のんびりKennyの「きまぐれコラム」
DiaryINDEXpastwill


2004年08月13日(金)  「米国民とオリンピック」

今日からアテネオリンピックが始まりました。
毎回のことながら、一般の米国人はオリンピックにほとんど
関心がありません。(米国内開催時は例外ですが)

日本の方が聞くと不思議に思われるかもしれませんが、
事実です。

私のオフィスのスタッフに聞いてみましょう。

(英語です!)

「今日からオリンピックだね〜?」

するとスタッフが無関心そうな声で、
「あ、そうなんですか? どこで?」

「ギリシャのアテネだよアテネ〜!」

「ふ〜ん、そうなんですか。でもあれは南米とヨーロッパが
強いから〜。」

おまえ〜それはサッカーのワールドカップだろ〜!

まあ、こんな調子です。

一般人がほとんど興味が無いということは、当然のことながら
テレビやマスコミの扱いも小さくなります。

早朝から深夜まで全国放送のNHKが膨大な経費と最先端の放送器材を
駆使して、あたかも国民的行事の紅白歌合戦的ノリで
連日長時間放送を行うのとはかなり様相が違います。

いったい何故なんでしょうか?

この小さな問いは、実は「米国人の国民性」という
極めて大きなテーマにぶつかります。

長くこの国に暮らすと、答えが自然に見えてきます。

米国は、世界で最も裕福な国、強い国で、かつてモンロー主義
なんてものが唱えられたことがあるほど
(わからない人はここで中学の教科書をひらきましょうね!
一種の自給自足孤立主義のようなものです)

他国との良好な関係を維持することにそれほど努力しなくても、
ひとりひとりの国民の国際性がかなり欠如していても、
日頃の生活にはなんら障害が無いという、
おそらくは世界でたったひとつの稀な国家が、
米国なんですね。

もっとわかりやすく言えば、市井の一人一人の
米国人にとっては海外で何が起きているかよりも、
この広い米国50州のあっちこっちで何が起きているかの方が
はるかに興味があり、国土の広大さと、州ごとの多様際ゆえに、
この50州こそが彼らにとっての「世界」となっていると言って
良いでしょう。

他国との協調、折衝、コミュニケーション、流通、すべてにわたって
独特の唯我独尊的傾向が貫かれている背景には、相手は米国を必要と
しているが、米国は相手をそれほど必要とはしていないという
間違ったバランス感覚が、国民ひとりひとりの骨のずいまでしみこんで
いるという「無自覚の国民的悲劇」があるのです。

イラク戦争開戦時の米国の暴走ぶりを、この国を外から見ている人達は、
いったい何故米国という国はあれほど独善的なのだろうかと疑問に
思ったはすです。

しかし、その国の中に暮らす一人一人の米国人は、基本的に自国内のこと
にしか興味を持たない傾向が強く、自分を取り囲む日々の生活にその関心の
ほとんどを注いでいますから、イラク攻撃がそれほど異常なこととは
感じてはいなかったのです。

米国人の海外音痴、国際性の欠如はあきらかに「国民性」と呼べる
ものなのです。

星条旗への忠誠と、強大な自国への誇りは、小学校から徹底して
教育されますが、国際協調の大切さや、たとえ米国でも自国だけでは
存続出来ないという事実はあまり教えられていないように見うけられます。

独立から現代までの僅か2百年強の自国の歴史はしっかりと教育しますが、
グローバルな視点からの、世界史、世界地理、に割く時間は日本に比べれば
あまりに僅かです。

意外に知られていませんが、米国人で海外旅行をしたことの無い人数の
全人口に対するパーセンテージの高さは、先進7カ国中ダントツです。
(注:パスポートの発行部数が数字の根拠です)

日本のように、あるいはヨーロッパやアジアの大半の国のように、
経済的、戦略的、地政学的に、他国との良好な関係の維持なくしては
その存続すら危ういことが当然の常識としてその国民にあまねく
いきわたっているのとは まさに対極に位置するのが、
このアメリカ合衆国とそこに暮らす普通の人々なのです。


オリンピックどこかでやってるらしいんですが・・・・


Kenny |MAILHomePage