銀の鎧細工通信
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2009年04月11日(土) Celest Blue (有栖川有栖、アリ江)

彼はやさしい人だった。

 穏やかで物静かで、適度に他人に無関心で、本心からというよりは「そうしたほうがいい」という己の分別と思慮に則った上で、他人が必要としている振舞いを差し出してみるような人だった。勿論、それは誰に対してもそうしているわけじゃない。それでも(少なくとも僕には)、伸べられるしなやかな手に、まことなどなくても縋ってしまうような鮮やかなタイミングとやり方だった。それは倫理と理性には則っていたが、おそらくは純然たるhumanismではないというのに。少なくとも彼自身の血の通ったそれ、では。
 彼はやさしい人だった。
 それは嘘ではない。しかし優しく暖かい目はいつも透き通っていた。humanityと云うには無性に人間味に欠ける彼。
 彼はつめたい人だった。
 ひどい人だった。
 とても忘れられないような振る舞いを惜しみ無く与えてくるくせに、「別にたいしたことやない」とさり気なく笑っては寄せられる思慕を受け流すような人だった。関わったら相手が魅了されて踏み込んで来たがることだって予測できるだろうのに、そしてそれを真っ向から受け止める気もないくせに、彼は中途半端に(云い掛かりもここまでくれば開き直りだ)人に関わることは決してやめない。深入りしないし、させないくせに、人と関わることを求めている。
 人が皆あなたのように淡くほのかにあれるわけないやないか。しがらみや執着から逃れられんことなら、僕にかてわかる。
 
 みんな僕の云い掛かりなんも、わかっとる。あなたかて、自由やなかったことも。
 それは、予め忘れ去られるようにと、忘れ去られることを念頭において誰の掛け替えのない者にもならないように努めていた風にも見えた。そういえばそんな奴おったなあ、とでも云われれば満足ですか。僕がそう云うとでも思いましたか。
 彼はまったく聖人然としている。
 乞われれば手を差し延ばすくせに、「ほら、お前はひとりでちゃあんと立てるやないか」と淡く笑って手を離すような人だった。
 彼はどこに行くつもりなのだろう。一緒に行きたいと縋る腕を柔らかくそっと拒み、彼はいつもひとりだ。
 その手をとることすら許してはもらえませんか。
 無為に神格化しては貶め、それら外野の思惑も寄せつけず、ああきっと彼の血は春の晴天のような醒めた青の色をしているのだろう。
 彼は美しい人だった。
 いったい誰になら、彼のいる場所に着地できるのだろう。どんな人間なら。
 とても僕にはできそうもない、と思った。
 それでもこの手は離せない、離すくらいなら腕が千切れたほうがマシだとさえ思った。思っていた。自分から離したら、きっと僕はこの人を一生忘れられない。見失ってしまった彼を追い求めながら生きていくことになるだろう。そんな自分を、哀しげに微笑して見つめる彼の透き通った目を常に意識しながら。それはそれで甘美なようにも思えた。
 


 ほんとうは、予感ならいつだってあったんだ。
 なぜ、気付けなかった?
 どうして、止められなかった?
 










 僕は軽く頭を振り、不意に自分の中に湧き起こった哀しい予感を打ち消した。
 こういうものの考え方に囚われるのは良くない。それに、どうあれ僕は彼を忘れやしないだろう。

 そっと横を見ると、膝に乗せた腕の向こう側に江神さんの頭が覗く。
 布団の上で立てた膝の上にそれぞれ肘を乗せ、俯いた額の前で指を組む。それはさながら祈りの形のようだろう。
 ゆるゆると波打つ髪がシーツの上を滑ると、もそもそと頭の位置を動かしている。
 「起きとったんか」
 靄の向こうから柔らかく響くように、いつもよりか少しだけ甘い寝ぼけ声を出す。やはり自分は浮かれているのだろう。江神さんは、こんなことで変わったりしないに違いないのだから。
 「喉渇いて、」
 布団から滑り出ると、目測を付けていた布の小山から下着を探って身に着ける。こういう時の振舞い方が皆目判らない。
 「水とってきます」と云うと、俺にも頼むとくぐもった返答。
 きっちりした肩の骨が夜目に何とも淫靡に写り、僕は慌てて水を汲みに部屋を出た。
 立て続けにコップ2杯をあおり、みたび満たしたそれを持って慎重に運ぶ。意を決して引き戸を開けば、布団の上に座り込んで煙草を呑んでいる。カーテンは開け放たれ、窓もうすく開いていた。江神さんは換気が好きだ。ふわりと髪がなびく。
 差し出したコップを受け取り、軽く礼を口にしてから「今日はあったかいなあ」と歌うように云った。確かに半裸でうろつける程度の気温だ。
 半裸、と思って江神さんに目を向けると、彼は全裸だった。目をそらして形のよい踝を眺める。骨もそうだが、それを支える筋肉のつき方も均等で美しい。江神さんは顔もからだもきれいなんやな、と思ってから僕は己の考えに脳内が弾けたようになった。うわぁああと取り乱す表情を誤魔化すために、俯いて鼻をすする。
 「寒いか」
 「いえ、大丈夫です」
 不自然なほど即答した僕に、江神さんはふっと笑った。そもそもどうしてこんなことになったんだ?
 
