だから猫が飼いたいのに・・

2003年02月15日(土) 読書「夜と霧」新版

読書「夜と霧」新版 V.E.フランクル 池田香代子訳 みすず書房

先日毎日放送の「ちちんぷいぷい」を見ていたらアナウンサーの角さんが「病気だった時(辛い事件が多いので弱った体に堪えるので)1番後になったのがニュースを見る事。」と語っていた(例によって例の如くメモしたわけではないのでおおよそこんな意味)。私もそういう意味では今この本を読むのは最適な時期ではないとわかっていた。
実際、昨夜「もののけ姫」をテレビで見ていたとき”たたり神”の姿を見た時気分が悪くなり、込み上げるものがあった。
グロテスクで禍禍しいそれは、映画館で見た時の方がはるかに迫力があるはずだが、今のほうが体力と精神力が足りないのかもしれない。

でも以前からいつか読もうと思っていた本。そうしているうちについに新版が発売になりました。先週の報道特集で「ユダヤ人の歴史」を見たり、映画「戦場のピアニスト」が見たいと思うし、いつものように、何故だか今がこの本を読む「旬」なのかもしれない。しかし「夜と霧」を読もうかな、というと友人から「根性あるね。すごい」といわれるとちょっと怖気づいてしまったので、少しだけ読んでみて確かめようと思ったら、あっという間に最後まで読んでしまった。

この本は友人の言葉から予感させるような内容ではなかった。強制収容所の体験記であるので今まで得た知識と等しく、言葉に尽くせないほどの体験が綴ってあることは当然だし、収容所で行われていた惨酷な状況に芯から冷えることはぶっ通しなので、「根性」が必要かもしれない人もいるかもしれないが、著者が最初に「壮大な地獄絵図は描かれない」と記されているとおりだった。
精神医学者である著者が、できるかぎり自分の人間としての自由と決断を見失わないで、冷静にその自分に起きてたこと、人間という存在を書いているもので、困難な状況でひたすら自分の心と生と死に向き合う、それを伝える姿勢に圧倒されて、私の中にある不自由な心を払う勢いだった。

生き残る人とそうでない人との違い。慣れるということに際限がないと思われる人間だが、生き抜く上で期待がもてなきなった時、心の底に愛と想像力とユーモアあるとないとで差が生じることなどが伺えた。
著者の、離れ離れになり生死すらもわからないままの奥さんと心の対話をする所などで、こうした愛するものの存在とさらにそれを無くさない想像力がどんなに必要で、ボロボロの肉体とギリギリの精神を生きる意欲の細い糸を切らない要因となるのかわかる。

そして「放免」の項で強制収容所から生還した人たちの心のケアの必要性の理由が書いてあり、それが少し前に読んだ「ちくま」6月号 の「人間とりあえず主義」 なだいなだ著の内容を思いだし、時々自らが陥る被害者意識をなんとかせねばなるまいと何度目かの気付きを与えてくれる。
もちろん、なださんは私の極めて個人的な狭量な話しなどとは関係のないアメリカやイスラエルのテロリストに対する姿勢の危険な傾向や迫害されたユダヤ人の歴史を話題にして、「迫害された、取り返しの効かない酷い目にあった者が、だからといって何でもやっていい権利を得たわけではない」というような事を書いている。
本当にそう思う。国や民族の問題でなく、個人、家族、職場などでもそういう傾向の人がいる。

145p「この世にはふたつの人間の種族がいる。いやふたつの種族しかいない。まともな人間とまともではない人間と、いうことを。この2つの種族はどこでもいる。どんあ種族でも入り込み、紛れ込んでいる。まともな人間だけの集団も、まともではない人間だけの集団もない。したがってどんな集団も「純潔」ではない。」
全くこの2つに分かれるのか?2つが同居している人はいないのか?私はそんなにきっぱりと分ける自信がない。でも後半部の集団に関しては絶対そうだと思う。1つの国に完全に、まともでない人しかいない、なんてことは無いに違いないと。

そして・・
114p「人間はどこにいても運命と対峙させられただもう苦しいという状況から精神的になにかをなしとげられるかどうかという決断を迫られるのだ」

こういう言葉を、こういう体験をした人がいるということを知らないでいることは、ある意味し合わせかもしれないけど、生きて行く上では不幸なのだと思いたい。人間の持つ可能性と生と死の不可欠な意味を知れる名著です。

※友人が読んだのは霜山徳爾訳でこちらもざっと目を通したが、図版や解説など詳しく頁も多いので、きっとこちらの方が「根性」がいるだろうと思われる。もう少し元気になったらこちらも読んでみるつもりです。


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美功 [MAIL] [HOMEPAGE]

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