| 2007年01月15日(月) |
強さと自意識。そして器。 |
運が強いという表現がある。 強いという表現が正しいかどうかはわからないが、一般の人にわかってもらうにはなかなか言葉を選ぶのが難しいのでした。
問:強いは良いことか?→答:微妙です。 問:強いとは気が強いということか?→答:違います。
運が強くて、気は優しい人はいると思います。 運が弱くても、気が強い人ももちろんいます。
--- 学校の先生になるには、免状がいるのですが、占い師は国家資格などはありません。 私はまだまだ勉強中ですし、うまくアドバイスできないことも多いなと思うのですが 師匠は、占い一般は人生相談なので、年をとり、人生経験が豊富になれば、それだけスキルアップといいます。 それに他人に教えるとかアドバイスするというのは、やろうと思えば誰でもできることかもしれません。 例えば、ひらがなを習ってかける人は、ひらがなを知らない人に教えられます。 でも、それしか知らなかったらあっという間に教えることもなくなるし、生徒だった人の方が漢字を習得して、 あっという間に立場が逆転することがると思います。 それでは、より多くを学び、知っている人が良い先生になれるというところでしょうか。 でも生徒がいなかったら、先生にはなれません。 逆に生徒がいたら、どんな人でも先生と呼ばれてしまいます。不思議な現象です。
繰り返しますが、私はまだまだ若輩者ですし、占いは本業ではありません。 あくまで友人や親しい方が困っている時などに、相談に乗る1つの方法と思っています。 このように、本業でなく、ごく親しい友人たちをメインに占いをしていても 数をこなせば、知識も増え、経験も積み重なり、自然にわかってくることがあります。 そういう意味で昨年は、驚く程の実りがありました。
そんな話を長くなりましたが書きたいと思います。
-------------------- 1:強いことは本当に良いことなのか?
強いというのは、気が強いという事などではありません。
例えば、強引に事を推し進めようとするのですが、誰も賛同してくれないし、事態を悪化させ、評判を落とす人がいます。 この人は単に、我が強いだけで、他人に譲ることを知らない器の小さい人ということになります。 自分の器の大きさを知らず、自分の能力や徳以上のことをしようとしても、人は付いてきません。 悪循環を起こします。でも、こういう人はなかなか自分の欠点に気づきません。 自分の欠点に気づけない人ってのは、本当に運が良くない気がします。 (逆もいえます。自分のことを欠点ばかりでいいところがないと思い込んでる人も運がよくないと思う。 他人はそれほど欠点だと思っていないのに、思い込むような人。悪い意味での自意識過剰)
運は強い人が我が強い場合はどうでしょう。 いろんな運の強い人を見てきて感じたのは、運も強くて、我も強い人ははた迷惑な人です。 全て自分の思い通りに事を運ぼうとして、実際にその通りにさせてしまいます。 その人より運の弱い人は、従わずにはいられなくなるのです。 その人のすることが間違っていても、どんなにその人が嫌いで、それをしたくなくてもです。
病気で寝ている奥さんにいつものように家事をさせる人なんてのは典型的かもしれません。 聞き分けのない子どもにいつも根負けして、ついついいう事を聞いてしまうのもそうでしょう。 奥さんが旦那さんと負けず劣らず強い星なら、「しんどくて寝てるのに、なんでせなあかんねん!」と一喝できる場合もあります。
それは単に「思いやりがない」とか「相手の身になって考えられない」といわれる性格でもあります。 こういう事は、教育とかしつけによって変わる事もあるかもしれませんが、運が強く自分のしたいようにする人というのは 他人にとやかく言われてもあまり気になりませんし、周囲も言ってもムダだと諦められることも多く(根負けする) 結局、運がそうさせるのか、性格のせいなのか、本当にどん底を味わうまで、自分の至らなさには気づきません。 でも本当のどん底を味わう時には全て遅いのかもしれません。
こうした差は、周囲の人間模様や私自身が周囲から受ける態度の変化から感じたことです。 仕事をしていると、楽しいことばかりではありません。どちらかというと辛いことのが多いです。 しかし、そんな職場でも、気楽に楽しそうに過ごしている人がいます。 好きな時に有休を取って、好きな時に休憩して、好きな仕事しかしない人がいます。 私などは、有休取るにしても、職場の状況や人員の状況を考えて、遠慮しながら取っていました。
