KENの日記
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2015年01月28日(水) アンネ家族とアウシュビッツ

大昔からある「アンネの日記」を読み返しています。1月27日がアウシュビッツ強制収容所の解放日だったので、アンネの家族の生活を辿ってみたいと思います。

1926年6月12日、アンネがフランクフルトで生まれる。生きていれば今年の誕生日で89歳。

1933年、ドイツでのナチス党台頭の状況下フランクフルトから家族でアムステルダムに引越し。

1942年7月、秘密の隠れ家に引越し。

1944年6月、連合国のノルマンディー上陸作戦開始の情報に希望を抱く。

1944年8月4日、アムステルダムの「隠れ家」が発覚。その後オランダの強制収用所に家族で連行される。

1944年9月3日、連合軍の進軍のため、収容所のユダヤ人はアウシュビッツに向けて出発。

1944年11月、アンネと姉マルゴットはアウシュビッツからドイツのベルゲンベルゼン収容所に移される。

1945年1月、アンネの母エディットがアウシュビッツにおいて病気で亡くなる。

1945年1月27日、ロシア軍によってアウジュビッツが解放され父オットーが救出される。

1945年2月、ベルゲン・ベルゼン収容所で姉マルゴットが病気で死亡。

1945年3月、ベルゲン・ベルゼン収容所でアンネが病気で死亡。

1945年4月15日、ベルゲン・ベルゼン収容所解放

1980年8月、アンネの父オットーが亡くなる。

昨日のアウシュビッツ強制収容所解放70年の式典には収容所から解放された300人程の生存者が参加したそうです。もしアンネがそのままアウシュビッツに収容されていて1月27日に救出されていれば今年89歳ですから、まだまだ元気にこの式典に参加できていたはずです。しかしアンネの家族には不幸や不運が重なり、戦争を生き抜くことが出来たのは父親のオットーひとりでした。

アンネは私の亡くなった母より「5歳」も年下でした。アウシュビッツも太平洋戦争も現代の戦争なのだということは忘れがちです。「アンネの日記」のようにキチンと歴史を記録することが大切なことを痛感します。




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