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■ エッセイ集【私をそそる者達】より〜 盲導犬
【盲導犬 】
私は、大・大・大・だぁ〜〜〜〜〜い、の、動物好きだ。
犬や猫はモチロン。何しろ、大人の人間以外の動物は、何でも皆、可愛いと思う。(謎)
物を言えない分、彼らは色々な形で、感情を訴える。例えば、耳や、目や、舌。尻尾や、鳴き声などを、さまざまに使い分けて、その喜怒哀楽を何の装飾も無く、思いのまま表現する。そんな所が、動物の健気な所でもある。
わざと意地悪をしてみた時などに、あの、何ともいえない、恨めしげで、落胆的な上目遣いなどで見詰められたりすると、もう〜、可愛くて可愛くて、そのまま食っちまいたくなる〜っ!! 【←危険!?】
そこで、今日は、何気にか、時々出会うことのある、盲導犬のお話をさせていただこう。
私のパート先は松本の駅前なのだが、怠慢な私は、家からたった十数分のところに在るバス停まで歩くのが億劫で、軽の愛車でパート先に通っている。
但し、駐車場を月決めで借りると、何と、一月、二万円もするのだ。二万円も駐車場に掛けていたのでは、何の為に、安いパート代を稼いでいるのか解らなくなるので、私は、制限付きの駐車場を借りている。
制限付きとは、平日のみという奴だ。
元々日曜日は、パートが休みだし、そちらの契約だと、半分の一万円である。
そんな訳で、土曜と、祭日は、バスで通っているのだが、帰りのバスの中で、時々、若い女性に連れられた、盲導犬が乗り込んでくる事がある。
私はその犬と遇えるのが、唯一、バス通いでの愉しみの一つなのだ。
私が乗り込む路線は、赤字路線(又々失礼)らしく、何時も数えるほどしか乗客がいないので、私は、あえて前の方に座り、(彼女と犬の座る場所に合わせて)その犬が乗り遇わせる事を、毎回、密かに心待ちしてるのだ。
偶さか、彼女と犬が乗り込んでくると。
(あっ、今日も会えた!)
と、嬉しくて仕方が無い。
盲導犬の首輪には、その犬の名前、『カレン』(仮名)と共に、(勤務中なので、私に触らないでね)という、注意書きが書かれている。
しかし、私は、ついつい嬉しくなって、彼女に内緒で、ひと撫で、ふた撫でしてしまう。
カレンも段々、私を顔見知りと認めてくれているのか、愛想良く尻尾を振って、ひとナメ、ふたナメしてくれるのである。(クスッ!)
カレンは、バスが揺れようが、急停車しようが、必ず彼女を守るように、彼女の脇に、じっと寄り添っている。
(偉いなぁ〜。賢いなぁ〜。頼もしいなぁ〜)
私は、いつも感心するのみだ。
一方、彼女は、何時も大抵は、小さな声で、歌を口ずさんでいるのだが、それが又、とても上手なのだ。
何処かのカルチャーセンターで、コーラスか何かを習っていて、その帰りなのかも知れない。(想像)
彼女達は、ほんの3つ先のバス停で、何時も降りてしまうのだが、彼女はカレンを労わり、カレンは彼女を労わりながら、楽しそうに家路(?)に向う姿を、微笑ましい気分でバスの中から見送る私なのだ。
二人(?)の仲が、とても信頼し合った、良い相互関係に成り立っている事が良くわかる。
しかし、或るパチンコ屋で、やはり、盲導犬を連れて、良く遊びに来ている男性客を、過去、五〜六度見掛けた事がある。
視覚障害を持った人は、他の感覚が研ぎ澄まされているせいか、通り様見てみると、彼は何時も、ドル箱を山済みしている事が多い。【←羨ましい限りだ】
或る日丁度、彼等の隣が空いていて、私は、(ラッキー! 犬を撫でられるかも・・・)とばかり、そこに座ってみたのだが、何とも、時間が経つにつれ、その犬が哀れになってしまって、もう、パチンコどころではなくなってしまったやるせない想い出が有る。
その犬は、イスとパチンコ台との、ほんの僅かな隙間に大きな身体を横たえ、じっと我慢をしているのだが、少しでも動いたりすると、何と、飼い主が足で蹴飛ばしているのであ。
(あっ! 何てことすんのよ・・・・・・)
ふと見ると、今日も彼は、沢山のドル箱を積んでいる。
あぁ・・・、この犬は、一体、何時間の間、こんな体制のまま、ここに座り続けているのだろう・・・・・・。
きっと、彼が愉しんでいる間中、水も飲めず、トイレも出来ず、このヤニだらけの、喧騒の中で、ずっと我慢をしているのだろう。彼が満足して、打つのを辞めるまで、じっとこの体制を保ち続けなければ、又、叱られたり、蹴られたりするのだろう。
その犬は、哀しげに私の顔を見ると、同情を乞うように、上目づかいで溜息を吐いた。
(可哀相・・・だ・・・・・・ね・・・・・・)
私は見ているのも辛くなり、滲み出てきた涙を拭くと、居た溜まれずにパチンコ屋を後にした。
(決して障害者の人全てが、善良で健気な訳では無いのだ・・・・・・)
私の中に、この時初めて、そんな意識が生まれた。
別に、盲導犬を連れてパチンコをするな! と、言ってる訳では無い。勿論、障害者の方が、いろいろな愉しみを持つのは良い事である。
でも・・・、でも、だ! なにも、蹴っ飛ばさなくたっていいだろうがぁ〜!!
自分の命綱になってくれている盲導犬に対する、尊敬と感謝の気持ちを失い、あんな酷い仕打ちをしている身勝手な彼に、私は、強い憤りを感じざるを得なかった。
彼のような自分本位な人間に、一生懸命使えている盲導犬は、とても不憫である。
私は、彼の(盲導犬)鎖を切って、今直ぐ、解き放してやりたくなった・・・・・・。
後々の、噂によると、『彼らはほぼ毎日のように、どこかのパチンコ屋に居るらしい』との事。
(何で、パチンコしながら、私が泣かなぁ〜アカンのよ! まったく、もぅ・・・・・・)
バスの中の『カレン』と、パチンコ屋の彼(盲導犬)とでは、多分、盲導犬としての、尊厳も、幸福度も、全く違うと思う。
私がそれ以来、暫くの間、パチンコ通いをピタリと止めたのは、視覚障害者の彼が、山ほどのドル箱を積んでいて、私が一万円ものお金を、気もそぞろの内に、スッテしまったからでは、決してないのだ。
by マキュキュ
※ このエッセイは今年の4月に書いたものです。
2002年07月23日(火)
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