| 2003年07月01日(火) |
読書「ハリーポッターと賢者の石」 |
おそっ今ごろ読んでみました。映画は既に見ていますから確かめるような読書になってしまいました。 主要キャラクターはもちろん脇役たちの行動の理由がよりわかりました。 例えばスネイプ先生のハリーへの冷たい眼差しとか、ネビルの勇気がいかに価値あるものだったか等 そんなわけで映画版を見て、流してみてた事柄が「あ〜そうだったんか!」と解決。 そうそう、あの最低ファミリーのダズリーにとってハリーは邪魔者でしかないのに、なんでとっとと魔法学校へでも どこでも追い出さないで、がんばったのも謎だったんですけど、その理由もわかったのです。
この原作は出た当時(現在もですが)大変な話題で、児童文学と言うジャンルで、ファンタジーで、さらに作者のサクセスストーリーもあり、本当に破格な売れ方をしたのですが、日本では更に出版社が当時はあまり知られていない出版社で、その社長のやはりサクセスストーリーがあったりして、それこそ魔法のように話題になったのでした。 その時の印象として1番強かったのが、児童文学界の先生方の芳しくない評価、本を読みなれた読者の控えめな評価でしょうか。
実際、翻訳版を読んで見て思ったのは、芳しくない評価の理由であった、ハリーの魔力の有り方。 当時の書評とか読んだだけだからうろ覚えなんですが、ハリーが最初からとんでもない魔力をもっていることや 能力が高いのが、児童文学的でないようなそんな話。 子どもには主人公が努力と根性で成長していく物語が相応しいという事なんでしょう。 でも、それはあまり気にならなかったです。 ハリーはそれこそおしんのように、叔父さんの家で辛酸舐めているし、学校でもとんでもない目にあってる不幸気味な少年なんですし、児童文学の主人公にありがちな親がいないという設定でもあります。 魔法を断片的には発現させてたりしましが、自覚がないし、それほど役立っているわけでもなさそうです。 そんなことを踏まえると、持って生まれた能力を自覚して、磨いて行こうよ物語と思えます。
こんな事かくとおもはゆいのですけど、人間誰だって長所もあれば、短所もあるはずで その長所や個性(個性というのも難しいけど、生まれつき運動能力が高いとか、手先が器用とかいろいろありますよね) を伸ばすということではないかと思いました。 原石も磨かなければ宝石にはならないということですね。 ハリーはいろんな人間と出会って、それこそ磨かれて行くのだし、その秘めた力を正しく使えるように学ぶのだからやはり成長物語でしょう。
そんなわけでハリーが特別な魔力を持っているからといって、主人公に相応しくないというのは早計で、 どんな人でも全く0からスタートということの方がありえないわけですから。 そういえば、昔話の主人公や龍の子太郎は最初から特別な能力をもっていたりしたような・・ 多様化を認めない考え方の方が危ない気がしました。
皆が恐れる魔法使いを赤ん坊の頃に倒した為に、自分の知らないところで有名だったという経緯は 全く減点にならないと思いました。 では読み物としてはどうか、魔法の道具とかお菓子とか登場人物とか大変、バラエティに富んでいて、ユニークなんだ。これはそうなんだけど、子どもがどういうことに喜ぶがわかっているな〜って。 でも、これは原書を読んで理解してからでないと、本当に評価できないかもね。 けして読書家ではないけど、一応本を読みなれたファンタジー好きな者としてはやはり控えめな評価でしょうか。 でも本を読んだこと無い、苦手な人がこの本をきっかけに・・という事にはピッタリなのではないかと思うのでした。
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