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跡部がその本を手にしたのは、二年生の時だった。 初秋某日の放課後、コートの設備点検で部活もなく、これといって予定もなかったため、跡部は図書室に足を運んだ。正直、中学校の蔵書程度では物足りなさも感じるが、逆に家の書斎ではみかけない類いの本もあるので、暇つぶしにはなる。 特に、奥まった場所にある書棚には、跡部が生まれるよりずっと前に発行された黴臭い全集などが置いてあって、そういった本の拾い読みをたまにしていた。 その日も適当に背表紙を眺めているうちに、とある本に目を止め、手にとった。 『ゲーテ詩集』 いかにも誰も借りていなさそうな古い本だった。ゲーテならもう数えきれないほど読んでいるし、ある程度までは原文で読むことも可能なので跡部にしてみれば今更の感がある。だが、こんな本を誰か借りている生徒がいるのだろうかと、そちらに興味を持った。 裏表紙を開いて、ポケットに入っている図書カードを取り出した跡部は、わずかに目を丸くした。カードには、たった一人だけ、しかも意外すぎる名前が記されていた。
二年 芥川慈郎
思わず、跡部はその本を借りて帰った。
「ジローが、ゲーテねえ…」 帰宅した跡部は、自室の机の上に置いた本を目の前にして首を捻った。どう考えても、慈郎がゲーテを読む姿が想像できない。というよりも、跡部は彼が漫画以外の本を読んでいるところなど、いまだかつて一度も見た事がなかった。もっとも、教科書を枕にして、机で眠っている姿はよく目にする。 ひとしきり悩んでから表紙を開くと、想像に違わない匂いが鼻を衝く。わずかに黄ばんだ紙に古い書体で綴られている、それらの詩の殆ど全てを暗記している跡部は、特に目を留める事もなくぱらぱらとページを繰っていたが、ちょうど真ん中あたりで動きをとめ、目を見張った。 「なんだこれは…!」 そこには鉛筆で堂々といたずら描きがされていたのである。小学生のらくがきのような絵だが、それでも描かれている人物が着用しているのは、明らかにテニス部のユニフォームだった。誰が描いたのかは考えるまでもない。跡部は頭を抱えた。 「あの馬鹿何やってんだ!」 さらにページを進めると、どうやら何ページかに渡って延々と描かれているらしい。返却時に図書委員もしくは司書が大体チェックしているはずなのだが、よく見つからなかったものだ。舌打ちしつつ、跡部は抽き出しから消しゴムを取り出した。さすがにこのままにしておくわけにはいかない。 「ったく、なんで俺様がこんなことを…」 改めて見てみると、緩い絵ながらもそれなりに描けているようだ。おかっぱ頭でムーンサルトをしているのは岳人であろうし、その隣にいるのはひぐまおとしのポーズをとっている忍足。その他にも見知った面子が楽しそうに描かれていた。 そのひとつひとつを丹念に消していた跡部は、ふとある事に気付いて憮然となった。 (俺様がいねえな…) 馴染みの二年生部員に加え鳳や樺地といった下級生、果ては監督の榊までいるというのに、なぜか跡部の姿はなかった。描かれていても困るのだが、いなければいないで釈然としない。立海大の丸井(と思われる絵)を最後に、いたずら描きは終わっているようだった。 なんとなく面白くない気分のままその後のページを一枚ずつめくっていったが、そこにはただ詩人の苦悩が記されているだけで、跡部は途中で放り出してしまった。
つづく
hidali
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