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| 2004年03月25日(木) ■ |
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| 夢の中へ |
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マキャモンの『スワン・ソング』の影響か、暗い夢を見た。 なぜか明るい話の夢は見ない。夢の中で、明るい太陽のもと、青い空、青い海なんて景色は間違っても出てこない。これはどうしたわけだろう?人間の深層心理って、暗い世界のほうが心(頭?)に残るのかもしれない。
そんなわけで、夢の中の世界はいつも暗い。しかも閉塞感がある。どこまでも広がる空間など感じたことがなく、いつも狭い空間の中にいるような感じだ。夢の中は、現実の世界と異なる異次元のようだ。
そして内容は、悪者に立ち向かうとか、怖いことから逃げるとか、精神的に傷つけられるとか、そんなことばかり。宿題をやっていかなくて、どうしようと思っている夢とか、試験が全然できないなんて夢も、いまだに見る。
子どもの頃には、よく悪漢が襲いに来て、私は庭の石の上に立ちはだかり、家族を守るという夢を見た。長女であるがゆえの責任感の表れ(?)だろうか?そのせいかどうか、今でも「守る」という言葉は最も重要な言葉だ。男とか女とかに限らず、自分を犠牲にしても「守ってやる」という気持ちを持っている人には惹かれる。
「守る」というのは、何も悪漢から守るということばかりじゃない。自分のせいで、誰かが窮地に立たされているのに、自分は関係のないふりをして、素知らぬ顔をしているなんて人も、「守れない」タイプだろう。こういう人間は、絶対に信用できないし、尊敬もできない。自分が部外者でも、非常に憤りを感じる。
それから、夢の中ではテレポーテーションができる。家の庭と、母方の祖母の家(仲良しの従姉妹がいる)は、祖母の家の裏道で繋がっている。車で行っても3時間はかかる道のりだが、その裏道を行くと、あっという間に祖母の家に着く。けれども夢で見るのは、いつも祖母の家から自分の家に帰る、片道の情景しか見ない。自分の家から祖母の家へ辿る道を見ることはないのだ。
しかし、悪漢や怖いものに追いかけられているときは、テレポーテーションができない。走っても、走っても、足が前に進まない。かといって、実際に捕まることはないのだが、ただ必死に走ろうとしているだけだ。たまに深い穴に落ちる。するとそこには、大嫌いな軟体動物「名前を言ってはならない○○○○」なんかがうじゃうじゃしていたりする。ぎゃー!と思って目が覚める。
父はいつも死んでいる。死んで横たわっている姿が、頭にこびりついて離れないのだろう、と母は言う。誰よりも強い父が死ぬことなど有り得ないと思っていた。その父が守ってくれるはずだったのに、それはもう叶わなくなり、やはり私が、父の安眠も、家族の幸福も、守ってやらなくてはならないと思っているのだ。
若気の至りで、家とか家族とかにずいぶん反発してきた私だが、そういった夢のことを考えると、たぶんずっと家に帰りたいと思っているのかもしれない。二度と叶わないが、父と母の子どもでいた頃に帰りたいと思っているのかもしれない。そして、血の繋がりは思った以上に濃くて、血を分けた家族が、やっぱり大事なのだろうと思う。
暗い夢は、愛する人たちへの心配、彼らの幸福が脅かされることへの不安など、そういったことを暗示しているのかもしれない。祖母が夢に現れると、家族の危機を教えてくれる。だが、結婚してからはあまり現れない。父が死ぬときにも、祖母は教えてくれなかった。祖母にとって、私が結婚した相手が、その手に委ねてもだいじょうぶと思える人だったのだろう。その相手と、新しい家族、新しい絆をしっかり作っていきなさいということなのだろうと解釈している。
なぜ、急にこんなことを考えたのかな?と思ったら、今日は祖父の命日だった。何かテレパシーが伝わったのかもしれない。
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