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モテるといふ事(其弐) - 2002年06月11日(火)

「モテる」ということについて、ほんの少しだけ科学的に考えてみる。

動物全体を見渡すと、すべての個体が配偶対象を持ちうる種など、ごくごく一部に過ぎない。
おおかたの動物は、ごく限られた数のオスが何匹、何十匹ものメスを「寡占」するというのが通例だ。

それは、結局、身体能力・生命力にもっともすぐれたオスの遺伝子を残していくために、一番有効な方法なのであろう。

さて、文化を持ち、社会というものを形成して生活している「人間」の場合は、そうはいかない。

どんなに人並みはずれた魅力を持った男性でも、イスラム教国などをのぞけば、一度にはひとりの女性としか結婚してはいけないことになっている。
これはもう「国家」「法律」による規制だから、さからいようがない。

独身男性が複数の女性と交際することについては、法律による規制はないのだが、「二股、三股をかけている」などと言われて、倫理的見地からはあまり好ましいことではないとされている。
特に有名人などの場合は、マスメディアによって厳しくバッシングされることが多い。

それに対して、真っ向から反論した有名人は、ひとりもいない。
結局、なにかモラルに反することをやっているかのように言われて、グウの音も出ないのである。
(僕が思うには、限られた期間のうちに、出来るだけいい相手を見つけようとしたら、二股、三股もやむを得ないような気がするんだが…。)

かくして、魅力ある男性たちも、いくら女性が群がって来たとしても、ひとりの女性と付き合って結婚することしか許されないし、魅力のない男性も、そのおかげで、彼らに女性をひとり占めされることなく、結婚するチャンスを確保できるのである。
なんとも、見事な「平等社会」ではある。

しかし、これは果たして健全な社会かどうか。

どんなに「法律」や「モラル」の規制によって、モテる人間が複数の異性を寡占することを阻止してみたところで、
「モテないものはモテない」
これまた真実なのだから、マスメディアあたりが
「誰でも自分のことを好きになってくれる異性をひとりは持てるはず」
みたいな平等幻想を万人に抱かせるのは、いかがなものかと思う。

「富は偏在する」
ということわざがあるが、
「魅力もまた偏在する」。
これもまた、真実だと思う。

だからこそ、数の限られた「魅力ある」ひとびとをつかった、「俳優」「タレント」「歌手」と」いった「人気商売」が成立するのである。

そういうことを、皆うすうす感じてはいるものの、気づかないふりをしているのではないだろうか。

「モテないひとは、一生モテない」
くらいの認識をし、
「自分は、モテない過半数のほうに入っている」
と割り切ったほうが、人間、「モテたい願望」に一生ふりまわされるよりは、心安らかに生きられると思うんだがなあ。
これって、反感をかう発言?

(この項、さらに続く)


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