先週ジャフナに旅行したのですが、あまりにも多くの事を考えたので整理するのに時間がかかります。忘れない中に少し記録しておくことにします。
今回はタミールの方にジャフナ半島を案内していただいてきました。改めて感じたことは、「ジャフナはスリランカのタミール文化の中心地である」ということです。ジャフナの街には、ヒンズー教寺院・キリスト教教会がそれこそ日本で見かける「コンビニ」ぐらいあります。非常に敬虔な風土を感じました。 ヒンズー教寺院は威厳があって色彩豊かで非常に興味深いものでした。
それと、住んでいる人達(ほとんどがタミール人です)がジャフナを愛していて、大事にしていて、誇りを持っているということ。そのことが人々を支えています。コロンボから400Km離れてても、国際空港がなくても「ジャフナはジャフナ」なのです。ここはほとんどタミールの人達の「首都」なのです。 広々とした平原とパルメイラ椰子の取り合わせは本当に美しいのです。
この状態にスリランカ政府の多くの人達は我慢ができないのでしょう。スリランカの中心はコロンボであり、シンハラ世界であり、コロンボは求心力が必要なのです。
スリランカの内戦の始まりはジャフナからでした。教育における差別・就職における差別、つまりタミール人がシンハラ人より不利な扱いを受けたことが発端でした。それもジャフナ大学の入学者の構成比率の問題だったとのです。
ささいな「諍い」が次第に「不信」「憎しみ」「敵対」に変わるにはそれほど時間がかかりませんでした。政府の差別政策、そして大きな警察・軍事力に対してに対して、タミールの人達はゲリラ戦法で対抗したのでした。ジャフナの街では行政に対するゲリラ活動が活発になってしまったのです。
まさに、これはアメリカ支配下のイラクを見るようです。彼等に残された道はテロしかなかったのです。最初消し忘れた炎はとてつもない大火になってしまったのです。タミール人のテロ活動はシンハラの人達にとって、「卑怯」「愚劣」な物と映り、「タミール人は信用できない」という評価になってしまうのです。
そうした抗争を通して「ジャフナ」は一旦LTTEの支配下に入ります。その後政府軍は膨大な軍事力を投入し奪回したのでした。その戦いの中で政府軍はジャフナ市街をほとんど焼き尽くしたのでした。イスラエル・ロシアに頼んで空爆も行われたのです。ジャフナのいたるところで破壊されてそのままになっている家屋を見ることが出来ます。
この抗争の最中に多くのタミール人はこの国を逃れて海外に逃げ出しました。紛争前のジャフナ半島には100万人住んでいたそうですが、今は60万人位しか住んでいないそうです。破壊されたままの空家が沢山あるのです。
私は一部を世界遺産に登録して保存すればいいのにと思います。「広島」みたいに。
スリランカ政府はジャフナの中心地に「仏教寺院」を建てました。2万人以上駐留していると言われる政府軍兵士のためでもあります。それ以前ジャフナ市内には仏教寺院はひとつもなかったのです。
ジャフナは政府がLTTE軍から開放したのか、政府軍が占領しているのか、答えは明らかなのです。
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