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■死、のたまわく
2008年01月30日(水)
「きょうはパパにお話してあげますね」

「うぉ、なんだ?」

いつも絵本を読めとかお話をしろと言ってくる娘・R(4才)が、初めて逆の提案をしてきたので驚いた。これも成長の証と喜んで

「どんなお話をしてくれるのかナ?」

ウキウキして聞いたら

「えっとねー。パパが死んじゃうお話」

…。

「い、いきなり親を千の風にするなあああ!」

冗談ではない。誰がお前や息子・タク(2才)と嫁を食べさせていくというのか。それに今死なされたら、子供達は僕と過ごした生活などまるで忘れてしまうだろう。いずれ成長したRが

「私、お父さんが小さい頃死んじゃったから、ほとんど父の記憶がないの…。だから、あなたに父の面影を見ているのかもね…」

などと彼氏の目を見詰めながら呟いてみろ。死んでも死に切れない。どこぞの馬の骨とこの父を勝手に重ねるんじゃねえ。絶対彼氏に取り憑いて、1メートルの鼻毛を左右の穴から500本ずつ生やしてやる。そうすればおのずとRも離れて行くだろう。

話の前に死とは何かを教えなければなるまい。

「Rちゃん…死ぬってどうなることか分かるかな?」

「かいしゃに行けなくなっちゃうの」

「うわっはっは。いや、それだけじゃなくてもう会えなくなっちゃうんだよ…」

「のんのん(お祈り)すればお話できるのよ!」

「うーん…」

死についてはまるで分かっちゃいないが、以前僕が

「パパ死んじゃったら会社行けなくなっちゃうな〜」

と戯れに言ったことや、父の墓参りに行った時に

「のんのんしてお爺ちゃんにご挨拶しなさい」

などと言っていたことをそのまま覚えていたので、無下に「それは違う」と言えなくなってしまった。ここは口を挟むことはせず、Rの物語を聞くことにした。するとRが語り始めることにはまず

「パパはびょーいんで死にました」

あなたはしにました
ドラクエか。しかしこれも「パパのパパは病院で亡くなったんだよ」と以前僕が話したことを覚えていて言っているに違いない。

「で、どうなるの?」

「Rちゃんとたっくんとママは公園であそびました」

「何そのいつもと変わらない日常」

私のお墓の前で泣かないで下さいと頼むどころの状況じゃない。

「おひるはれすとらんでごはんをたべました」

「あの、パパは…一応、お通夜とかは…」

眠ってなんかいません。死んでるんです。

「パパはずっとびょーいんで死んでて、夜に帰ってきました」

「ええー!」

「おしまい」

「ええー…いや、はい、おもしろかったです」

帰って来た僕に足は付いていたのだろうか。Rに聞いたところで答えは出まい。

話の内容はともかく、Rの気まぐれで唐突に死について考えさせられたこのひととき。Rの話を聞きながら、僕が死ぬる時子供達はどこにいるのだろうか、僕も病院で死ぬるのだろうか、子供達が自立するまで生きられるのだろうか、等様々なことが頭の中を去来した。

いつかは考えなければならない、自分の死と家族について。それを見定めてどれだけの思い出を墓場まで持って行けるか。このことである。

Rがもたらしたメメント・モリ(死を忘れるな)、といったところだろうか。

テレビで森繁久彌が出ていた時も然り。およそ誰かの葬儀であろうということが予想できた。

これはメメント・モリシゲといいます。

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