のんびりKennyの「きまぐれコラム」
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2004年10月11日(月)  「穏やかに生きる」ということ

「穏やかに生きたい」と思っています。

この「穏やかに」という ひとことに辿り着くのに
50年以上かかりました。


地球上には約70億の人間が暮らしているそうです。

何をもって「満ち足りた生活」、「幸せな人生」と
呼ぶかというのは人それぞれでしょう。

70億通りの幸せの尺度が存在しているのだと思います。

私の今の幸せの尺度は「穏やかであるか否か」
ということに尽きる様です。

大学在学中から海外を放浪し、
6年かかってやっと卒業して入った総合商社
でしたが、結局 脱サラで事業を起こし、
景気の波に翻弄されながら山あり谷あり、
波乱万丈のうちに50歳を超え、
望むもの、目指すものも時の流れの中で
自然に変わってきました。

若い時は夢を追ってばかりいた様に思います。

自分の事業を大きくすることに夢中だった時期も
ありました。

少し成功した時期には唯物的で精神的に未熟な
欲しがり屋さんだったこともあった様です。
(もっとも現在の財産の大半はこの頃の蓄財ですから
それはそれで仕方が無いことなのかもしれません)

家を買い、車を買い、カントリークラブに入り、
別荘を買い、株を買い、投資不動産を買い、
美術品を買い、楽器を買い・・・・

しかしある程度のものを得て、欲しいものが無くなると
自然に物欲は薄れてしまう様です。

ここから人はそれぞれの嗜好で生き方が
分かれていくようです。

酒と女と博打と・・・

という人もいるでしょうし、

宗教活動やコミュニティー活動に時間を割かれる人も多いようです。


私は酒が弱くてあまり飲めません。

女は・・・・・・・・懲りました(笑)。

博打は、自らの事業が既に命をかけた大博打でした。


才能のある人には 芸術や文学へと趣味の幅をひろげる
幸せな道もある様です。

私には才能がありませんでした。

下手な横好き、
才能も無いのに山ほど絵を描いたり、

ギターに夢中になって何十本ものギターを買ったり、
(今は置き場所に困っているだけです)、

これまた才能のかけらも無いのに同人誌に
下手な小説を寄稿したり・・・・

あれをやったり、これをやったり・・・

ちょっと寄り道が多すぎたのでしょうか、
結局残ったのは数十年にわたる趣味である
ゴルフぐらいでした。


そして今、


人はある程度の歳になると、
自分の人生の残り時間を意識するようになります。

そして身の回りから余計なものを
そぎ落とす様になります。

すべてにおいて「量より質」が大事になってきます。


享楽的な時間の使い方に興味が無くなり、
「穏やかに今日という日が過ぎていくこと」に
言葉に尽くせぬ幸せを感じ始めたのは私だけ
でしょうか。

あれは、もう要りませんね。

これも、もう必要無いでしょう。

あれと、それと、そっちの肩書きも もう邪魔です。

こうである必要も、ああである必要も無くなりました。

人は歳とともに「枯れていくものだ」と
若い時には誤解をしていました。

自分が歳をとってみてはじめてわかったことが
あります。

それは「枯れる」のでは無く、「自らそぎ落としていく」
という極めて成熟した自発的精神的な作業のほんの一端が
表面にあらわれる事象にすぎなかったのです。

それが見えない若き日の私は文字通り
「未熟」であったということでしょう。

そして歳をかさね、なお残る願望は何か、

これまた人それぞれでしょう。

私の場合は「穏やかに生きる」という
極めてシンプルなところに辿り着きました。


今日は 穏やかな日でした。

私は幸せです。


明日がまた 

穏やかな日であることを願っています。


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