ゼロの視点
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2002年11月05日(火) La manifestation de prostituées à Paris

 Sénat、つまりはパリ・フランス元老院の前で決起された、売春婦たちのデモに出向いてみた。内相サルコジがこれから、売春婦たちの存在を罪とし、彼女たちをつかまえた場合には、六ヶ月刑務所に入れることが可能という法案を打ち出したことに対しての、デモだ。
 
 予告されていた集合時間の17時に現場に到着すると、私の想像よりも遥かに少ない人手だった。200人強の売春婦に対して、報道陣が200人弱?、というような印象。おまけに警官がたくさんいた。大部分の売春婦たちはマスクをつけていて、そういった人らは、子供などを持っているために、マスメディアに顔を晒したくない、あるいは晒せない状況にある。それ以外の、子供もなく、社会的に恐れるものがなにもない売春婦たちは、マスクもせず、それぞれが思い思いの手製のプラカードを持って、自分たちの考えを主張していた。

 フランスでは、売春小屋というものが廃止されてすでに半世紀以上。それ以降、売春婦たちは路上での商売を強いられてきている。また旧東欧諸国の共産主義が崩壊したことにより、生活が苦しくなった娘たちが売られ、流されの果てに売春婦になって、夜のパリの路上で日銭を稼いでいたりもする。もちろん、そこにはマフィアとの深い関係もあり、また非合法にフランスに来てしまい、とはいえ母国にはもう決して戻れないという売春婦たちがごまんといる。

 ということで、この売春婦の問題には、非合法移民の問題が深く影響しているのであって・・・・。

 それでは、なぜデモに200人ちょっとの売春婦しかいなかったのかというと、マスクをしながらもデモに参加できる人たちは、いわゆる合法移民、ないしはフランス人(および欧州のひと)なのであり、この裏には数え切れないほどの非合法&悲惨な状況で仕事をしている売春婦たちの存在が、容易に想像できる・・・、ということゆえ、ある。

  デモ現場で数人にインタビューしたものの、その背後にいる売春婦たちのことを想像すると、だんだんと形容しがたい、鬱々とした感情に襲われてきた。

  それと同時に、たくさんのマスコミのカメラが気になった。万が一カメラに写ってしまって、それが放映でもされたら、バリバリのウルトラ保守でカトリックの義母&その一族が、全員心臓発作でも起こし兼ねないからだ。それだけ、義両親の一家はある意味では、プチ・ブルジョワ階級ともいえる。とはいえ、決して大ブルジョワではないところが、人様の目を異様に気にしたりする彼らの行動を如実に表しているともいえるが・・・・。

 現在のフランス経済は、ひと昔前の、ちょうどバブルが崩壊した日本のような状況になってきている。フランステレコムが世界一の負債を抱える会社になってしまい、これから社員を大幅に「クビ切り」していくように、もうすでにたくさんの会社が同じような状況に陥っている。
 
 アメリカだって、戦争という「国家事業」でもしていないと、途端に経済が停滞するように、資本主義が伸び悩んでいるのは確かなことなのだろう。そんななか、俗にいう先進国でさえアップアップのところに、世界レベルでいう貧富の差は、どんどん広まる一方。

 ま、そんな記事は暇さえあれば、誰でも新聞やネットなどでそういった記事におめにかかるとはいえ、売春婦のデモに参加してみると、それが頭で理解するのとは全く違って、恐ろしいくらいに「何か」を肌で感じてしまう。

 普段、何の気にもとめず肉を食べながら、屠殺場を見たら頭が混乱する人が多い・・・、という喩えが、果たして有効がどうかはわからないが・・・・。

 で、ふと思ったことだが、日本では様々な現状を、実際に見る機会というのがあるのだろうか・・・・、ということだ。マスメディアはきちんと多角的に世界のニュースなどをきちんと伝えているのだろうか・・・・?。

 おそらく、こんなことを漠然を再認識してしまったおかげで、デモ現場でだんだんと鬱々としてきた、私がいたのかもしれない。


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