だから猫が飼いたいのに・・

2005年02月15日(火) 『「赤毛のアンの」の秘密』

小倉千加子 著 岩波書店

本当は恐ろしい「赤毛のアン」というサブタイトルでもつけた方がいいのではないかと思いました。
モンゴメリが家庭の主婦になんの葛藤もなく収まる女性を心の中では軽蔑しているが
結婚をしない、今で言う負け犬、女性でいることもマズイと思っている、引き裂かれている、困難な女性であるのだとわかる、
この本は、以前、読んだ小谷野敦の「聖母のいない国」でのアン批評で触られ、ひっかかっていたことが
明確に暴かれ、日本の女性の歩んできた、これからまだしばらく続く道のりが解説されている。

またもや父の娘が出てきた。そして当然、結婚が大きく影響を及ぼしている人物話である。
今までもジェンダーを扱い、そして中負け犬世代、少女マンガ、ヤオイについて書かれた批評などでも見かけるワード。

物語が好きで、孤独な少女というキーワードでいうと、私はアンやモンゴメリのカテゴリーに入るけど
私がそれほどというか全然、赤毛のアンにハマらなかったのはどうしてだろう。
少女時代の私は今よりもっと凝り性であったが、こうした少女的なロマンチック世界よりもSF小説やアニメなどにかなりハマっていた。
それなのに、そんな私ですら「アン」的なものから、完全に遮断されていないのはどうしてか、
というか日本人女性が、プリンスエドワード島に行ってしまうほど「赤毛のアン」どっぷりハマらなくても
この物語が、私、私達世代の女性の生き方の雛型になってしまっているのは何故かしら。
それは私たちを教育・消費者としてきた大人たちが、故意・偶然取り混ぜ「赤毛のアン」的な物語を提供しつづけてきたからだろうと思われる。
「アン」的物語は、少女マンガなどで珍しくもないと、私があえて書くまでもなく知られていることだろうから。

276頁「ロマンチックの呪縛」にある
「ロマンチックな恋愛を求めているのだと思い込んでいる彼女たちの感覚の下には、3つの激しい感情が埋まっている。
1つは、求めても得られない「自立」と「承認」への志向と、それを断念させられた、向けるべき相手のわからない怒り(本来社会構造に向けられるべきものだが、一番依存し、甘えられる対象である母や夫に向けられることが多い)、
2つめは、原初の母の愛(一部略、男性への愛(結婚)が満たされない場合の孤独への恐怖。一部略
3つめのものが、一番本人にも自覚されにくいものであるが、「尊敬」できる男性と結婚したいという表現で語られる、
その実はレスペクタビリティ(仲間に尊敬、あるいは羨望されたいという気持ち)への執着とその動悸の隠蔽である。

自分は無垢であり、打算的でないと思い込み、自分自身の真の動機に気付かないでいられる心理」
として書かれた作品。日本女性にその貢献をしてきた作品と看破している。

なんとも見も蓋もない話ですが、私は否定できませんね。完全な肯定でもないのですが。
こうした隠された自分だけでなく、歴史・社会的な心理背景などもほぐしていったら少しは楽になるかと想像してみるだけです。
私はエンターテイメントとして、ファンタジーとしてのロマンチックな恋愛は見るけど、現実としてはほとんど無いといつの頃からか気付いていたけど
でも、完全にそれらと逆方向に進めるかというとそれもできていない。
逆方向とは、1)自立を完全にして、2)孤独を恐れず、3)尊敬しなくてもいい男性と結婚すること、となるのかな。
近いうちに1)と2)はもうすぐ出来そうな気がする。2)は孤独の意味を履き違えていないのなら、既にできているしな。
ただし、3)は難しいかもしれない、私は人付き合いにおいて、どこか尊敬できる、どこかこの人には勝てない、と思えるところがないと、愛せないし、親しい友達にもなれない。
毎日、顔をつき合わせて、傍にいる人ならなおさら、そうであって欲しいと思う。
それが、レスペクタビリティへの執着とその動悸の隠蔽、になるのかな〜多いに疑問だ。
否定できないけど、肯定できないのはこの点、でも自分で気付けない点らしいからそうなのかな?

私は自分が羨望されたいから、素敵な人と友達になりたい、と思っているということになってしまう!
そうなのか・・(笑)いやいや、友達を誰かにとくにわざわざ紹介する機会って滅多にないし、
私はグループ交際が不得手というか独占欲が強いので、ほぼマンツーマンの付き合いになるし、違うと思う。
・・意識的に直してきたけど、私は本来、お気に入りのものは自分だけのものにしたいので、わざわざ他人にその素晴らしさを吹聴したり
奪われるような機会を作ったりしません。姑息な奴なのです。ふふ。
尊敬できる恋人が出来たとして、わざわざそれを他人が知る必要はないと思う。自分だけが知っていたらそれでいい。

なんだか話がソレてきましたが、それでも日本の女性に対する呪縛はまだまだ続きそうです。
外側から、内側から、ゆっくりと静かに、でも強固に幾重にも巻きつけられている呪いだからです。
巻かれている自分を想像してゾっとしてます。

ただ今の少女たちは、「赤毛のアン」よりも「ハリーポッター」や「バトルロワイヤル」などを読む。
そして古典的な少女マンガなど読まない。本離れ、マンガ離れもあるけど、面白いマンガなら読むというし、それは主に少年マンガだといわれている。
つまり、もう今の少女たちは、3つの激しい感情が埋まっていない、自由になれる糸口を掴んでいるのかも・・
それが、本当に素敵なことなのかは、なってみないとわからないのですが。

ものすごく駆け足で読んでしまって、反復したい所ですが、読み直していたら思ったことを書くのに
それこそ時間を費やしそうなので、えいや〜と書いて見ました。
というか、書いているうちに何かいているんだかわからなくなってきたよ。長すぎ!


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美功 [MAIL] [HOMEPAGE]

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