| 2003年06月04日(水) |
読書の良さ、グリムと読書の効能 |
微妙に昨日から続き 読書の良さ、そんな話しになると必ず思い出すのが「グリム童話」を思い出す。 読書の大切さの根幹を、それこそ奇跡の人の「ウォーター!」の場面のように感じた事。 それはもう10年くらい前に児童書の老舗が開いたセミナーで伺った話。
当時、グリム童話が流行っていた。それはグリム童話自体が読まれているということよりも グリム童話について解説した本が書店で目だっていたという方が正しいかもしれない。 「本当は恐ろしいグリム童話」とかそんなタイトルの本が出回っていたと思います。
グリム童話の内容が惨酷で小さな子どもたちに見せていいのだろうか、と問題提起したり グリムの初版から少しずつ、設定が変えられたりしたという事などが書かれていたと思われます。 (残念ながら資料が手元にないので、不確実ですが)
そんな風潮を受けて、セミナーで講師をされていた方が、ドイツでグリムの研究に携わっている方に グリムについての考え方を聞いてみたら 「グリム童話は惨酷だからいいんです。あの物語を読んで子供達は自分たちがまだマシなんだと 感じて、安心するのです。」という話しだったと思う。
現在はマスメディアが発達しているから、どんな情報も入ってきますが(それもどうかと思うけど) グリム童話が作られた時代から近代までは、情報源は限られたものだったはず。 そして最近、児童虐待問題が急激に増えたような印象がありますが、児童の受難の日々は 昨日今日始まったわけではなく、誰にも知られなくとも、ずっと続いてきたことでもあります。 そんな中、両親からひどい扱いを受ける子どもの話などが出てくる物語などを読むと 自分の境遇はまだマシなんだなと確認できて安心して生きていけるという事だそうです。
現在の子どもの受難の日々を思うとグリム童話は決して夢物語でなく、現実の方が追い越しているともいえましょう。辛い現実ばかり見せるのもよくないですけど、一切見せない、純粋培養というのも問題があるのだと思います。 絵に描いたスイートホームしか誰も見せてくれなくて、自分の家庭だけがサバイバルだったりしたらどうでしょう。 知らない方が幸せという事もウソではないけど、知ること、そして受け入れ、乗り越えることはもっと幸せ。 そんな努力を奪うのもまた児童受難の日々なのではないでしょうか。 自分が生きている世の中で、何が起きているか、知らないでいいわけがないのですから。
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