インド出発の前日になって、旧式の「iPod」を買ってきて、家族があきれていたのですが、本当に買ってきて良かったです。自分の聞きたいCDの「40分の一」程度しかダウンロードする余裕がなったのですが、それでもこれがないと辛い生活になるだろうなと思われます。
「iPod」の宣伝は別の機会に書くとして今日は音楽の話です。私のCDコレクションにはカラヤンの演奏は殆どありません。長野の実家に大昔のカラヤン演奏のレコードが何枚かありますが、これは中学生時代にかってものですから30年以上前のものです。最近は殆ど買いませんでした。
ムンバイのCD屋ショップで、廉価版(二枚組み)のカラヤンの小品集があったので、折角だから買って「iPod」に入れて聞いてみたのです。収録されている曲は「アイネクライネ」「こうもり序曲」グノーの「ファウスト」とか有名な曲ばかりなので、ひとつくらい気に入る演奏があるだろうとおもったのでした。
因みに日本で「iPod」に入れてきたのは、時間がないので厳選した結果、チェロの曲(イッサーリス、デュプレ)とかケルテスの「新世界」ケーゲルの「巨人」ワルターの「ジュピター」等、何度聞いても飽きが来ないと思われるものばかりでした。
さて、先週の休日、ケルテス、ケーゲルを聞いた後にカラヤンを聞いたのですが、全く呆れたことに、ほんの数小節聞いて止めてしまいました。正直言ってイヤホンでしっかり聞く気にならないのです。ステレオの前で周囲の雑音に邪魔される時と違って、久しぶりにイヤホンで真剣に聞いて、また同じ失敗をしてしまったと後悔しきりです。
昔はなぜこのような音楽が流行ったのか本当に不思議になりました。テンポは急ぐし、合奏もそろわないし、そもそも気持ちが入っていません。ケルテスの振った「新世界」とかモーツアルトの「25番」「29」番など、オーケストラが喜んで演奏していることがわかります(オケは当然ウィーンフィルですが)。これに比べてカラヤンがバトンを振るベルリンフィルは、つまらなそうに演奏しています。我慢している感じなのです。
唯一「ボレロ」は最後まで聞きました。この曲はスネアが全体を引っ張っているので指揮者の指示にはあまり関係ないからでしょう。
ふと浮かんだ推理は、当時70年代から90年位まで、誰かが情報操作をしていたのではないかということです。当時は東西の冷戦が激しくて、ソビエト・東ドイツに負けてはならないと、無理してかっこいい「英雄」を作り上げていたのではないでしょうか。「9.11」以降、アメリカの世論を味方につけ、イラク攻撃に突き進んだブッシュ政権のことが頭から離れないのでそう考えるのかもしれませんが。
それとも、日本の高度成長時代には、日本の国民全体がそういう雰囲気であったのでしょうか。その当時、西側の「スター」「音楽界の帝王」として持て囃されたカラヤンは何だったのでしょうか。本当に不思議な気持ちになります。一方の東側には、東ドイツのケーゲルとかソビエトのムラビンスキーとか、厳しい環境の中で、まさに職人のように純粋にすばらしい音楽を作り上げていたのでした。こんなことを書いても10年後にはどうなっているか判りませんが。
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