だから猫が飼いたいのに・・

2004年04月23日(金) 第2夜 結婚の自己責任

女神のカフェから婦人科検診の流れで、今日も結婚について思うところ。長くなってしまいました。

昔から付き合いのある友人たちと結婚の夢を語り合ってきた。いや友人はまだ夢を語っている。
私は意地悪なので「この話をしだしてから長いよね〜」と言ってみる。友人も流石にハっとした。
意地悪だけでなく、本当に感慨深いものがあったのだ。
結婚してもいいと思える相手に出会ったり、横道にそれたりといろいろと経験をつんできたが結局、境遇はなんら変わっていない。
沢山の友人たちが結婚したり、子ども産んだり、解れたりと人生波乱万丈な中、私達はなんら変わっていない。
いや、仕事を変わったり、実家の家族の編成には変化があることはあるが・・
そんな中、この夢を語りつづけて10年あまり、いったいいつ(何歳)までこの話題を続けるのかと思い、突き付けてしまった。
目安として高年齢出産も44歳まで延びたので、そこまでだろうか・・・まだかなりある。

でも、私の世代でも「結婚」は女にとって幸せな刷りこみがあるから、どうしてもそこから抜け出せないのだと思う。
「あと数年はいいとして、それを過ぎたらどんな話題をしたらいいのか考えておかないとね」と友人はちょっと自嘲気味に言う。(本当に意地悪な友でごめんよ)
この友人とは結婚や恋愛についての話をよくしているが、他の友人とはほとんど趣味や日常の出来事などの話しかしていないので、
私はいつでもどんとこいなのだが・・。

結婚について語る。これはもう砂糖菓子を味わうようなもので、口の中で甘く、そしてあっという間にとけて消える非現実的な、
栄養にはならないけど、確かに夢のようなものなのでした。それがなくなるのはきっと、寂しいのだろうなあと思われる。
とにかく一度結婚してみたら、新たな段階に移るかもしれないとも思うが、
いや離婚した友人でも、即また結婚をしようと思っている人もいるし、やっぱり永遠に逃れられない問題なのかもしれない。

そんな夢の結婚物語ではあるが、過去からすると、その夢の内容はかなり形を変えてきている。当然といえば当然だが。
友人の職場の20代の女性が「結婚したらベンツに乗る」という甚だ時代遅れで俗っぽく、口にするのも耳にするのも痛々しい
夢を語るのだそうだが、私達の世代でそんな事をいえば、誰にも相手にされなくなるだろう。

余談ではあるが、その20代女性は、友人の結婚式でブーケをもらったとかで、次は自分の番とばかりにウキウキと
語っているそうだが、残念ながら私も友人もブーケなどその三倍はもらっている。
そんなもので番が回ってくることを信じているのも20代の特権かもしれない。なんて可愛いのだろうか。
さらにその彼女は30過ぎの女性に、「30過ぎて結婚できないことは人生は終わりだ」と言ってのけた
ツワモノなのだが、そんなノータリンでは確かに30までに、若さを唯一の武器で結婚しておかないと、
もはやつぶしは利かないと思われるので、正しく自分のことを理解していると言う事であろう。

話はそれまくったが、つつましくも、ささやかな私達の世代の結婚の夢はなんだろう。
私の友人は「将来寂しくならならないように結婚したい」と言う。
順序通りにいけば、親が死んだ後は寂しくなるのに違いない、だから、という事だ。
確かにそれはそうかもしれない、私も昔そう思ったことがあった。でも、今はあまりそう思わない。

親の代わりになるような人はいないだろうし、恋人がいても、友人がいても、寂しい時は寂しかったし、
いるからこそ余計に寂しいこともあった。それに世間、周囲の夫婦を見るとますますそう思う。

熟年夫婦で仲良し、っていうのもない事はないけど、私の周囲のオバ様たちはこぞってお仲間とおでかけにいそしんでいる。
伴侶とでかけるのはノーサンキューという人が少なくない。

恋愛中でも、一緒にでかけて楽しいところは限られている。というかでかけなくても楽しかったけど。
それはさておき、女性が好きな買い物は男性で好きな人は珍しい。
女性が好きなスイートの店もそんなに好きではないだろう。
女性が見たい映画も男性はあまり見たくないだろう。

旅行で温泉に入ろうと思っても通常は男女別。(家族風呂のあるところか混浴にするしかない)
行きたいところが一致していたらいいが、例えば我が両親の場合は
父は敦煌に行きたいが、母はパリに行きたいらしい。
飛行機に乗ることが嫌いな男性も案外多い。

アウトドアが好きな男性は多いが、女性はどうだろう。年を取ったら紫外線は強敵だしな。
ゴルフやテニスなどスポーツで共通の趣味があったらいいかもしれない。

私は比較的、男性が好む趣味を持っているが、それでも男性とでかけて楽しみ倍増になるかは疑問だ。
いや、好きな人とならどこへでもでかけても楽しいのはよくわかっているが、結婚してもそれが持続するか、という話題だからさておくのだ。
つまり、外国の文化ではあたりまえのカップル単位の行動が日本では全然定着していないと思われる。
何が悪いんだろうか、それは私にもわからない。

あと会話についても随分、若い頃からそれは疑問だったので、母などに「夫婦の会話で主なことは?」と尋ねたが
「子どものこととか・・」と歯切れが悪い。とりたてて話すことは無いと見た。
もちろん、尽きぬ話題を持つ夫婦もいるとは思うけど、でも多数派だとは思えない。
何故ならおしゃべりな男という存在が少数派だと思われるからだ。

このように、あまり男女で楽しめる様子でもないのに、老後が寂しいからといって結婚して
本当に楽しい老後になるのだろうか・・それも私にはわからない。
結婚するときは、そういう老後の設計も考えないと行けない・・
「海外は行ける?どこへ行きたい?」なんて当たり前なのか・・?

