Miyuki's Grimoire
Diary INDEXpastwill


2005年08月19日(金) ヌヴェールからの手紙

本棚を整理していて、ふと眼に留まったポストカード・ファイルのなかから、1枚の美しい絵はがきが出てきました。

2001年にフランスに一人旅をしたとき、ヌヴェールの修道院に泊めてもらったのですが、そのお礼にわずかばかりのお金を郵送でお送りした後、修道院に務めていらっしゃったシスターからお礼の絵はがきをいただいたのでした。

「みゆき様
お手紙ありがとうございました。そして宿泊費にとお送りくださった000フランは確かに受け取りました。お書きくださったように半分を宿泊費に、そして残りを聖堂のための献金にと渡しました。ありがとうございました。

ヌヴェールでの短い時を「心に残る恵みの時」とお手紙にありましたが、お書きくださったように、愛されている者として・・・愛する者となること・・・祈りのうちに「愛とは・・・」の問いかけを心に投げかけ、その答を語りかけてくださったのも「愛」そのものでいらっしゃる神が、あなたをどんなにか愛しておられるかの証です。

父である神に「愛された者である」あなた、そして私、互いに愛の道を歩み続けましょう。

お手紙の中にベルナデッタの聖堂よりも、ベルナデッタが最初に葬られた庭の小さなおみ堂に心ひかれたとありましたね、そうです、聖書の言葉に「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、ただ一粒のまま残る、しかし死ねば豊かに実を結ぶ・・・ヨハネ12/24」とあります。

実を結ぶとは、それはあなたの内に活きていること、ベルナデッタはあなたのなかに生きています!! わたしはあなたのこの受け止め方に感動しました。あなたが心の奥深くに強い感動と愛を憶えて帰られたこと、ほんとうに嬉しく思います。

12月26日にパリを経って、日本に3週間の予定で帰国することにきまりました。東京は目黒ですから一度お電話差し上げますね。

良いクリスマスをお迎えなさいませ。

お元気でね!!

Sr.Yasuko」

このはがきを読んで、4年前のフランスの旅を思い出しました。聖母マリアの奇跡を見たくて、ルルドの泉に行き、その帰りに、ルルドで聖母のご出現を受けた少女ベルナデッタが暮らしたフランス中部の田舎町、ヌヴェールの修道院を訪ねたのでした。

この旅の様子は、以前、写真をHPで紹介していました。そのなかでコメントしたように、わたしはキリスト教会が言う「罪」という言葉の概念がわからず、シスターに「罪とは何ですか?」と尋ねたのです。するとシスターはこう答えました。

「罪とは、愛さないことです。愛しても、愛しても、まだ足りないのです」

奪うことや、嘘をつくことや、人を傷つけることや、怒り自体が悪いのではなく、ましてやそれをする人が罪深いのでもなく、すべて、愛が足りないから起きるのであり、世界が平和になるには、ただ、愛するだけで良いのだと彼女は説明しました。それは、生涯をかけて神に尽くし、奉仕する人の言葉でした。記憶や知識からではない、本物の経験から、この世は愛で創られていることを熱心に語るシスターの思いは、深い内的な世界からまっすぐに天に向けられており、その清らかな道筋には光がいっぱいに満たされているのでした。

人生のなかでたったの1日、遠い国の空の下で偶然に出会い、別れた人の言葉や優しい態度が、いまでも美しい映像としてよみがえります。

日常の生活のなかで、いろいろな否定や罪悪感や怒り、そして恐れに出会うことがあります。けれども、それらを変えて行けるのは愛だけだと、もう一度思い出したいと思います。この世が愛で創られているのなら、すべてのものに愛は浸透しているはずで、もしそれらが感じられないのなら、その力は無視され、単に素通りしているだけということなのでしょう。もしこれを理解して、自分のなかに受け取ることができたら、それ以外に人生でするべきことは何一つないとさえ思うきょうこの頃です。




miyuki