 彼に、あなたのことが好きで好きで仕方がないんだ、と貯水地が決壊するように云ってしまったのは1ヶ月ほど前のことだ。
 EMCの面子で呑んでおり、終電をなくした僕は江神さんの下宿に泊めてもらうことになった。マリアが事も無げに「うちに来たってかまやしないのに」と云い、そしてからかうように笑ったので、信長さんとモチさんと僕とでアホ!と喚いてはマリアの赤い髪をわしわしと撫でたり小突いたりしたのだ。それで彼女があははと高く笑って江神さんの背中に隠れた。そうしたら「確かにマリアの家のがうちより広い」などと江神さんが真顔で云い出したのだ。皆、ひどく酔っていた。モチさんがさも驚き呆れたように「紳士や!紳士がおる!」と高い声を出せば、信長さんが「あほ!そない騒いだら俺らがケダモノみたいやないか!」と、相棒にいささか激しいツッコミの平手を入れた。
 そんな帰り道だった。
 他愛ない身内話をしていて、そんな時に気が緩んで、つい僕は口にしたのだ。ゆらゆらと揺れる視界に映る滲んでぼやけた街灯がきれいだった。ふらふらと酒臭い息を吐いて、僕は今にも泥になりそうだった。これは云い訳にもならないけれど。 
 そうして僕はぶちまけた。皆あほでいい奴で大好きで、でも僕は本当に江神さんが好きでたまらないと。この恥知らず!思い出しても全身から火が出そうになる。江神さんは「ありがとう」といつも通りの口調で応えた。ごく普通の意味で解釈されたのなら、それでいいと思って僕はうふふと笑った。先輩として信頼して敬愛しているのだって事実だ。
 うふふと笑う僕がよろめいて江神さんの肩にぶつかると、彼は「ほれ、あと少しやから真っ直ぐ歩け」と云ってはつられたようによろめいた。江神さんも真っ直ぐ歩けとらんやないですか、と笑ったら「やかましい」と彼は笑って僕の頭を大きい手のひらで撫でた。そんな夜だった。
 翌朝、宿酔いの頭で何かとんでもないことを口走ってしまったと、穴でも掘って飛び込みたい気持ちになったけれど、江神さんのリアクションが淡々としたものだったことで思いとどまった。ましてやさほど酒に強くはない人のことだ、覚えていないかも知れない。そんな都合の良い期待までした。
 それからまたごくありふれて、何事もない退屈で平和な愛しい日々が訪れた。
 それなのに江神さんが不意に僕をじっと凝視して「そんなに喰い付きそうな顔するな」と云ったのだ。戦慄した。
 そんなに物欲しそうな顔で、浅ましい表情を浮べて彼を眺めていたのだろうか?
 凍り付いて絶句した僕を、哀れむように柔らかく見つめると、彼はあろうことか
 「アリス、これからうちに来へんか」
 と云ったのだ。
 この話の流れで?そんなことを云うのはどういう神経のなせる業?
 からからに喉が渇いていた。声が出なかった。椅子を蹴倒して今すぐ逃げ出したかった。けれど、この時を逃したら、彼はもう腕を広げては見せないような気もした。どういうつもりなのかは皆目解らなかったが、僕は、もう、江神二郎という人が一体何を考えているのかというその謎だけで、それに触れられるとまでは云わずとも、近づけるのではないのかという想いだけで喰い付いたのだ。目の前に下げられた餌に。
 結果、惨敗。
 さっぱり彼の考えていることは解らない。当たり前だ。身体を繋いだからって何かが見えるとでも?僕は哀しくなって、俯いたまま江神さんの隣りに腰を下ろした。右腕の横に長い脚が放り出されている。 
 本当の本当に彼のことが好きだというのなら、僕はここに来るべきじゃなかったんだ。僕は好きだと云った、彼はありがとうと云った。それだけで留めておけばよかったのだ。どうして、僕に触れても構わないと手を差しのべてみせたんですか?
 好奇心?興味本位?どちらも大差ない。それに江神さんが僕を好ましく思って可愛がってくれていることくらいは判っている。僕だけではない、EMCの皆を、この人は確かに好きだ。それは間違いがない。この人は淡白な風に見えて、思い遣りにも情にも深い。その中で特別な想いを、恋慕を募らせてはみっともない飢えた顔を晒していたのが僕ですか?哀れみですか?お情けでしょうか?
 浮かれて舞い上がった分だけ、哀しい想像は僕を追い落とした。我ながら随分と過剰にペシミスティックだという自覚はあった。それでも、こんな風に訳が判らなくなるほど、振り回されるほどに彼を好きなのも事実だ。だから、悲惨だ。みじめだ。
 「アリス、泣くな」
 「泣いてませんよ」
 証明するように顔を向けてみせると、僕の負けん気が面白かったのか彼は軽く吹き出した。失礼な人や。好きだ。わけがわからんくらい。
 「ちゃんと、好きやよ」
 僕の頭の中を掠め見たような言葉に、一瞬反応が出来なかった。ましてや、「ちゃんと」?なんとも引っかかる物云いではないか。
 「え」
 呆けたように訊き返すと、「野暮やな」と応えて片方の口角だけを吊り上げて笑った。
 珍しいニヒリスティックなそれは、今思えば多少の照れ隠しもあったのだろう。あまりに明け透けな僕に合わせるために、慣れないことをしているという。
 








