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| 2002年10月25日(金) |
身体を与えるということ |
身体を与えるということ、身体を求められるということ。昔はそれなりに嫌悪感があったように思う。今はと云えばもうどうでもいいような気がする。この身体を求められることなんて、考えられない。己が欲することはあっても、誰かが己を欲するということを己は想像出来ない。 だから[もし五千円上げるからと言われたら喜んで身体を与えるだろう]と本当に思う。共感というのではないが、そういう気持ちは確かにある。己の場合、それはどういう形にせよ己が求められているということが嬉しいのだ。そして一瞬でも幻想を抱かせてくれるのなら金なんて要らないとさえ思う。 [悲しい]と彼女は云う。[自分のこと、もっと大事にして]と彼女は云う。でもそれだけの価値を己は己自身に見出せない。肉体だけではなく、己のすべてに対して己は価値を見出せない。 人並み以上の、自己中心的でさえある自尊心を持っていた筈だった。それは確信のように己を責める。でもその何もかもが意味を成さないということに気付いてもいた。 自暴自棄。そう云われても仕方ない。
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