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他人の感情をモロに受けて自分まで鬱のようになってしまった。でもそういうのってめちゃめちゃ望んでることじゃないのかと自問してしまう。誰かと感情を共有すること、誰かの感情を正面から受けること、そういうことずっと望んできたんだと思う。 友情と愛情は同じだ。その間に性行為が在るか無いか。これだけしか違いが分からない。不倫とか浮気とか行為が伴わない、精神的なものだったら咎められないような気がする。想うことは止められないし、それが他人から覗き見されるわけでもない。見えないものを咎めることなんて出来ない。 己は男女間の友情というものが全く信用できない。残念ながら。成立させているという人も多くいるだろうけど、己の周りでそう云う人は恋愛と友愛の区別が付かない。一見[付き合ってると思ってた]、[好きだと思ってた]というような関係に見えるが、本人たちは友人だと云う。真実なんて分からない。でも少なくともそう思われるだけの何かがあるんだと思う。それを純粋に友情だけだと云えるのだろうか。 己はあまりにも下世話に事を考えすぎる、と云われれば確かにそうだとしか云いようが無い。主観に基づく考えというのは極端に走りやすい。特に己の場合は理性が少々欠落気味だ。 吐き気がするほど己はこういう話題が好きだ。
身体だけでもいいから繋がっていたくて、その相手は誰だっていいと思うときがある。その対象には友人と普通は云うだろう人間たちがほぼ全員含まれている。男も女も生理的嫌悪を抱かない限り、行為までいける。そんな風に他人を見ている自分がいる。 吐きそうだ。
リストカットの衝動に駆られる。痛みでこの世に存在しているという証を得たい。独りはいつまでもゆっくりと時間が流れる。波のように時折強い衝動。 胸を突いてしまいたい。長々とした美しい刀身で。血に濡れて錆びた鉄のにおいを想像する。鷲掴みにされた心臓が痛い。
貴方が欲しいなんて、恐ろしくて云えない。
言葉がまとまらない。うまく言葉が出てこない。いろんなことがいろんな風に混同されて一緒くたになって己の中に浸透してきて、それに追いつかなくて止まらなくて溢れ出すだけの言葉があって。弱音はいくらでも吐けるけど、毒にも薬にもならない。ただ不愉快で仕方ないだけ。
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