| 2004年05月21日(金) |
ソニア・ガンジーのこと |
今日5月21日は、ソニア・ガンジーの夫のラジブ・ガンジー(Rajiv Gandhi)が亡くなってから13年目の記念日にあたります。朝のテレビ放送では、記念碑に花を捧げるソニアの姿が報道されていました。今週水曜日に電撃的に「首相就任」を断った「ソニア・ガンジイー」は、今、新首相候補の「マンモハン・シン」と並んで時の人となっています。
勉強ののために「ソニアと夫のラジブ」のことを調べたので記録しておきます。ラジブ・ガンジーは1944年にインディラ、フェローツェガンジーの長男として誕生しました。ソニア・ガンジーは1946年にトリノ近郊のオバサンジョのマイノ家に生まました。
二人は1960年後半にケンブリッジ大学に学び、そこで知り合って1968年に結婚しました。ラジブはいたって普通の学生であり、卒業後は飛行機パイロットとして働いていました。ソニアにしてみれば、「インドの英雄ネルー」の直系の孫というものの、政治野心のない、誠実でハンサムなインド上流階級の紳士と結婚したつもりであったと思われます。
ソニアは結婚後義理の母でありインド首相のインディラと非常にうまくやってきましたし、ソニアとラジブは二人の子供(長男はラウル、長女はプリヤンカ)に恵まれ、本当に幸せな家庭を築いていたのです。
ところが、ラジブの弟の「サンジャイ」が1980年に飛行機事故で亡くなってしまうと、母インディラはラジブを政治の世界に引っ張り込んでしまったのです。たぶん、インディラは弟の方に政治家の資質を見出していたのでしょうが、弟の死でラジブに後を託すしかなくなってしまったのです。
政治の世界に疎かったラジブの運命が、非常なスピードで回転し始めたのでした。彼は1981年の総選挙で国会議員に当選して「母インディラのアドバイザー」として政治に首を突っ込んでいくことになります。そして1984年母インディラが暗殺された後、母を継いで国民会議党の代表に選ばれ首相に就任するのでした。40歳で首相に就任したラジブの政治は大きく言って二つの側面を持っていたと言うことができます。
ひとつは、21世紀を睨んだ「インド社会の発展」というビジョンです。貧困の解消、差別の撤廃、国際協調の推進といったネルー・インディラに続く社会民主的な目標設定、そして「若さ」を前面に打ち出した清新さでありました。この考え方の下に、彼はスリランカ民族紛争解決のために「インド平和維持軍」を派遣して政府側を支援したのでしたが、これを嫌ったタミール人ゲリラの自爆テロによって、1991年インド南部タミールナド州で亡くなったのでした。それが5月21日なのです。
ラジブの政治の暗部は、いわゆる「政治腐敗」なのです。裏の世界の事情に疎いラジブは、「金」の問題で国会議員を落選することになるのです。スウェーデンの機関銃製造会社からの多額の賄賂受け取ったという問題が致命傷となって1989年の総選挙で落選してしまったのです。そして復活を目指して選挙遊説をしている最中に死を迎えてしまいました。
ソニアは、パイロットの妻からファーストレディに成ってしまったのです。外国人のソニアは、ソニアはラジブと結婚するにあたって、ラジブが政治活動に首を突っ込むことを恐れていたようです。ラジブとの約束で「彼が政治にかかわるならば離婚する」と約束していたようです。
そのソニアは、1991年の夫の死以降数年間喪に服していたのですが、1997年に国民会議党に入党します。本来政治活動に気が向かないソニアですが、国民会議党は彼女の「カリスマ的な人気」に目をつけて国民会議党の代表に祭り上げてしまったのです。
しかし、この間のインドの政治はバジパイ率いる「BJP」(インド人民党)中心の連立政権が政権を運営をしてきました。この「BJP」政権は国民会議党の敷いた近代化路線を順調に発展継承し、近年のインドの経済発展をもたらしたのです。伝統ある国民会議党は野党であったのです。
2004年4月の総選挙においては、経済発展の実績を背景に「BJP」連立与党が圧倒的に勝利するだろうと考えられていました。ところが、インドの人々はソニアが率いる「国民会議党」を選んだのです。6億人の有権者の投票による世界最大の民主主義投票制度において、歴史的な勝利を得てしまったのです。敗れたバジパイ氏は「BJPは敗北したがインドの民主主義は勝利した」と、インドの選挙制度、そして人々の選択を素直に賞賛しました。
「勝ってしまった」ソニアは、選挙後の5月16日の日曜日に連立政権樹立のためのパーティを開きました。この席上で事実上「ソニア」の首相指名が決まったのです。他方、表面的に言うと「月曜日」のムンバイ証券取引所の株式が大暴落。裏では何が進んでいたのかわかりません。水曜日夜の突然「首相就任事態」になったという訳です。
ニューデリーのインディラ・ガンジー記念館には、インディラとラジブの暗殺された時に身に着けていた血に染まった服が展示されています。この一週間、夫と義理の母をテロによって失ったソニアが、自らその地位に着く決心をして、そして辞退したのでした。あまりの激動で心中を察することはできません。
しかし、テレビや新聞で報道された「亡き夫」を偲ぶ白いサリーに身を包んだソニアの姿が非常に印象的で、非常に美しいことは確かでした。新聞に載ったラジブとソニアの美男・美女のカップル、幸せそうな家庭の写真と対照的でした。
最後に本当に蛇足ですが、インドの隣国「スリランカ」では、同じく夫をテロで失った「クマラトウンガ大統領」が、4月の総選挙で勝利してしまったので政権樹立・運営に必死です。そして、反政府組織の「LTTE」は内部分裂を起こしていて、13年前のラジブ暗殺の責任の押し付け合いをしているのです。
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