長渕剛 桜島ライブに行こう!



いつまでも剛のライブで会えますか?(最終回)

2004年11月19日(金)

『いつまでも剛のライブで会えますか?』(最終回)

                 text  桜島”オール”内藤





とうとう僕のアパートにやってきた。
4枚組CD「ALL NIGHT LIVE IN 桜島 04.8.21」だ!


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長渕剛 桜島ライブに行こう! 最終回



桜島から帰ってきた僕は、
何事もなかったかのように、
日常の生活に戻っていきました。

桜島での日々とは異次元に位置する、淡々とした生活。
それが日常です。

そんな日常の真っ只中に身を置きながらも、
僕の胸の奥では、桜島ライブが残した、
えぐるような痕跡がひりひりとうずいていました。

一方、剛はというと、
燃え尽き症候群にならないだろうか・・・
との、僕の心配をよそに疾走していました。

ラジオ出演、
雑誌インタビュー、
ライブCDの製作、
ライブDVDの製作、
新曲『金色のライオン』の発表、
初めてのテレビCM撮影、
サンキューライブ開催・・・

剛のライブはしばらくおあずけでしたが、
僕は吉田拓郎のツアーファイナル公演を観るために、
山梨に出かけました。
電車で1時間半ほどで行ける山梨は、
帰りの電車がないことを除けば、それほど遠い場所ではありません。

桜島ライブを経て、拓郎を観る。
それは、僕にとって、意味のある行為でした。

再来年、還暦を迎える拓郎のファンは、
ほぼ全員が、四十代、五十代の大人たちだ。
だから、誰もがイスに深く腰掛けて、
ゆったりとライブに参加しています。

彼ら、彼女らは、年齢と共に、
こうしておとなしくライブを見るようになったのだと思います。
昔の拓郎のライブビデオを観ると、
彼ら、彼女らも、立ち上がり、腕を振るい、
涙を流し、叫んでいたからです。

僕はそんな年上の観客たちに混じって、
桜島の異様な熱狂の感触を胸に抱きつつ、
拓郎の姿に、10年後の剛の姿を重ねていました。
そして、おとなしく拓郎を見守る観客たちに、
10年後の自分自身の姿を重ねていました。

拓郎は饒舌でした。
拓郎がしゃべっているとき、観客のひとりが、

「拓郎、朝までやろうぜ!」

と叫びました。
拓郎のライブに行くと、
誰かが必ずこのフレーズを叫ぶのです。

つま恋でしょうか、それとも、篠島でしょうか。
彼は拓郎のオールナイトライブに行ったのでしょう。
きっと、その感動が今でも忘れられないのでしょう。
何十年経っても、いい大人になっても、
忘れられないのだと思います。

思えば、この日のライブの一曲目は、
『ああ青春』でした。
この曲は、拓郎の最初のオールナイトライブで、
一曲目に歌われた曲でした。
そのことも「朝までやろうぜ!」を、
誘発していたのかもしれません。

いつもはこの手の掛け声を無視する拓郎が、
珍しく、反応しました。

「いまどきね、朝までやるバカはいないの。
 もう、そういうの、ほんとうにバカ!
 朝って、すっごく大変なことなんだから。
 朝まで起きているだけで大変なのに(笑)。
 それよりなにより、
 年齢的に朝まで起きてられねえの、
 おまえたちだろ!(笑)
 朝までなんてことはなくて、3時間ですよ。
 3時間やることだって、
 すっごく大変なことなんだから!」


拓郎が、剛の桜島ライブのことを知らないはずがない。
しかしどのマスコミも、桜島ライブについての、
拓郎のコメントは取っていませんでした。

僕は拓郎のコメントが聞きたかった。
オールナイトライブの王者、拓郎のコメントが。
だからこのMCが聞けただけで、
山梨まで来てよかった・・・と思ったのです。

拓郎の言う「今時朝までやるバカ」。
それは間違いなく、剛のことです。
もちろん、「バカ」は、拓郎流の賛辞。
拓郎が誰よりも知っているのです。
オールナイトライブのしんどさを・・・。
それを知っているからこその、
拓郎らしい、剛へのエールでした。

そんなMCのあとも、
歌が届けられ、拍手が送られ、また歌が届く。
そんなやり取りが続いていました。
そして、ライブが中盤にさしかかろうとしたころ、
拓郎の代表曲『落陽』のイントロが流れました。