この違いはなんなんだろうと思ったのです。 私の方が仕事を一生懸命して、周囲に気を配ってやっている(つもりな)のに いえ、やっているからこそか、どんどん仕事は増えて忙しくなっていきます。 そして首が絞まるように自由も無くなっていくのです。 そしてそんな勢いで仕事をしているせいか、信頼はされていてもどこか孤独でした。
仕事は適当で、自分勝手にやってる人は、どんなに陰口たたかれても気にしていません。 でも、普段はその適当な仕事ぶりに文句言ってる周囲も、仕事以外では仲良くしていて楽しそうです。 なんてバカバカしい!と思いつつも、急に自分勝手に適当になんてできるはずもなく今に至るわけです(苦笑)
そんなこんなで長い間仕事をしていると、年も取るし、だんだん自分でも冷静に見られるようになってきました。 私は結局、どんな職種、職場にいっても、いつも変わることのないポジションでした。 真面目に堅く仕事をこなして、本当の事をズバズバいうので、一人浮いている。 その反面、周囲に気を使い自由がない。
どこへいっても変わらないということは、周囲が悪いわけではなさそうです。 自分が悪いというか、自分を変えなくては、何も変わらないと気づき始めたのです。 他人を変えるより、自分から・・と先達にさんざん教えられてきたけど、それが本当にわかったのは最近です。
でも、気づき始めてから、意識して、必要以上に気を使う事、他人に要求することをやめてみました。 するとだんだんとラクになってきたのです。やりそうになったり、やってるのに気づいてストップをかけるのです。
例えば、いただいている有休を使うのに、必要以上に気を使うことはないのです。 以前は「休んだら迷惑がかかる」と思って、周囲に気を使い遠慮しながら、取っていました。 他の人は年中、自分の好きな時に、遠慮なく休んでいるのに、 私はスケージュールをにらめっこして、本当に忙しいかどうかは、その日になってみないとわからないのに その辺りは忙しいかもしれないからと避けてみたり、誰かが後から同じ日に休みにしたら、 私は休みを取るのをあきらめたりなど、かち合わないように努力しました。
でも、私一人が休んで困るような職場であるほうがおかしいのです。 だって、他の人は堂々と休んでいるのですから。 これは私の自意識が過剰ということになります。 本当に困るようなら、職場で問題提起して変えていくことが肝心です。 それに、困ったからこそ、考えるチャンスもできるというものです。 (そうはいっても、やはり普段仕事をこなす量やポジションもあるので 一概にはいえないのですが、この場合、私はちょっと考えすぎでした。)
自分の職場の中心でいたければ、別ですけど、私はそんなこと望んでいませんでした。 私がいるからこの職場はもってるのよ!というような喜びを感じるような人間にはなりたくなかったのですから。
仕事の取り組み方も、周囲のヌケだらけの仕事を真似する必要はないけど 自分の仕事さえきちんとやっていれば、他人がどうであろうと良いと思えるようになりました。 もちろん、私に関わってくる仕事は目を光らせていますが。
相手に要求するということは、自分もそれだけのことをしなくてはならないのですし 誰もが自分と同じようにできるなんて思うのは傲慢だと気づいたからです。 自分が優れていると思うのも傲慢ですが、自分と同じようにやれというのも同じことだと思います。
私の職場は、ほとんどがのんきな仕事ぶりで、おかげで私の仕事ぶりがかなり評価されています。 比較対象の問題です(転職したら、普通か普通以下くらいの仕事ぶりだと思います) 周囲の無能ぶりを嘆いたり、腹を立てたりせずに、 「ああ彼らがさぼってるおかげで私が光って見えるわ。引き立て役を買って出てくれてありがとう」 と思うようにしました。 世の中には、自分の有能ぶりをアピールするために、高下駄を履いたり、誇張したりと忙しいそうですが 私は無理なく、普通に仕事をして、高い評価を受けられるのです。驚きです!
周囲を自分と同じように揃わせることなんて、絶対に無理なことで、 でもだからといって、自分を悪いほうに合わせる必要もない! それを知りつつ、平静でいることは、ちょっと難しいけど、できないこともないのです。
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