第一報はおっさんからのメールでした。 朝早く、運転中でのメールなので、『事故った?』と、不安だったのですが。 それを上回る訃報でした。 はじめは『嘘だ〜』でした。 ちょうどネットしていたのですが、ニュースにのぼってないし。 でも、どうやら本当らしい。 その後新聞を確認したら、載っていました。 でかでかと。 リハーサル中に倒れての突然死だったそうです。
私が塩屋さんと出会ったのは、2003年の9月。 佐伯を舞台にした県民芸術文化祭の舞台ででした。 エキストラとして参加していたのですが、結構セリフをいただき。 その時に、東京から参加した主役の方が、塩屋さんでした。 稽古も当然全く来ず、あわせたのは・・・前日とかにあわせられたっけなぁ。 うろ覚えです。 しかし、すごくゆったりとしたお芝居をなさる方で、緊張もとけた覚えだけはあります。
私たちとも気さくに話してくれまして、ずうずうしくサインをお願いしたりしました。 今でも大事にとっていますが、色あせちゃってます。 新しい家では、色あせない場所に額に入れて飾っておきたいと思います。
二度目は、2004年10月。 佐伯で再演をした時でした。 幾分慣れていたので、少しだけ会話ができた気がしますが、これまた私の短期脳みそはちっとも覚えていません。 今これを書く為に、昔の日記を掘り出したくらいでしてね。 掘り出した中で、数人とプチ打ち上げをしたらしいのですが、それすら覚えてませんからね。 誰としたかも全く覚えてなかった・・・恐るべし短期脳。
ただそんな短期脳なのに、なぜか『奥様がとても素敵な人だった』ということだけ覚えていたんです。 奥様と会ったことすら覚えていないのに。 読み返すと、腐った弁当を配られ、ほとんど何も食べられていない私たちに、安全策の為に塩屋さん用に手配されていたお弁当を『一口ずつでも食べてください』っていただいたんでした。 素敵な人とは、夫婦ともどもそういう空気を出せる人だ・・・。 塩屋さんも奥様もお互いとても素敵な人だから、私たちなんかにまで気遣いができる人になるんだ。 と、心から思って尊敬しました。
三度目は、種まく旅人という映画のオーディションでした。 塩屋さんが監督ということで、半分監督に会いに行った様なもんでした。 目くばせしてくださって、それがとてもうれしかったことを覚えています。 この年にして『田舎のおばちゃん』というポジションでセリフまでいただき、カメラの前で演じ、大してうつってなかったとはいえスクリーンデビューさせていただきました。 貴重な体験をさせていただきました。 現場でも、特に怒ることもなく、気合の入ったキューだしをしてくれました。 話せませんでしたが、その声を聞くたびに気合が入りましたし、話を聞くたびに笑顔になれました。
大分で養成所を開いた時は、ちょっと気になりました。 授業料の高さで断念しましたけど。 先月には大分に移住したということで、これからきっと面白いことをたくさんしてくれるだろう。 願わくば、エキストラという形でもいいから、面白い企画に参加したいと思っていました。 そんな矢先の訃報でした。 ショックで、残念でたまりません。
塩屋俊さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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