た店で、ハイクラスの大人たちが集う店だった。

夫が居た事も有り、何度か顔を出す内、正樹さんは私の歌を気に入ってくれ、行く度、ステージで歌ってくれよと伴奏をしてくれた。
その後私は子供を産み、夫との修羅場を向かえ、惨憺たる人生を歩み始めていた。
そして正樹さん夫妻は独立し、今町に自分達の店を持った。

ホワイトオークと言う名のその店は、やはりピアノが置いてあり、前出のライブパブよりは遥に小ぢんまりとはしていたが、とても落ち着くbarで、温かく、優しく、フレンドリーで懐かしい雰囲気があり、私は足げくその店に通うようになったのだ。
いわば、正樹さん夫婦の店は私にとって、駆け込み寺のような存在だった・・・・・・。
子育ての悩み・生きる事の悩み・新しく落ちた恋のときめき等・・・、二人は何でもにこやかに聞いてくれ、一緒に飲み、マージャンをして遊んでくれたり、歌い明かしたり、語り明かしたり、第2の家のようなつもりで通っていた。

やがて正樹さんが重い病に倒れ、店も続けられなくなり、あれほどに中むつまじかった夫婦が正樹さんの死により引き裂かれ、ミドリちゃんは抜け殻のようになってしまった・・・・・・。
それでもコマキたち兄弟の愛に包まれ、少しずつ立ち直ったミドリちゃんは、私が持った最初の店(エポック)にもしょっちゅう遊びに来てくれていたのだ。
その内、まだ当時高校生だったコマキも大人になり、私の店に通うようになり、コマキは結婚し、兄弟もそれぞれ独立し、ミドリちゃんは一人暮らしを始めた。
ミドリちゃんはその後も時々エポックに顔を出してくれては私と飲み、ダンスを踊り、正樹さんの想い出を語ったりし、楽しくほろ酔いで帰っていく。
そんなある日の事。
僅か1時間ほど前、元気で帰って行ったミドリちゃんが、私の店に変な電話をよこした。どうもただならぬ様子だ。
「部屋に帰ったら変な男の人が居るの!! マキ、怖いよ、助けて!!」と叫んでいるではないか。
しかしまだ店は営業中で賑わっていた最中だ。どうしていいか解らず、私はすぐさまコマキに連絡したが、コマキは当事まだ幼い次女が入院中で病院に付き添っていた。しかもコマキの兄は東京である。
ミドリちゃんの所には下の弟が駆け付けたそうだ。

部屋に誰かが居るというのは彼女の幻覚だったらしく、彼女は帰宅後、脳内出血を起こしており、その予兆で幻覚を見たのだそうだ。弟が駆け付けた時は玄関に倒れていたらしい。
彼女は即座に入院し、それ以来、ミドリちゃんは不自由な身体になってしまった・・・・・・。

彼女は重度の記憶障害と、言語障害を起こし、無邪気な赤ちゃんのようになった。
でも、後にリハビリ病院にコマキと行った時、私の顔を見るなり、ニカッと微笑んでくれた。
きっと倒れる寸前まで見ていたのが私の顔だったので、記憶の片隅に残っていたのかもしれない・・・・・・。
当時私はミドリちゃんのことが悔やまれてならなかった。あの時、あまり飲ませていなければ倒れなかったのかもしれない・・・・・・。
店を放り出し、直ぐに駆け付けていたら、脳出血が軽く済んでいたのかもしれない・・・・・・。
本当に当時の事を思うと、もっと何かが出来たはずだという後悔で一杯になる・・・・・・。

そんな事が起こってから、もう11年も経ったんだなぁ・・・・・。

それ以来、コマキは3人の子育てに忙しく、それでも合間を見てはずっと私を姉さん姉さんと慕ってくれ、ミドリちゃんの代わりに店に通ってくれていた。
コマキの兄弟たちも家庭を持ち、コマキの兄がみどりちゃんを引き取り、ずっと今まで兄宅で手厚い介護を続けて来た。
たまに入退院を繰り返しながらも、ミドリちゃんは元気だったのだ。なので偶にではあるが、コマキの兄弟がからくり箱に飲みに来てくれる事もあった。
ミドリちゃんはかわいい孫たちもたくさん授かり、亡くなった当日は、食事の後、TVのカラオケ番組を見ながら楽しげに笑い合う息子夫婦や孫達に囲まれながら、眠るように息を引き取ったのだという・・・・・・。
苦しみもせず、孤独でもなく、皆の傍で逝ったそうだ。
なんて幸せで、ステキで、良い死に方をしたのだろう・・・・・・。

ミドリちゃんの笑顔を見られなくなるのは寂しいけど、私はそんなに悲しくはないのよ。
だって、これでやっと最愛の正樹さんの傍に行けたんだもんね・・・・・・。
あんなに仲良しだった夫婦が、本当に長い間離れ離れだったんだもの・・・、寂しかったよね・・・・・・。

ミドリちゃん、下界の皆とお別れをして、あっちの国に旅立ったら、私の母や父にも会ってくださいね。そして4人で楽しくマージャンでもして遊んでやってよ。
偶に私の店にも下りてきて、又一緒に飲んでよね・・・・・・。

最後に貴女に一言だけ言っておきたい事があるの。
貴女が残したコマキは大変素晴らしい女性になったよ。
たくさん苦労もしてきてるけど、その分、人が持ってない責任感と優しさと温かさをたくさんたくさん持った、それは良い〜女だよ。

ミドリちゃん、そんな頼もしい妹分を私に与えてくれてありがとうね・・・・・・。
大事にしていくからね。
私はまるで頼りない姉だけど、これからも仲良く助け合ったり励ましあったりしながら何とかやっていくからさ、安心して天国で見守っててよね。

正樹さんと二人永遠に離れず、私たちのことを見下ろしながら、ああでもない、こうでもないと、苦笑しながら、見守り続けてくださいね。

ミドリちゃん、長い間の闘病生活、お疲れ様でした。
これからは伸び伸びと、あっちの世界で羽を伸ばしてね。
ミドリちゃんのご冥福、心よりお祈りします。


2007年04月09日(月)

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