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解り合えないことが辛いのではない。解り合えないと思ってしまうそのことが哀しいのだ。解り合えないということは、それは自明の理であって、全く当然のことであって、だから解り合おうとすることで苦しむよりは解り合えないんだと知ってそう云う方が辛くない。 でもそういう苦しさとか、嫉妬に似た感情とか、無ければどうやって人は人の営みを繋げていくのだろうか。解り合おうとしないなら、どうして人は人と繋がっていたいと思うのだろう。恋人も友人も、家族も解り合うことは無いと知りながらもそれでも側にいることは辛くは無いのだろうか。物理的な距離が、精神的な距離に近づかない。それは物理的な距離があるよりもずっと寂しくて切ないように思える。 我々は互いに理解しあうことなんて在り得ない。それは泣きたいくらいの真実だ。すべての理解は妥協と錯覚の上に成り立っている。だから理解したいと思うのは間違ってる。貴方を理解したいと云うときに、それは同じことを相手にも求めているのだ。己を理解して欲しいと本当は云っているだけなのだ。己にとって都合のいいように理解して欲しいと思うのだ。
そんなことは解っている。解っているのに囚われたままの己の心が哀れだ。
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