「アサシン(暗殺者)」の語源は実はイスラム教の一派の名前からきているのです。しかもそれは11世紀頃の話なので、既に1000年前にイスラム教の一派に「暗殺」(テロの一形態)者集団がいたというのです。
9・11事件とかロシアでの一連のテロ事件、そして今回、非常に多くの犠牲者を出したロシア南部の学校テロ事件など、私はもう少し歴史が新しいのではないかと思っていました。例えば西欧(アングロサクソン)の進歩主義的・啓蒙主義的な行動に対する反発、あるいは少数民族への弾圧等、自分の頭の中では、近代民主主義(基本的人権、多数決主義等)への反抗なのかしらとも考えていたのでした。
ところが、イランの「オマール・ハイヤーム」の4行詩を調べている中に、彼の幼友達の「ハシン」という人間が「ハシン派」という一派を形成してテロ行為を始めたということを知ったのです。実に11世紀ことなのです。この「ハシン」の一派のことが、有名になり且つ恐れられて「アサシン」という単語を英語にもたらしたようです。ちょうど西欧がイランの代数学にびっくりして、「Algebra」という単語を持込んだように。
当時、イラン地方は文化の先進地域で、数学、天文学、物理学などの研究が非常に進んでいました。つい先日オリンピックの終了したギリシアから多くの学者がこの地方に移り住んできた結果なのです。そしてこの地方の領主が、そうした学問・文芸を大変尊重したのだそうです。この文化が西欧ルネサンスの繋がっていくのです。
ところで「オマール・ハイヤーム」の4行詩は驚くほど自由です。もっとはっきり言うと「酔っ払いの言い訳」みたいなところがあります。政治に嫌気がさしたり、頑なな宗教の教えをからかったり、人生を悲観したりと、今のサラリーマン心情と全く変りありません。1000年経っても人生の苦しみは全く同じだし、イスラム社会においても同じなのだということを実感しました。
しかし「オマールハイヤーム」の詩は、当時の支配的なイスラム指導者から睨まれて、発禁処分みたいになって、知られるようになるのが随分遅れたのでした。
さて「テロ」行為ですが、この「ハシン」以前にはそのような行為は無かったのかは不明です。イスラム教はハシン以前にも長い歴史を持っています。この「テロ」行為が始まったのはなぜなのか。イスラム教の人達も、そうでない人達も少し調べてみる必要がありそうです。
ルネッサンス時代の西欧の人々も訳のわからないテロ行為に恐れをなし、理由もわからずに「アサシン」という言葉を取り入れたのではないかと想像できます。しかし、イスラム社会の中には、その当初からそうした行動に走る思想があったのかもしれません。
さらに、この11世紀には、重要な西欧とイスラムの戦いがあったのでした。キリスト教聖地奪回の「十字軍」の戦いです。こうしたことが「ハシン」の行動、また「ハシン派」の行動に影響を与えていたのかどうなのか。これも分かりません。
11月2日に大統領選挙を向かえるアメリカでは、「テロとの戦い」が争点になろうとしていますが、もう少し別な・冷静な研究があってもいいと思います。アメリカには悪の枢軸国をやっつける「新十字軍」だけで終わって欲しくはありません。
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