銀の鎧細工通信
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2009年08月03日(月) |
ベイビー、スターダスト [中] (近高そよ、続き物10話目) |
江戸城は猛然と煙と炎を吹き上げ、最早燃え盛る瓦礫も同然の様相を呈した。もう間もなく外堀というその場所で、それは起こった。城下へと出られる残された道を思えば、それは当たり前の邂逅といえばそうである。 「よう。生きてここまで来たか、随分と強運の持ち主らしい」 全蔵が微笑含みに発した声に、そよはハッとして顔をあげた。会いたかった、会いたくなかった。会わせる顔などなかった。 「近藤さん、・・・高杉さん!」 「そよ様!」 それは安堵をもたらしはしたが、こうして生きて再びまみえることなどは願ってもいなかった。どうしても生かされるということに、そよは改めて絶望を深くする。自分自身に守られる価値などありはしないのに、ただ将軍家の人間というだけで守られてしまうことが、ひたすらに哀しかった。守られ、尊重されるべき命がもしもあるというのなら、彼らのこそがそうであるべきだと胸を軋ませる。 「全蔵さん、おろして。もう逃げないから」 高杉の無事を確認して落ち着いたのだと踏み、全蔵はそよの言葉に従った。ようやく地に足をつけると、そよは真っ直ぐに近藤とその背におぶわれた高杉に歩み寄った。 「近藤さん・・・ありがとう・・・!」 「・・・命令だからじゃない。俺がそうしたいから、したまでです」 近藤は力強く笑った。それにそよも笑みを返す。高杉はただ憮然と押し黙っている。 「感動の再会もいいですけどね、追っ手が居るみたいっすよ。後にしちゃもらえませんか」 油断なく耳を澄ませている様子の全蔵が、いつもと変わらない調子で口を挟んだ。 「追っ手?」 「ああ。宇宙海賊か天導衆か知らねーけどな」 不意にそよが小さく笑った。それは徐々に大きくなった。男たちが訝って目を動かす。 「ふふ・・・は、あははははは!!私に流れる血は変わらない。生きていたらまた利用される。 生きている限り、利用される。
お願い、もう私を自由にして・・・!!」
哄笑は掻き消えた。今にも崩れていきそうな笑みだった。 「黙れ!俺に生きろと云う奴が、何が自由だ!んなもん死んだってありゃしねぇんだよ!」 高杉が咆哮する。その叫びの強さで、近藤の背からずるりと滑り落ちた。そのままに近藤は高杉の肩を掴んで支え、そうしてそよの腕を掴む。 「駄目だ。そいつはきいてやれない」
「ひじかたさ・・・っ!繋がった!局長は、無事です!!」 土方と山崎が回線を調整する黒い機械が、近藤の声を拾う。 『あんたは生きなきゃなんねーって云われるの、重いよな。 誰が死のうと、死んじゃいけねーって云われるのはさ、ほんとに。・・・すげー重い。 それは俺にだって解る』 土方が凍りついたようにゆっくりと瞬くのを、山崎は見た。そんなことを 近藤に云いそうなのは、誰よりも冷静に、平然と云ってのけそうなのは目の前の人しかいない。咄嗟に土方にこれ以上聞かせたくないと願った。或いは聞くべきだと思ったのか知れない。
『でも駄目だ』
『残される辛さも、残されたものの重さも、全部知ってるあんたたちが、 それを無視しちゃ駄目だ。 ・・・頼むよ。生きてくれ。俺ぁもう、あんたたちが何でもいい。 こんなこと繰り返してたら、きりがねえ。人間皆いなくなっちまう・・・』 無線の彼方で近藤の声がわなないた。その声は混線してノイズ混じりの音でも判るほど震えていた。 泣いていた。 土方の顔が冴えた月のように白くなってゆくのを、山崎は黙って視界の隅で追いかけた。 誰が死のうとあんたは生きろ、土方がそれを云ったとすればおそらくは伊東の騒ぎのあった時だ。山崎はそれを知らない。その場にいなかったことを悔やんだ。 土方にとってはそれは自明のことなのだ。近藤がそんなことを望んでいないのを知っていて、それでも土方という男は告げるだろう。酷薄だ鬼だ、そう陰口を囁かれることも引き受けて。近藤が憤り、あるいは悲しみ、そうしてそれでも笑って否定することを解った上で尚、土方にとっての真実は”近藤が生きていればいい”ということなのだと。 (あんたは聞くべきだ・・・これが、あんたの想い人の、本当の) 山崎は伸ばしそうになる手を必死で堪えた。仮初めでしかない、そんなものに縋るような人間に惚れたつもりなどない。 (解ってただろ、知ってただろ。局長は高杉と知り合いだった、もうずっと前から。そしてその存在が、俺たちとはまた違った意味で、大事なものだってこと) 『頼むよ。ぽんぽん命投げださんでくれ』 こうして土方は何度でも近藤に惚れなおすのだろう。その度に、最後には近藤だけを選ぶ自分と、誰をも見限らない近藤との落差にひっそりと傷付くのだ。 (でも、それでいいと思ってるんでしょ・・・土方さん)
