「きょうはパパにお話してあげますね」
「うぉ、なんだ?」
いつも絵本を読めとかお話をしろと言ってくる娘・R(4才)が、初めて逆の提案をしてきたので驚いた。これも成長の証と喜んで
「どんなお話をしてくれるのかナ?」
ウキウキして聞いたら
「えっとねー。パパが死んじゃうお話」
…。
「い、いきなり親を千の風にするなあああ!」
冗談ではない。誰がお前や息子・タク(2才)と嫁を食べさせていくというのか。それに今死なされたら、子供達は僕と過ごした生活などまるで忘れてしまうだろう。いずれ成長したRが
「私、お父さんが小さい頃死んじゃったから、ほとんど父の記憶がないの…。だから、あなたに父の面影を見ているのかもね…」
などと彼氏の目を見詰めながら呟いてみろ。死んでも死に切れない。どこぞの馬の骨とこの父を勝手に重ねるんじゃねえ。絶対彼氏に取り憑いて、1メートルの鼻毛を左右の穴から500本ずつ生やしてやる。そうすればおのずとRも離れて行くだろう。
話の前に死とは何かを教えなければなるまい。
「Rちゃん…死ぬってどうなることか分かるかな?」
「かいしゃに行けなくなっちゃうの」
「うわっはっは。いや、それだけじゃなくてもう会えなくなっちゃうんだよ…」
「のんのん(お祈り)すればお話できるのよ!」
「うーん…」
死についてはまるで分かっちゃいないが、以前僕が
「パパ死んじゃったら会社行けなくなっちゃうな〜」
と戯れに言ったことや、父の墓参りに行った時に
「のんのんしてお爺ちゃんにご挨拶しなさい」
などと言っていたことをそのまま覚えていたので、無下に「それは違う」と言えなくなってしまった。ここは口を挟むことはせず、Rの物語を聞くことにした。するとRが語り始めることにはまず
「パパはびょーいんで死にました」

ドラクエか。しかしこれも「パパのパパは病院で亡くなったんだよ」と以前僕が話したことを覚えていて言っているに違いない。
「で、どうなるの?」
「Rちゃんとたっくんとママは公園であそびました」
「何そのいつもと変わらない日常」
私のお墓の前で泣かないで下さいと頼むどころの状況じゃない。
「おひるはれすとらんでごはんをたべました」
「あの、パパは…一応、お通夜とかは…」
眠ってなんかいません。死んでるんです。
「パパはずっとびょーいんで死んでて、夜に帰ってきました」
「ええー!」
「おしまい」
「ええー…いや、はい、おもしろかったです」
帰って来た僕に足は付いていたのだろうか。Rに聞いたところで答えは出まい。
話の内容はともかく、Rの気まぐれで唐突に死について考えさせられたこのひととき。Rの話を聞きながら、僕が死ぬる時子供達はどこにいるのだろうか、僕も病院で死ぬるのだろうか、子供達が自立するまで生きられるのだろうか、等様々なことが頭の中を去来した。
いつかは考えなければならない、自分の死と家族について。それを見定めてどれだけの思い出を墓場まで持って行けるか。このことである。
Rがもたらしたメメント・モリ(死を忘れるな)、といったところだろうか。
テレビで森繁久彌が出ていた時も然り。およそ誰かの葬儀であろうということが予想できた。
これはメメント・モリシゲといいます。
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今日もアリガトウゴザイマシタ。