最近朝はとても涼しく感じられます。こういう爽やかさはスロランカのコロンボにはありませんでした。やはり緯度の違いは大きいと思います。一方、日中、太陽が高くなると気温がぐんぐん上がり30度を越すことにはなります。 朝・夕同じ道を歩いて通勤・帰宅しているのですが、オフィス街のその道は殆ど「屋台」がずっと連なっています。食べ物屋・果物売り・ココナッツ売りなどの飲食関係が多いです。特に朝の時間帯は、朝食の後片付けと昼食の仕込みの様子を見ることが出来ます。といっても歩道で営業しているのでいやでも目に入るのです。皿荒いの横を通り抜けていく感じです。
そうした風景を見ていて気が付いたのは、結構小さい子供が働いていることです。この子供達は学校に行かないのかしら。そう思いつつも、彼等が一生懸命働いているところを見ていると、これが彼等の学校なのかしらと思えてきます。本当に丁寧に皿を洗っているし、玉葱刻みを上手に一生懸命やっています。彼等はそれを強制されているのではなく、自分の仕事として取り組み、いかに上手にこなすか工夫しているように見えます。
こうした風景はインドの不思議な感じです。すごいことだと思うのです。人々はそれぞれの自分の仕事に精一杯取り組んでいてお互いにそれを認めています。それがどういう商売だろうと皆同じ感覚なのかなと思われます。ただし、その商売は非常に細分化されているのです。料理を作る・それをサーブする・そして後片付けとして皿を洗うことが別々な仕事なのです。つまり、皿を洗う人は暇があったら調理方法を習うということはなく、あくまでも皿洗いだけに没頭していると思われるのです。
インド版「二宮金次郎」は「薪集めのプロ」となるよう努力する「人」なのではないかと思われるのです。決して仕事をおろそかにしません。本を読む時間を惜しんで良い薪の集め方を研究するのです。(私の想像ですが)本当の正体はわからないけれど、(どっちが先かわかりませんが)インドのカースト制が存続していることの大きな理由はこういう社会だからだと思われます。それぞれ細かく細分化された仕事に関して「名人」となることが人生の誇りなのではないでしょうか。ヒンズー教の「カースト制度」が数千年間もインドの社会に生き延びてきた「ポジティブ」な面を見る思いがします。
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