ジンジャーエール湖畔・於
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2002年12月20日(金) 僕の恋、僕の傘






 柴田元幸訳の英米文学アンソロジーをキノコノクニヤ(古本屋)で買って読んでるとこ。
 表題作の「僕の恋、僕の傘」(ジョン・マッギャハン)をはじめかなりヘンテコな話揃いでおもしろい。
 柴田元幸は有名な訳者として知ってたけど、恥ずかしながら「ギャシュリ−クラムの子供たち」でしか
 読んだことがなかったんだ。オザケンの先生じゃなかったっけ。記憶ちがいかも。

 夕べ、チングがブクオで安売りしてたといって「トランプのための数字展」(尾方江璃霞)
 という絵本だか詩集なんだかよくわかんない本くれた。へんな本。
 『感性魔人哀歌』『弾き語り』『シンキロウのウタ』とか。
 『問題 雪はどうして白いのかそして雪の日は何故にあれほど静かなのか』は、
 空に溜まった夏の太陽の死骸が白骨化して崩れ落ちてくるのがちょうど冬の季節だから。とか。

 ほかには「初等ヤクザの犯罪学教室」(浅田次郎)と「贅沢貧乏のマリア」(群ようこ)、
 あといまさら「もものかんずめ」(さくらももこ)を読んだ。
 全部メリーベルの本棚から。ちなみにメリーベルの今の御贔屓は浅田次郎、青木雄ニ。
 メリーベルの趣味からいくと、そろそろ戸梶圭太あたりイイ!とか言い出すんじゃないかと
 予測してんだ。けどあの人はそういう予想を裏切る行動とるからわかんないね。
 ヒマもてあまして家にある本でどーでもいい読書三昧。婦人公論まで熟読する始末。
 わたしはけっこうメリーベルの本でもそれなりに暇つぶしできるんだけど、
 彼女はわたしの本にはすべからく否定です。
 源一郎の「ゴーストバスターズ」川上弘美「溺レる」荻原浩「母恋旅烏」など、
 わりと誰でも楽しめそうなものを貸しても全然反応悪くて。
 短歌をはじめたいというので穂村先生の短歌入門書「短歌という爆弾」をすすめたら、
 「あっ!世界音痴の人?いやん、この人」
 とあっさり却下されてしまったり。こうも趣向が合わないのも不思議。
 唯一ナンシー関だけはいいみたい。
 永ちゃんライブ会場やら、笑っていいとも!会場やら、いろんな異空間を取材したナンシーの「信仰の現場」
 という本をメリーベルに貸したら、「デブんちがのってた・・・」と。
 一瞬なんのことかわからなかったけど、”デブ”っていうのはうちの父の数少ない友人”デブおじちゃん”
 のことなんだ。(本当は山本さん)
 デブおじちゃんは神保町の明治大学付近でアウトドア店をやってるんだけど、
 ナンシーの本でなんとそこを取材されてたそう。
 わたしの本なのになんではじめ読んだときに気がつかなかったんだろう。
 いまのとこ、メリーベルに本を貸してはかばかしかったのはこのことだけだ。

 ところでデブおじちゃんがどーしてこんな失礼なあだ名なのかは知りません。 
 もう小さい頃から私の中では”山本さん”ではなく”デブおじちゃん”として君臨してるし
 父も母も彼のことを”デブ”以外の名前で呼ぶのを数回しか聞いたことがない。
 姉妹篇で、イドネさんという”ハゲ”というあだ名のおじさんも存在します。
 ”デブ”も”ハゲ”もまだ父が若かった頃からのつき合いなのだが、今となっては
 その父自体が”デブ”で”ハゲ”になっているにもかかわらず、疑うことなくその名を他人に呼びつづけている
 おかしさはどーしたらいいんだろう。



 
 
  


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