それでも、家に誰か待っている、文句いいながらも、その文句を言い合う人が居る方が寂しくないのかもしれない。
だからやはり結婚してみるのも悪くないのかもしれない。

私もその事を考えて見たが、それでも・・・
多少寂しくないが、全く何もしない、口うるさいなどマイナスがかなり多い人だったらどうしようかと躊躇する。
料理もしたことない、買い物もしたことない、洗濯もしたこと無い。ないない尽くしの人。(少なくありませんね?)
自分が元気なウチはいいが、相手の世話と自分の世話とダブルパンチになったら・・と思うと恐ろしい。
老体+病体に鞭打って、決して感謝もされず働かないと行けないかもしれない、そんな事を考えるだに恐ろしい。

そんな人と結婚している人は、将来のことを考えて今から、伴侶の指導をした方がいい。
年を取ってからでは遅すぎる。それも大変に根気のいる、忍耐の連続かもしれないのですが・・
教育する、育てることは忍耐と愛情がなくてはなせません。
それに男の子を育てている人も同じ事がいえる、学校の家庭科教育は男女差を無くしているとは聞いてるが
普段から、男女の役割分担の意識をとっぱらっておかないと身に付かない。
ないない尽くしの、老後のリスクだらけの男を育ててきたのは、結局女性だ。自分の首をしめているとしか思えない。

悲観的で申し訳無いが、なんでそんなに具体的なのか、というと世間にはそういう人が少なくないからだ。
それに、自分の都合のよい人などこの世に存在しない。
私に欠点があるように、相手にも必ず欠点があり、それが許せるかどうかは相性によるのだろう。
たまたま相性がよくても、たまに会う友人なら許せても、毎日暮らす相手になるとどうだろう、やはりかなりの忍耐が必要だと思う。
「好きな人ならいいじゃないか?」と思われる向きもあるだろうが、半永久的にでも何をされても
許せるような情熱的恋愛状態は絶対に続くわけがないのだから無理だ。ええ、絶対に。

私は気を遣ったり、苦い思いをしたり、何かに耐えたりするのはもう沢山。
なだめすかしたり、ほめそやして、何かをしてもらったり、相手が怒らないようにバランスを取ることも面倒だ。
そんな思いをするくらいなら、一人の寂しさに耐えることを今から訓練しておく方がいいかもしれないと思っている。
おそらく相当寂しいと思うが、それでも気を遣う人と暮らすことの方が恐ろしいと思う。

自分ばかりが我慢することを想定しているが、もちろん逆の場合もある。
相手が私のことで辛抱に辛抱を重ねることももちろん無いとはいえないだろう。

そういえば、両手では足りないくらいの結婚披露宴に出席したけど、いつも「ン?」と思うのは「幸せにしてあげてね」という言葉を新郎に伝えること。
嫁に行く(もう既に死後に片足つっこみそうだ)ことは敵陣に単身乗り込む事だから、唯一の味方になってやれよ。
というところだろうが新郎の幸せは考慮されないのだろうか。
そして一方的に幸せにしてあげなくてはならない関係ってどうなんだろうか、と屁理屈をこねてもみたくなる。
幸せにしてやる。という考え方そのものが根本的におかしいと思うのですが。幸せは自分で掴みとるものだと思うので・・・・
現実的に考えても、給料で妻子を養って行ける人はどんどん限られて行くのだろうしねえ。流行らないねえ(笑)
でも今の若い世代の女子はそっちの考えに行っているという統計をよく見かけるし、ますます市場は激化するのだろうか。

話はそれましたが・・
まるで気の合う人が見つからないかもしれない、という前提で話しているのが申し訳ないが
そんな幸運に恵まれることは宝くじ並だと思っているのであしからず。なんと悲観的か?いえ現実的なだけです。
現実を見つめつつも、それでも何かをあきらめて結婚に踏み出すのなら、勝機もあるかもしれません。

そんなわけで、「結婚についての夢」を語ることはもう必要ない今日この頃。
友人の最後の切り札というか免罪符である「将来寂しいから」という事も、私には響かない言葉だった。
ですが、過去に結婚しようと思ったことが、全くゼロだったわけではないし、つきあっている人がいれば揺れ動くのは当然でもある。
これからだって全くないとはいえない、あくまで現時点で積極的願望や希望がないだけのこと。

できたら、願ったり叶ったりの人が現れて、結婚してくれないかな、と思っていたりもする。
あらゆる、現実的なリスクを想定して結婚するのだから、20代の時に結婚するよりは結婚を維持できるもしれない。
願ったり叶ったりとは、自分の事は自分でできるという事になるかしら。他人に期待をしすぎない人ならなおよい。
結婚してもそれがかわらないという事でもある。
でもこれが非常に難しい条件だということもよくわかってる。やっぱり宝くじ並なのだ。

だから、昨日の日記のラストと同文。
人生は何が起こるかわからないから楽しいともいえるのだから。


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