それまでの乾いた拍手ではなく、
ワーッと目の覚めるような歓声が上がり、
客席は一斉に総立ちになりました。
あれほどおとなしく、
微動だにせずじっとしていた観客たちが・・・

多くの観客が、拓郎といっしょに歌っていました。
曲が終わっても、声援は止みません。
突如沸き起こった、その熱気の真っ只中で僕は、
二ヶ月前の桜島の熱狂を思い出していました。

「たくろーーーーっ!」

いいオッサン、いいオバサンたちの表情に、
青春のエネルギーが戻ってきていました。
僕は、素直に素晴らしいと思いました。
拓郎という象徴と共に、青春を過ごしてきたこと。
たとえ、それが一瞬のきらめきだとしても、
まさしく、かけがえのない、人生の宝物だと思いました。
そしてそれは、今まさに、剛ファンである僕らが、
リアルタイムで経験していることでもありました。

「大変なことになっちゃったね・・・」

当の拓郎本人は、総立ちになり騒然となる客席をながめて、
事も無げにつぶやいていました。

山梨県民文化ホールから、ホテルへの帰り道、
僕は想像していました。
10年後、おじさん、おばさんになった僕らは、
どんなライブを剛と作るのだろうかと。

10年か・・・
まだまだ一曲目から拳を上げていそうだな。

15年はどうだろう。
その頃には、剛は還暦を過ぎている。
さすがに僕らもおとなしくなっているだろう。
イスに座って歌を聴くようになっているだろう。

15年後の剛が、一曲目に、
『勇気の花』を歌うときがあるだろうか。
そのとき、僕らは懐かしさに目を潤ませ、
あの夏の日を思い出すだろうか・・・

15年後の剛が『桜島』を歌うときがあるだろうか。
そのとき、僕らはイスから立ち上がり、
あの夏の日のように、
拳を振り上げ、歌い、叫ぶだろうか・・・

山梨の夜は、東京より冷んやりとした夜でした。
僕はGジャンの襟を立て、ポケットに手を突っ込んで、
足早にホテルへの道を進みました。

慣れない街で、曲がり角のたびに辺りを見回しながら、
僕は考え続けていました。

15年後の僕らも・・・
きっと、拳を振り上げるだろう。

きっと、歌うだろう。

きっと、叫ぶだろう。

あの桜島の夜明けから、僕はずっと探しています。
桜島に75,000人が集まった、あの奇跡を思いながら、
僕は、あの日の僕を探しています。

あの日の胸の高鳴り・・・

あの日、抱いた期待・・・

あの日、沸きあがってきた力・・・

あの日、押し寄せた感動・・・

あの日、こみ上げてきた涙・・・

僕が探している、僕の姿は、
確かにあの日、桜島にあったのです。

あれは間違いなく、僕自身。
僕自身だけれど、今の僕とは明らかに違う。
どうしたら、もう一度、
あのときの自分になれるのだろう。
その答えを探し続ける限り、
僕の心から桜島ライブが消えることはないでしょう。

だから、これであの日の桜島を振り返る日記を、
終えたいと思います。

顔も知らない僕の日記を読んでくれた、
顔も知らない剛ファンの人たち・・・

この先も、いろいろとあるでしょう、人生には。
何があっても、どうにか乗り越えて、
剛がギターを持ち続けるかぎり、いつまでも、
剛のライブに出かけましょうよ。

どうか、いつまでも、会場で、
元気な歓声を聞かせてください。
僕も、元気な歓声を叫びます。

だから、どんなことがあっても、
どうにか、なんとか、乗り切って、
笑顔も、涙も、持ち寄って、
剛のライブで会いましょうよ。

どこにいるかわからなくても、
きっと、僕はそこにいるし、
きっと、あなたもそこにいるはず。

ねえ、そうでしょう?

怒涛の剛コールが渦巻く中、
きっと、僕はそこにいるのです。
きっと、あなたもそこにいるのです。

あの日、あの桜島に、
確かに、僕がいたように。
確かに、あなたがいたように。

剛はこれから先もずっと、
僕らのために歌ってくれるから。


長いあいだ、ありがとう。
ほんとうに、ありがとう。

感謝を込めて・・・・
桜島"オール"内藤より




2004桜島オールナイトライブ 祭のあと







※桜島ライブの模様は、DVDでも追体験できます。

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