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■ (日記) 人間って常に何かと比較している
人間が自分の事を幸せだとか不幸だとかと思うのって、絶対に比べる何かが存在するからこその賜物だと思う。 比べる対象は様々だ。例えば友人や知人、TVタレントや有名人。著名人や政治家、どこかの国の恵まれない人々、もしくは身内や過去の自分自身などなど・・・・・・。
比べる対象さえ無ければ、自分がどの位置に居るのかなんて、全然関係なく、もっともっと気楽に生きられるのではないか? と思ったりもする。
誰かと比べ、あのようにしなければならない。 誰かと比べ、あのようにしてはならない。 誰かと比べ、あんな風にはなりたくない。 誰かと比べ、あんな風になれたら良いなぁ。 誰かと比べ、アタシの方が優れてる。 誰かと比べ、アタシの方が劣ってる。 誰かと比べ、アタシの方が利口だ。 誰かと比べ、アタシの方が馬鹿だ。 誰かと比べ、あの人の方が幸せそうだ。 誰かと比べ、アタシの方が幸せだ。
でも、人間そんな単純なものではないのだという事は、この年になると良く解ってくる。 なのである部分では羨ましいと思う事も、ある部分を考えて見ると、案外そうでもないのかもしれない・・・と思う事もある。
例えば・・・、ある女性が居たとする。 もって生まれた飛び切りの美人で、お金の心配も無く、理想的な家庭で理想的な愛情に恵まれ、何不自由なく育ち、思春期から青春期に掛け、男性諸君の憧れの視線を一気に集め、モテモテの青春時代を送り、青春時代を様々な楽しい事で謳歌し、やがて理想の恋人と出会い、結婚し、理想的な家庭を持ち、理想的な良い子に恵まれ、年に数回の内外含めた旅行にも行き、理想通りに年齢を重ね、理想通りの結婚相手に子供らを嫁がせ、今は悠々自適な熟年夫婦になっているとする。
ダイジェストでこんな生活感も一瞬は味わってみたいとは思う。 でも、果たしてこれは当人に取って、本当に幸せなのだろうか・・・・・と、ふと思ったりする。 例えば、その人は余りにも恵まれ過ぎているので、又、それがその人にとっては当たり前の生活なので、本人は特別に幸せだとは思わないのではないのか。 それよりも、挫折感や、危機感、焦燥感や、苦労、コンプレックスや飢餓感など一切無縁なわけで・・・。又それも味気の無い物だと、人生が虚しく詰まらない物なのではないか・・・などと思ったりもするのだ。
人間は無いものねだりが上手なので、絶対に自分に無い物を求め、羨ましがるものだ。 恵まれ過ぎている人は、恵まれていない人の苦痛な雰囲気も少しは味わってみたいのではないかなぁ?
アタシの唯一の悩みと願望は、いまだお金だけだ。 お金は沢山ほしい。 そしてそのお金を元に、人々に元気を与える会社を作りたいという気持ちは今も変わらない。 これで、生活や支払いに困らず、多少の余裕を持ったお金が有りさえすれば、後は何も望む事は無い。 それ以上のお金を稼げたら、アタシの事だから、きっと困った人にばらまいちゃうんだろうなぁ・・・。
ありとあらゆる人生の苦の部分は、殆ど経験し、そのお陰で、人とは違った楽しみ方や情緒や独特な感性も身に付いた。 なので悩みがたったひとつお金の事だけだという事は、かなり幸せな事なのだろう・・・。 だから正直、金持ちはとても羨ましい。 お金にさえ困らないようになれれば、アタシの望むものはもう無い。 この生き様自体は、幼少の頃から変化に富んでて、中々味わい深く楽しく面白い、私だけの宝物なのかも知れない・・・・・・。 誰かに真似の出来る代物ではないと思うから・・・。
さぁ、人生の締めくくりに、目標額をきちんと立て、【もう一度だけお金持ちにしてください】と、本格的に宇宙の神様に無いものねだりでもしてみるか! 多分聞き入れてはもらえないだろうが・・・・・・。
2005年10月01日(土)
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