のんびりKennyの「きまぐれコラム」
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2001年04月19日(木)  「障害者の母」 

   私のオフィスビルでは、管理事務所と契約している清掃会社
からパートタイムの清掃員が派遣されてくる。

毎日夕方6時半頃から深夜まで彼らは実によく働く。

ニューヨークやホノルルは「人種の坩堝」と呼ばれることが
あるが、これは実態を知らない日本の頭でっかちの言。
実情は「人種のモザイク」とでも呼ぶべきもので、
ルツボで溶けて一緒になっているわけでは無く、それぞれの人種が
それぞれに棲み分けて全体としてモザイク画の様に、
まるで混ざり合っているかと錯覚させるだけである。

特別な技能を持たず、言語のハンディと生活習慣の違い
というハンディを持つ移民達にとって、深夜のビル清掃は極めてポピュラーな職種である。
ここホノルルではフィリピンからの移民によりほぼ独占されている。

   日本との時差を超えて業務を行う私のオフィスでは
深夜までの残業があたりまえで、フィリピン系の清掃員達が
タガログ語で話しながら清掃にやってくる時刻には まだ仕事をしていることが多い。

先日の夜、東京から戻り、デスクの上に山積した留守中の
書類に目を通していると、いつものスーパバイザーに連れられて数人の清掃員が入ってきた。

しかし、その日に限って、掃除をはじめる前にスーパバイザーが
新入りの清掃員が子連れなので、その子供も入室してよいかと許可を得に来た。
もちろん全く問題ない旨こたえると、ひとりの少年を連れた
中年の女性が清掃員のユニフォームで入ってきた。

その少年は、ひとめで障害を持っていることがわかった。

しかしその少年以上に私の目を引いたのは、その母親の意思の強そうな顔と、
場違いな雰囲気、そしてその雰囲気を振り払うように一心に働く不思議な姿だった。

そしてその女性が、書類棚のほこりを払おうとして、
積んであった書類の束を移動してよいかと私に聞いた時、
私の耳に響いたのは、驚いたことに滑らかで上品な
クイーンズイングリッシュそのものであった。

ほとんどの清掃員は英語を話せず、こちらの言っていることも
全く理解できないというのが当然の前提であっただけに
驚いた私は翌日スーパバイザーに質問し、納得した。

彼女は英国人を夫に持ち、マニラで高校の教師をしていたが、
癌で夫を失い、保険制度の不備から障害者の息子を支えきれず
米国に移民していた親戚を頼ってふたりで渡米して来たというのだ。

それから数日彼女は息子を伴って私のオフィスの清掃を行っていた。
話しかけられることを拒む様に黙々と清掃をする彼女の姿には
与えられた試練を自らの力で克服せんとする強靭な意志の力と
「守るものの為に戦う人間の強さ」が満ち溢れていた。

人は自己の利益の為に戦ってもそれほどの強さを発揮できる
ものでは無いと私は常々感じている。
「守るもの、愛するものの為に戦う」時にその本当の力を発揮するものだと信じている。

私が五体満足でそこに居ることそのものがなぜか罪悪の様に思えて、なんとも居心地が悪い。
障害を持つ少年を正視することすら出来ないのだ。
もちろん、何か自分に出来ることは無いかと申し出るほど
私は慢心したバカ経営者では無いつもりだ。
一番してはいけないことは彼女の誇りを傷つけることだと
いうぐらいはわかっているつもりであった。

そしてさらに数日、彼女と障害を持った息子の姿が突然消えた。
とたんに心配になる。

息子に何かあったのではないか?
彼女が慣れない仕事の過労で倒れたのではないか?
もう気が気ではない。

私はすぐにスーパバイザーに質問し、そして安心した。
彼女は息子がやっと入れた特別施設の事務職に採用され、
親子で一日中同じ施設に居られることになったというのだ。

聞いた瞬間にほっとするやら嬉しいやらもう声を上げて
まわりの人間の肩をたたいてまわりたいほどの気分になってしまった。
そして、ほんの数回会っただけ、それもほとんど口をきくことも
無かった人間のことがこれほどの喜びを私に与えてくれることに
私はもうひとつの大きな驚きをおぼえた。

   私が今思うことはふたつ。

ひとつは、このアメリカという国はやはり捨てたものでは無いという認識。

もうひとつは、毎日の不動産投資ビジネスの中で自分の心に人間らしい
うるおいが無くなっているのではないかと危惧していたことが、
今回のことで、「俺もまだ大丈夫かもしれない」とチョッピリ安心したことである。

良い経験をしたと言えば、彼女達に失礼だ。
またひとつ未熟な自分を再認識させられたと言うべきなのだろう。

ねえ、皆さん、ナスダックが上がった下がったと騒げるのも、
健康な体と恵まれた環境があるからですね。

今の自分があることに対する感謝の気持ちを忘れてはいけないと
強く自分を戒める2001年の春です。


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