| 2007年01月22日(月) |
本「マンガは欲望する」 |
ヨコタ村上孝之 筑摩書房 2006年
もうじっくり一冊を読み通す時間がない。斜め読みシリーズです。 でも、こういう本はもともと自分の興味のある部分だけ読んだらいいのかもしれない。
第4章の「逆転するジェンダー少年愛もの考」があるが、これはまあそうかな〜てことで、 上野千鶴子さんらの議論である「自分のジェンダーを否定したい女性の読者のファンタジーで、 現実とは関係ない恋愛・性愛を距離をおいて眺めるための装置」から 読者は積極的に主体的に物語の中の恋愛に参画している〜と読み解いている。 私もいろんな本を読んできたけど、ま、いろんな解釈があって、どれもそうかもしれないね〜と しかいいようがない。深いですw
デビルマンの話やらも面白そうなんですが、漫画批評もさんざん読んできてそろそろ食傷気味かもしれません。 そんな中で楽しく読めたのは、「パロディーとパスティーシュ」作者対読者共同体
懐かしいな〜「すすめ!!パイレーツ」が沢山引用されています。 ああそういえば、私ってこの漫画が大好きだったな〜 でも不思議とコミックスは買おうと思わなかったなあ。 なのに、参照されているコマとかキャラクターとかしっかりと心に残ってる。 (好きでもない漫画も結構よく覚えているが) 江口寿史の漫画は大抵好きでした。でも手元に残ってるコミックスって 「ストップ!ひばり君」くらいかな。(すすめ!とストップ!て対照的ねえ、そういえば)
今のアニメとかドラマとかでも、面白さが共有できるのってどこまでなんだろうな〜と思う機会が増えている。 私が今まで見てきた本、漫画、アニメなど文化的なこと全般と社会事情。 同じように楽しんでみているようで、その笑いや悲しみは実は視点が全然違うのだと思う。当たり前だけど。 映画の「木更津キャッツアイ」を見に行って、結構若い人たちが見に来ていて、大笑いしてるんだけど不思議に思えた。
同じものを見て、同じところで笑う。 でも、同じタイミングで笑っていても、実は違ってる。 何を評価するのかは、人それぞれでいいから関係ないと思うけど・・・
どんどんジャンルや作品自体がどんどん細分化されていて、もっと複雑になってきてる。 すごく狭い狭いところでしか楽しめなくなってきているので、これからどうなるのかな〜とは思うけど。 でも、昨日の本を読んでも思ったけど、人間てなんとしても仲間を探し出す力が備わってるのかもしれないから どんなに細分化されても、なんとしてでも仲間を見つけるのかもしれないわ〜
私自身、何を選ぶにしても、単に好きか嫌いかでしかないから、全く深みなどはないのだけど 好きなものはとにかく好きで、嫌いなものは嫌い。 それがどんなに名作ですばらしいからといっても、読めないものは読めない。 これって普通のことよねえ??違うの?? こういうこと書いても意味がない気もするけどね。
今日、ダヴィンチで勧められていた漫画のあらすじとか書評を読んで、そりゃ読めたら読んでみたいけど あまりにも恐ろしい内容そうだし、その作者のほかの漫画も多少知ってるけど、いつも社会的な問題を扱っていて すごい取り組みなのだろう・・と。 しかし読むといつもものすごく気持ちダウンで辛かった。 (読んでいた週刊誌に連載されていたから読んでいたのだけど)
でも、同じく厳しい現実とか恐ろしい描写とかが出てくる漫画あるいは小説でも読めるものもあるしな。 これは、本当に個人的な好き嫌いなのよね。ひょっとしてここでも相性があるのかもしれないけど 不思議ねえ〜。
なんだか、本の感想から全然違う話になってきてしまいました。
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