(そんな局長だから、あんたはこんな風にぼろぼろになっても愛しく想うんでしょ)
「ふ・・・ははっ、何だこれ。中学生日記か?何やってんだかな、うちの大将は・・・」 「全くです。さ、迎えに行ってください」 「ああ。お前も来るな?山崎」 土方の目の奥で揺れる哀しみと愛着を見て、山崎は苦く笑った。 (全部解ってる俺を、それでも手元に置こうとするんだから、あんたは全く酷いお人だ) 「なんですか、来るな?って。なんでこんな時に限って俺に決めさせようとするんですか」 ちろりと流し目で訊くと、土方は片方の眉を上げてから人の悪い笑みを浮べた。 「うるせぇ。お前も来い、山崎!」 「はいはい」 (行きますよ。あんたが、俺を呼ぶんだから、俺は何遍だって)
ふと響く怒号を耳にして、そよははっと身を堅くした。 追っ手だというのか、何を追っているつもりなのだろう。ここにはもう、何もないのに。 どこにも、はじめから何もなかったというのに。あったのはただ、意味を成さない空虚な冠だけだった。その冠が世界を動かす総てだと、まだ云うのか。こんなになってさえも。 「ありがとう」 するりと近藤の腕からそよが離れていく。 「私はもう、充分なんです」 心からの笑顔だった。崩れ落ちてきた柱に全蔵が気を取られた隙をつき、駆け出した背中は炎と煙に呑まれて消える。 「いたぞ!あっちだ!」 「そよ様!」 追おうとする近藤を掌で制し、場違いなほどに落ち着き払った声で全蔵は笑った。 「おっと。こっから先は俺に任せてもらおうか」 「な・・・」 「出番がないまま二度も主人をみすみすなくしたとあっちゃあ、お庭番の名が泣くんでね。 死なせねえよ。俺のプライドと腕にかけて」 不敵な笑みを浮べて全蔵の姿が掻き消える。 ぐったりとした高杉に目をやり、近藤は顔を上げた。
「はあ、はあ・・・全く、なんということだ!あの娘、舐めた真似を」 外堀を越えたところでは、各星の大使たちが煤と汗にまみれた散々な姿で息巻いている。 「やれ墓だなんだというのは虚仮おどしにしても、我らとの貿易はどうなる」 「くそ、これまで通りとはいかぬだろう・・・」 ざり。砂利を踏みしめる音に大使たちが一斉に振りかえる。そこには鷹揚な笑みを浮べた長身の男と、不敵に目を光らせた女が佇んでいた。 「お商売の話なら承りますよ、わたくしども快援隊と申します」 「一介の貿易会社が何をしゃしゃり出て来ている!」 「そうです、おっしゃる通り。あなた方がこれから相手になさるのは、幕府を介してではない、この江戸の一介の商社や店屋でございます。商いは先んずることが何より必須でございましょう?」 女はにこりともせず、慇懃に云う。 この際に快援隊が関税自主権を取り戻したことが、後にこの国の貿易に大きな大きな影響をもたらすこととなる。それはまだ、少しばかり先のこと。
”そんなことをしても誰も喜ばない” ”そんなこと誰も望んでいない” 復讐を止める奴は皆そう云う。だけど違う。そういう問題じゃない。それは復讐をしない理由でしかない。 するかしないかだよ、復讐なんてのは。形だって幾らでもある。 それをしなきゃ生きられない奴もいる。死ねない奴も。 理由なんかどうでもいいんだ。 死んで逃げることも、死んで赦されようとすることもできないのなら、生きるしかない。 ああ、そうか。 赦そうが赦すまいが、 俺はもう、生きるしかないんだ。
武装警察真選組局長の手によって捕縛された高杉は、二日後に脱獄した。荒っぽい逃げ方に比して、死傷者は出なかったという。その手際に「鮮やかなもんだ」と局長は笑った。 「晋助様!!」 姿を見せた高杉にまた子が駆け寄る。そっと袖を掴み、言葉に詰まって俯いた。 「泣くんじゃありません。年増の涙は見苦しいですよ」 のっそりと現れた男が真顔でそれを嗜める。 「泣いてないし、年増でもないっす。このロリコン」 「違いますフェミニストです。お帰りをお待ちしておりました、晋助様」 武市が静かに頭を下げる。それらを呆けたように眺めてから、高杉は口を開いた。 「おめーらも、よく、無事だったなあ」 くっと万斎が笑う。 「何を戯言を。お主の唄が止むまでは拙者死ぬ気はないでござるよ」 「そうっす。晋助様を残して死んだりなんかしないっす」 今度こそまた子の目からぽろりと涙が落ちた。 「よく云うぜぇ・・・」 ぽかりと煙を吐き出す。その煙は青空に溶けていった。
和解、などはしていない。おそらくはそんなものはないのだ。そんな都合の良いものは。 取り戻そうにも、総ては取り返せないこと。 過ぎ去ってしまっていること。
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