伊藤文学 九天社 2006年
タイトルだけ見てて、文学作品かと思っていたのですが、改めてよく見ると全然違うじゃん!(笑) (「薔薇の名前」という本を連想してしまってのでした)
私の学生の頃、比較的仲良くしていた同級生たちが萩尾望都、竹宮恵子など今で言うボーイズラブが描かれた 少女マンガを愛読し、さらにその方面を集めた雑誌なども集めていた人もいて、 この本の元である雑誌「薔薇族」という雑誌があるのを知っていました。
しかし、本・漫画はとりあえず何でも読んでみる私であっても、それらの面白さは、長らくわからないままでした。 さらにわざわざ、男性のための同性愛者の雑誌を買ってまで読むというのは、全くわからないのでした。 しかし、今回この本を読んで、とても面白いというか、興味深いので、もしかして学生時代からこの本を読んでいた人たちは とても大人だったのかもしれないと思ったりしています。 読者の投稿というか人生相談みたいな手紙がそれは深いのです。 (と真面目に書いていますが、不謹慎で申し訳ないけど、人生相談の回答とか無理すぎてちょっと笑えます。 それも時代のせいなので仕方ないのですが・・・)
著者も書いているけど、現代にこの手紙に書かれている苦悩や深刻さがどこまで通用するのかわかりませんが 今よりもっと何かが厳しかった時代を知ってる私が想像しても、それは本当に大変な事だとわかります。 病気ではないということが現代では一般に知られるようになってきたけど 昔は、情報も知識もなかったため、わけもわからず苦しんだだろうことは想像できますし 結婚や世間体の問題や犯罪にかかわる自分の性癖を苦悩する文章は迫力です。
同性愛者でなくても、一人の人を一生愛し続けること、配偶者に対して真摯であり続けることは難しいはずで。 でも、ここに書かれている人たちは、さらにややこしい輪の中にはいって苦しんでいるんだとわかります。 いい加減な人、自分や相手に向き合ってない人ならこんなに悩まないと思いますが、 女性に対して嫌悪感を持つ人が結婚して苦しんでる文章を読むとさすがにげんなりします。
彼らの時代や世間体に立ち向かえないのを責めるのも気の毒ですが、 一緒に暮らしてる相手が、自分のことを蛇や野獣のように思ってたら生きる気力も失いそうで恐ろしいと思いました。 長く一緒にいたら、そんな風に思われてる事に気づかないわけないとも思いますし・・ 真っ赤な薔薇は結婚してはいけない〜と書いている人がいましたが、本当にそうですよ。
そんな人たちの男だからよくて、女だから気持ち悪いってのは、私にはどうしても解せぬ・・と思ってしまいます。 そんなに長い間、寝起きをともにして、家族の情がわかないのかしら?と 実際、そういう愛情をもって暮らしている人もいたのですし、 もしかしたら、単純にその奥さんと相性が悪いのかもしれないのにとも思えます。 自分が同性愛だから仕方ないと錯覚していたのかもしれないのではないかと、そこにまた悲劇を感じます。
男でも女でも気持ち悪い人は気持ち悪い、って思うのですが・・ でもやはりそういう男性の気持ちがわかるわけないから、言っても仕方ない話なんでしょうね。
そんなわけで、人間とは、男女の分かれ目とは、などなど考えさせられる本でした。 そして今のある程度の自由さというのはすごい事になってるなと思うのです。
蛇足:それにしても、そんな厳しい状況下で、複数の恋人などをみつけてる人たちってすごいと思う。 やっぱり求める気持ちが大事ってことなんでしょうかねえ〜薮蛇?
蛇足2:三島由紀夫さんについて書かれている部分や掲載されている「愛の処刑」小説も興味深いのですがまだ読めていません。
蛇足3:世田谷文学館、蘆花公園へ行ってみたい。 ---------------------------- 論座2月号 朝日新聞社 コピペ化される教養〜という記事で気になったのでメモ。
・「知の職人をめざす人へ」熟練に向かう持続力と楽しみ 佐藤健二 じつはバレてる「ぐぐってコピペ」、「丸写し」が身体に刻む教養 ・エッセンスはどんどん真似ればいい しりあがり寿 ・現代の写経 宮沢章夫 ・コピーされなかった部分こそが、コピーされた部分を準備している 町田康 ・「これを勉強することが何の役に立つんですか」に絶句する私 内田樹 〜教育は本来ビジネスタームで語るべきではない〜
学生の論文やレポートがネットからコピペされているという話からいろいろ。 パソコンの普及で、写すことが簡単にはなったけど、その分バレるのも簡単ということか。 写経という言葉があるように、書き写す、真似することが上達のための手法の1つでもあるし 本を著す人が、まるまる他人の文章を引用して問題になったことも過去になんどもあるしな。 何の役にたつか、効率を重視したら、こうなったって表れかもしれません。
〜レコーディングで、コピーペーストの技術がよくなり 間違えなかった部分だけ切り貼りしてできあがったのは 歌の表情がちぐはぐで、気のおかしい人が歌ってるみたいになったから 従来の何度か歌った中で一番いいものを採用する方式にした〜 というようなことを町田康さんが書いていました。 「何度も歌った中でよい部分だけ切り貼りしても、ライブでばれる」とも そりゃそうだ。
しりあがり寿さんも書いていた、「どこかにあってほしい源流の一滴」
そうした誰にも真似できないそのコピーされない部分をもってる人こそが 常にコピーされ続けるのかもしれないとも思いました。
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