黄金時代 - 2002年06月05日(水) 「ひとは誰でも、モテてモテてしょうがない時期が、一生に一度はある」 なんて俗説がある。 つまり、誰しも「モテモテの黄金時代」が一度は来るという説だ。 僕の会社の先輩にも、その存在を信じて疑わないひとがいる。 もう五十に手がとどこうかという彼いわく、 「僕は独身時代、一度もモテたことはない。女房もしかたなく、見合いでもらった。 が、死ぬまでの間に一度はモテるというからな…」 なんていいつつ、今日も女の子のいる酒場通いにうつつを抜かしている。 つまり彼は、 「(若い頃はまるでダメだったが) 今、バリバリだぜい! (あるいはバリバリになりそうだぜい!)」 と言っているわけなのだが、 果たしてそうか? だいたい、根拠はあるのか? それは甚だ疑問ナリ。 なんかその俗説に、そうやって自分を鼓舞でもしないととても生きていけない「オトコの悲しいサガ」を感じるのは僕だけであろうか。 論理的に考えてみるといい。 もし、仮に「黄金時代」が誰にでも訪れるというのなら、男女を問わないはず。 つまり、あなたの周辺でもっともモテない女性である、あのお局サマ、あのブーコだって、そのうちモテる時期が来なきゃ、おかしいってことになる。 でも、そんなことが起こりうるなんて、誰も本気で思わんでしょ? つまり、若いころモテなかったオトコが中年以降になってモテたとしたら、 それは「モテている」んじゃなくて、 無理やり「財力」によって「モテさせている」だけってこと。 そんなのは、「モテる」うちに入れたらあきまへん。 だいたい、少数の人間だけが享受している「おいしい状態」だからこそ「モテる」という表現に意味があるのに、魅力のない人間まで含めた大多数の人間がモテている状態になってしまったら、「モテる」「モテない」という言葉を使う意味などなくなってしまう。 8割の人間がモテて、2割の人間がモテない、というのではおかしいのである。 だから、中年以上のオトコが「モテる」ようになったといったって、たいていは「自己申告」。 しかも相当なコストがかかっていたりする(笑)。 金などかけずとも女が群がってくる、本当の「モテモテ男」の実態を知れば、そんなことを言って虚勢を張るのがいかになさけないかわかるはず。 ま、そのへんは回を改めて紹介しようと思うが、いずれにせよ「モテる」「モテない」は「天性」の問題であって、努力でどうなるというものではない。 「ゴマメの歯ぎしり」をしたって、しょうがないのである。 ...
|
|