 彼は彼なりに、きっと、本当に、僕のことを好いてくれていたんだ。
 そう思いたい。
 まだことの次第を僕らが受け止めきれていない頃、マリアが「もしかして・・・」と涙声で呟いた言葉に、僕は厳しく詰問口調になる自分を抑えられなかった。うろたえきった彼女に対して随分とひどいことをした。僕だってマリアの立場だったら、それを事前に誰かに云っただろうか?否だ。自分のことを語らない彼の、非常に個人的なことを誰に云えただろう。ましてや、それはただの予言だったのだ。

 江神さんが、姿を消した。
 何が『30歳を迎えずに死ぬ』だ。『多分、学生のまま』だ。
 猫じゃあるまいし、死を悟って姿を消したわけでもないだろうのに。
 目の奥がじんと熱くなった。
 何か、心の整理でもつけようと思ったのか。因縁との決別か。そうであればいい。そうに違いない。僕は占いなんか信じない。あなたかて、そうな筈や。彼が生きるつもりなのを疑ったりしない。するものか。
 なのに、どうしてあなたは僕に何も話してくれなかった。
 なのに、どうして「必ず帰る」なんて書いた葉書を、僕に寄越した。




 それからあてどなく宮津と山科をはじめとし、あちらこちらを彷徨った僕は、試験を放棄して留年が決定した。行っては見たものの、手がかりは何も見つからなかった。消息は不明だ。
 必ず江神さんは帰ってくるだろう。
 根拠も当てもないようなことを、軽率に云う人ではない。少なくとも「帰るつもりだった」などという結末は認めない。発した言葉の責任の重さなら、望まずとも演じてきた「名探偵」の顔を持つ彼ほど判っている人もそういまい。
 それでも不安なのは、彼がやさしい人だからだ。やさしい嘘を、こと自分の周りのものにだけは残しそうな気がするから怖いのだ。ひどい。つめたい。冷酷だ。どうして何も云わずに。
 まさか「予言」の通りに江神さんが「死ぬ」などと思っているわけではない。けれど、彼自身がその予言を意識していたことの辻褄は合う。でなければ、このタイミングで姿を消す理由もない。
 目の奥で吹きだまる熱さを僕は堪えた。彼は帰ってくる。こんな嘘は許さない。














END&NEXT

えーと。バッドエンドではないです。帰ってくる前提の話です。
なので正直、これ1話で完結といえばそのつもりです。
本文中でも書きましたが、帰るつもりがないのに「帰る」とか絶対云わないだろうし、江神さんは。
正直に云います。前半「誰なら江神二郎のいる場所に着地できるのか」は、本当はこの話が別カプに進行していく予定であったことをあらわしています。
したら駄目だったよ!アリスが許してくれなかったよ!すげーよ!何このラヴ展開!あたしこんなん書けるんだ!すげーよアリスの「江神さん好き好き大好き」パワー!!!!!!!!!!(興奮。
いやあアリス一人称書きやすいですね!あっ、お前が夢見てるからだという突っ込みは解っているので結構です(笑。嘘です。突っ込んでくださって構いません。
江神さんへの夢見すぎっぷりとか、もう度し難いのですが、どうしようもないです。(開き直りやがった。

タイトルはCocco「セレストブルー」です。神の住まう天界の青。で、Coccoお好きな方には次の話のタイトルもお察しいただけるでしょう(笑。
イメージ音楽はウタダの「Letters」「光」。「Letters」とか、アリス視点で江神さん30歳前に失踪にしか聴こえません。夢見過ry
対して「光」は江神さん視点のアリ江で。
ていうかメンタリティはアリ江アリです。肉体的にアリ江なのは、江神さんが自分からアリスにちょっかい出すように思えなかったからです。誰に対しても自分の欲望で攻めていくタイプに見えないという私見です。誘い受けか流され攻めとか・・・ええと・・・。

30歳前にして失踪は、私の頭の中では割とデフォです。初めて出てきた彼のバックボーンてのもあるけど、これは看過できないことだと思うので。江神さんならけじめをつけようと1人で立ち向かうんじゃないかと。で、失踪。EMC涙目。ていうか号泣。


高杉について悶々としていたのですが、マグマのごとく江神さんが降臨している状態で、近高そよをお待ちくださっている方には本当に不義理致しております。でも銀魂熱が冷めたとかじゃないですから!
て、これここで書いてもしょうがないよね・・・ブログでもお詫びします。

どれだけ好きでも全然書けない佐助(@BASARA)と違い、なぜこうも江神さんんを書こうとしてるのか・・・こういのってほんと不思議。
好きなのに書けない場合もあって、好きで書こうと悶えてる場合もあるし。

方言についてはほんともう・・・勘弁してください・・・。翻訳サイトハシゴ(マジ。


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