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日記を公開しているということの意味を問われたことがある。 知人の誰にもこの日記を教えていない。しかし、誰かに読まれたとしても差し支えないように書いている。昔初めてこの世界に触れたとき、内実を吐露した日記を書いていた。見る人が見れば個人を特定出来るような日記だ。それを知人に見つけ出されてしまった時のあの凍るような気持ちが胸の奥にこびりついている。 己は他人に依存して生きている。実生活でもこの世界でも。誰にも読まれないでいたい、でも誰かに見られていたい。そういう気持ちがこの世界で日記を書く理由だ。読者は己を知らない。知っていたとしても、知られていたとしてもさして影響はない。己自身で読み返していてさえ時々分からなくなる程度の情報しかない。最近少々筋のあるような話もするようになったが、たいていは己だけの為に書かれたとりとめのない文章とすら云えないものだ。 妥協点なのだと思う。自分を見せたいという気持ちと、見せたくないという気持ちとの妥協点がここなのだ。この場所はひどく居心地がいい。強烈な非難も賛同も得られない代わりに、密やかな反応がある。確かに誰かが見ているのだというささやかだが確かなレスポンス。それが己を支えている。 彼方に心からの感謝を。
あの人を殺して自分も死ねたらいいなんて、馬鹿なことを思った。あの人がどうやっても己のものにならないと知らされてしまった今、もうあの人を思うことさえ出来ない。恋にもならない憧れでもない、劣情という名の傷が見える。 裏切りの傷痕が見える。もう忘れたと思ったその傷を思い出した。思い出させられたというほうが正しいだろう。彼女の意図は何なのか。伝えるべきことを伝えなかった彼女のその意図は何なのか。彼女が何を思っているのかは分からない。だが同調する酷似した己の内部が告げる。同族嫌悪。今思い返せば裏切ったのは己なのかもしれない。
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